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「クイにはこういう方が似合っていてよ」
「男装でもしろってか」
ジュがミイに提示してみたのは、紳士服であった。
「仕方ないではないですか。クイがスカートは嫌だって文句を言うから、こういうのに限定されてしまうのですわ。特に下半身はどうしようも……」
街に入って早々、取りあえず服を見る=買うために服売りの店に入ったのはまあ、二人も女だということで。
給金が同年齢比較でなくても平均を大きすぎるほど上回る二人は、服装に関して金に糸目はつけないのであった。
そのおかげで増える増えるは服の山。実際に私服として着用するのは三割といったところで、着ないものは同僚たちと交換。
「しょうがないじゃん。思春期はずっとこんな恰好で過ごしてきたんだから、今さら直せん」
ミイは私服の傾向が一貫していて、常に釦なしのシャツ、幌地のズボンである。細身ですらっとしているミイにはこれ以上なく似合っているのだが如何せん、全体的に色気がない。
世界的に見ても、脚の線を見せるというのはそれだけで扇情的な装いとなるはずなのに。
「年齢を考えなさいな。モヴィ・マクカ・ウィですら、それは『若者が好む』恰好ですわ」
「…………」
流石のモヴィ・マクカ・ウィでも有る程度の年齢になれば、自ずから相応の恰好になっていくもの。
大体二十代の後半ぐらいからか。身体に老いを感じ始めたら即、宗旨替え。
「まったく、そもそも王族はスカートでしょう。宮中で生活していたら、そんな俗に塗れたような恰好などせず、もっと洗練されるはずでしょうに。どうしてクイときたら」
「ごめんね元王族なのに平民みたいで。私は庶民の心が分かるお姫様だったの」
「はあ……お姫様に憧れていた過去のわたくしが莫迦みたいですわ」
ミイ精一杯の皮肉。それをジュは皮肉で返す。二人とも頬が引きつる。
「勝手に抱いた想像図で失望されても困る」
「理想を平民に抱かせてこそ、高貴というものは価値が出るのですわ」
こういう応酬はままあることだ。元ではあるが殿下であらせられたのは事実なのに、どうもそんな気がしない。全てが砕けているからなのか。だからこそ気負いをしなくてもこうやって付き合っているのだが。
庶民目線、それ故に人々から慕われたというのはあながち嘘でもない。「姫は我ら庶民のことも気にかけてくれる」と、ジュの故郷ですら言われていた。
「ほら、せめてわたくしのためにも、ブェテーぐらいは気に掛けてくださいな。布一枚の下に脚が存在するのは、殿方には刺激が強すぎますわ」
ジュはミイに二枚一組の、長方形でやや内側に婉曲した、堅い板状のものを渡す。
上部と下部にはそれぞれ紐が付いていて、脛に縛ることで支える仕組みになっている。
「えー。かわいくなーいじゃーん」
「な、に、を、い、い、や、が、り、ま、す、か」
女の秘密の場所をなんだと思っているのか。ジュは細めた目でミイの脚……とりわけ、弁慶の泣き所を注視する。仄かな黄色い光。幌地のズボンを通して、ジュの目に映る。
「今まで我慢してましたから言うのを控えていましたけれどこんな恥を見せびらかしながら街中を歩くような人と一緒に歩くわたくしの気持ちも少しは汲み取って下さらない!?」
ジュがキレたのも無理はない。
ブェテー。
男は魔、それ自体を知覚することはできない。現象として魔が発動してからようやく、魔がそこにあるのだと初めて認識できる。風が舞う。その時にだけ空気の存在を思い出すのと同じだ。
しかし、女同士ではそうもいかない。女は、魔を見ることができてしまう。
では、どこに魔があるように見えるのか。
それは所謂弁慶の泣き所こと、脛。
ここに宿る光の色によって、その人がどんな種類の魔が得意なのか予想が出来る。弱点を把握できれば、対策を練り、相手を封殺できる。対策がされている相手と戦って敵う道理はない。
脛を見せるという行為は、戦う前から敗北宣言を出すのも等しいのだ。
ジュは青白い光をしている。青は「修復」を現す。ジュの使う魔は新陳代謝を早め、結果的に怪我の修復を早めるという「修復」の能力。この魔を使って、技では成せ得ない医術を扱うことが出来る。
ミイは黄色の光。黄は「協調」を表す。ミイの使う魔は幾人もの注目を浴び、妥協を産み出すという「協調」の能力。
これだけ分かれば、二人に戦闘能力としての魔はあまり得意ではないことまで判明できる。それなら襲いかかろうとも、それほど反撃を受けることはない(もっとも、ジュもミイもニム伝来の護身術を極めているから、これはあくまで机上論ではある)。
もしここでブェテーを装着さえしていれば。
自分が戦おうとしている敵が、どんな魔を持っているのか知ることができない。魔と容姿との間に因果関係はないから、華奢で折れるように身体が細く、常になにかに怯えてびくびくしているような女が、一つの街を業火で砂塵にさせるだけの魔を持っている可能性も、否定はできない。
どんな魔なのか。
その怯えは抑止力となる。
とまあ、普通の国なら自らの身を守るために、何にもまして重要な服飾であるのだ。
