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 着替え終わった二人は、軽く手荷物を持って城を出る。

 広大な城内を三十分ほど歩いて北門へ向かい、そこから外部へ出る。

 無駄なほど技の塊となっている城のくせに、移動手段は基本的に歩きなのが玉に瑕……どころではない。

「人間は脚で歩くからこそ人間なのだ」とは誰の言葉だったか。お偉いさんのような気もする。何年たっても、ジュの記憶力は弱いままなのだ。

 ……そのせいで頭を使う職務はあまり期待されてなかったり。

「ああ、そういや聞いた? 自走車の話」

「いいえ。名前だけは耳にしましたが、詳しくは知りませんわね。興味ありますわ」

「前回の技術試験で、ミナヤ様が新たに開発なされた技を私が実験したんだけど、実用化されれば相当職務が楽になりそうなんだよね。目的地を告げるだけで好きなところに行けるの」

「オチは?」

 それだけで話題が終わりなら、わざわざジュに話さない。ミイはそういう女だ。

「途中で制御が効かなくなって、生垣に突っ込んじゃって、ニム長にこっ酷く怒られた」

「先日、クイが夜遅くまで帰ってこなかったのはそれが原因なのですわね」

「あれはほんと修羅だった。太陽が昇るまでに生垣を元に戻せなかったら、」

 ミイは手で、自分の喉を切るようなジェスチャーをした。

「これだって」

 つまり、ニムを首にさせられる。

「はぁー……」

「なんでがっかりしとるか貴様はぁ」

「つまりませんわ。あーつまりませんわ」

「それって正しい言葉遣いなのかね?」

 歴代のニムとなった女性の活躍を調べてみても、解雇になったニムは一人もいなかったから、あわよくばミイがその第一号になれたのに。そうすれば最高のネタだ。

 どうもミイは問題を起こすことが多く、よくニム長に怒られる。見ている分には楽しいから、改善してほしくないのがジュの本音。

「まあそこを指摘するより、わたくしの『く』がどっから発生したのか聴くのが先かな」

「なんとなく語感がよくなりません? わたしよりわたくしの方が」

 などと身の無い話をしていると、徒歩三十分なんてすぐに過ぎ去るもので。

 二人の前に門が立ちはだかる。

 門の横にある受付で、ジュとミイは門番に外出許可証を見せる。門番は刃のないハサミのようなものでそれを挟んだ。許可を表す捺印。

 これで晴れて外出できる。

「はー、外出なんていつぶりだったかな」

「今のごたごたが勃発する前だから、四か月ほどかしら」

「うえ、その間ずっと城に缶詰だったってことか。我ながらよく脱走しなかったなあ」

「したところで、ニム長が守隊を利用してまで追いかけてくることが目に見えていますわね」

 二人とも久しぶりに吸う外の空気を満喫していた。

 城の中には自然豊かな庭園があり、それはそれでほのぼのとした気分になれるのだが、二人とも、静かなところは性に合わない。人の活気で賑わっている所の方がよほど自分たちらしい。色気よりも食い気。