もしも外国でブェテーをせずに街を歩けば、二分もせず身ぐるみを(女の手によって)剥がされている……のだが、幸いセゴナは、諍いが起きない。年間犯罪率零割零分一厘を切ることのできるほどの平穏な国は伊達ではない。
相手の弱点を知る必要はない。だから、ブェテーは装着する必要もまた、ない。
そういう結論に達せそうなものなのだが、過去の名残からなのか、脛を晒すことは恥ずかしい物こと、という戒めを込め……下着の一種として扱われているのだ。
男というものは、性欲は忘れても、性的な癖だけは忘れることができなかった。女に隷属していた時代ですら、だ。そんな単純な生物を前に、生の脛なんかを見せた日には……鼻血が出るほどの興奮ものである。
それなのに。
「大体さー、蒸れんだよねそれ。だからめんどくさいんだし」
簡素すぎる理由で、白木の脚を隠す布一枚下に、隠さなければいけないものを無防備に晒している。少し裾を上げればそんな大切な場所が見えてしまう。はしたなし。
「そこは頑張って魔で蒸れないようにするんですわよ。一流のニムは風通しをよくしつつ、密閉状態を保つものですわ。人から伝授されるのではなく、自らその業を編み出してこそ、また一歩、ニムナ様のお膝元に近付けるのですから」
「全くあてにならないお言葉有難う。なんの解決にもなってないよねそれ。矛盾っていうか」
「失礼な。これでもわたくし、外国へ仕事で飛ぶ際には、まだ胸も膨らんでいないようなうら若き乙女たちに、ブェテーの付け方を教え回っていますのよ。是非その方法を教えてほしいと、教え子の親たちにも評判なんですから」
あれを思い出すと自然に頬がにやけてくる。
「……あー、忘れてたけど、教員免許も持ってたんだっけヤミ。場合によっては文化圏の違う子供にも教えることができるという、アレを」
ジュの「とある性癖」を知っているので、露骨ではない程度に話題を転換させるミイ。
「ええ。年間合格者数百人でしたっけ。まあ、ニム試験に比べれば楽勝ですわ」
「嫌みすぎるわ。……あ、いや、同じくニムな私が言ってもあんまり否定が強まらないけど」
「ちなみに医師免許も持っていますわ。わたくしの判断で人の命を手のひらに乗せることができるのです。時にクイ。わたくし、あなたの身体から不吉な波動を感じ取りましたの。是非身体を火にくべた棒で掻きまわさせて下さいません?」
「こわっ! なに波動って! 似非科学すぎるわい!」
さあ。ジュ本人でさえも言ったことを理解できていない。ほとんどがノリで喋っている。
「っていうか、そんなもんをニムの片手間に取れるぐらい、割と優秀なんだよね、ヤミって」
「ふふん。亜セゴナ人でもやれる時はやれるのですわ。あとクイ。『割とは』は要りません」
ジュはこの五年間で、取れる限りの資格は取ってきた。もちろん、ニムの仕事と並行しながら。
おかげでやれるやれるは仕事の量。二十歳を下回るニムの中でも、トップクラスの遂行職務の幅広さがジュの武器である。ただし記憶関連は除く。
「ニム自体の能力となんの関係もないけどねそんな資格!」
「……気にしてるからやめてくれませんこと?」
まあ、箒を持って庭の掃き掃除をするのに、危険物取扱の資格なんか必要ないわけで。
そう言った意味では、ジュはニムとして無駄が多い。ミイの方が幅広く有用だ。
「五年前は自分を普通の女の子とか言ってたくせにねぇ。何所行っちゃったんだろ、あの子」
「あの頃はとかく自分に自信がなかったもので。確定していない事項は、分からないままにしておいたのですわ」
だからこそ、ジュはあの理不尽な試験に合格することが出来た側面もある。
「こんな女に教えられる子供たちが可哀そう」
「失敬な。思想はともかく、数学や科学は世界共通ですわ」
ジュが専攻しているのは数学や物理学。理由は、どこの国でも考え方は変わらないからである。一足す一は二、それ以外の答えになることはない。
……もっとも、零から一を作り出せる存在の「女」が言っても、なんの説得力もないのだが。
故に、理系の学問は基本的に男が専攻するものである。ジュのように、女でありながら理系な人間はごく稀にしかいない。
「思想ねえ……私がミナヤ様を政治家として尊敬はしていても、神様としては熱心に尊敬してるわけでもないってのも、国がそういう権利を守ってくれているからなんだよねえ」
「そこはそこ、それはそれ。外の世界は未だ女尊男卑ですからね。セゴナのように女尊男尊な国は他に存在していないのだから。わたくしができることは、世界にその風潮を広めることですわ。ミナヤ様のお考えが素晴らしい思想、とまでは断言しませんし、できませんけどね。答えはないのですから。……さ、そんな『下らない話』はさておき。今日はクイに合うブェテーを買うまで、お昼は抜きですわよ。そちらの方が、何よりも重要ですわ」
「ぎぅ、ヤミの目がマジだ……」
目の前のことを考えていればいい。難しいことは、今は他の誰かに任せる。それまでの英気を養わせてくれれば、自分たちは動けるから。
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