「んー、良い気持ち。これだと、今年の夏は暑くなりそうだなあ」

 ミイは大きく伸びをしながらそう言った。城の敷地内だと、どこでニム長が見ているか分からないため、あまりはしたない行動ができない。

「そうですねえ。いい初夏ってところです。いいことがありそうですよね」

 思わず素に戻ってしまうほど、ジュも深く同意した。

「良い日に休日を貰えたもんだよ」

「折角の息抜きで、雨に降られでもしたらたまったものじゃないですからね」

 ここ数カ月は碌に休みがなかった。

 二人の休日が重なることなど、今日でかなり久しぶりとなるほどなのだ。それだけ忙しい日々であったから、「どこどこへ遊びに行こう」と計画を練ることもまともにできず。

 先ほどのように「じゃあ街で」ぐらいの意見の擦り合わせしかできなかった。そもそも、遊べる時間は半日も与えられていない。

 その与えられた一日。

 空はどこまでも高く、日差しはゆったりと人々へ降り注がせる。

 空の青に、日差しの黄色。

 鳥は鳴き、静寂にアクセントを加える。

 朝の一時。まどろみの時間。

 ともすれば、このまますやすやと眠ってしまいそうなほどに――ただただ安らかであった。

「こうしてると、戦争をするなんて嘘みたい。あまつさえ、わたしたちの祖国と」

 ミイがぽつりと呟いた。


 城の正門からさらに徒歩二十分。セゴナで一般的な乗り物、環状車に乗って街へと赴く。

 城を中心軸として、ぐるっと一周する同心円の内外周線。八方向に直線で広がる上下線。

 この二つの組み合わせでセゴナの交通は発達している。

 ジュたちが使うのは後者。城から見て北側が城下町として栄えているので、二人もそちらの方角へ向かう路線についた。

「うーわ混んでるし。座れないじゃんか」

 人通りの多い場所柄なせいか、車内はそこそこ混雑していた。席はすでに満杯。

 仕方なく二人は吊り革に捉まることに。ニムとして一日中立ち歩くことなんてざらだから、ほんの数十分程度立っていること、それ自体は苦ではない。

 しかし、ミイが座りたい理由は全く別の場所にある。それは発車して数分も経たないで起きた。

「……私、これだから環状車って嫌いだなあ」

 がったんがったん。

 揺れる揺れる、青年女。

 業務時間ならいざ知らず、公私の私となっているミイは色彩豊かに表情へ出る。

 現在、とても青い顔をしていた。

 車酔いをする性質なのだ。そもそも環状車自体、乗り物に酔いやすい体質の人間には、ちょっとした精神鍛錬の場なのである。

 それでもこれを使うのが一番早く到着できるのだから、折角の休日、時間を有効にしたいなら利用せざるをえない。

「あなた。大丈夫かえ?」

 ミイの顔色を見かねたのか、ミイのすぐ前の席に座っている、人の良さそうなお婆さんが話しかけてきた。そのぐらいの青さである。

「大丈夫です。すぐに着きますから」

 一応ミイだって常識はある。断りを入れた。

「あらあら、酔うのなら座らないと。どうして譲ってくださいと頼まないのかえ?」

「あ、いえ、その……」

「次世代を担う若者のためなら、こんな老いぼれはいくらでも我慢するぞえ」

 そう言ったお婆さんは、すっくと席を立ち、座席にミイを押し込めた。

 座っていようがもちろん揺れるが、立っているよりは幾分マシに感じるのである。

「全く、今時の若者は変に我慢強いんじゃから。あたしたちの時代なんて、我慢なんてしなかったぞえ? これだから、あたしを含むあたしたちの世代は駄目人間なんじゃがな。我慢ができれば、その向こうにある機会をいくらでも伺うことができるのじゃし」

 ピンと伸びた背筋のまま、はあ……とため息をつくお婆さん。

「……う~ん、これが本当の、『最近の若者は』」

 一連の流れを傍観していたジュは、つくづく非常識な国なのだなあ、と感じた。

 ジュは仕事で外国へ出掛けることが多々ある。

 城の補強の材質となる石を買い付けに出向いたり、新たな料理を創作するために食材を発見するべく各国の市場を調べて回ったり。

 そうして数々の国の人間と話をしてみると、若者には無くて老人には有る、一つの共通点が存在することに気が付いた。

「今時の若者は」と言ったら、「駄目だ」と否定の言葉が続くことが多かったのだ。

 いつだって自分の世代が一番で、それ以外の世代は全て駄目だと決めつけるのが人間というもの。いつの時代だって若者は駄目だが、今の若者は特に駄目だ。自分の世代では、もっと明るく、こうこうこういうところが素晴らしくて……そういうものらしい。

 これがセゴナでは、言葉の意味が全く変わってくる。

「今時の若者は」と言ったらその続きは、「期待できる」と続くことが、息をするよりも当たり前なのだ。

 新しい時代を切り開けるのは若者でしかない。

 老人は若者だった頃、すでに自分たちなりの時代を作ってきた。

 それができたのは影で支えてくれた者がいるからこそ。

 一線を退いた今、老いた身にできることは、若者に迷惑を掛けないよう、今度は自分たちが全力で若者をフォローすること。

 時代を作っている若者を邪魔してはいけない。未来の人間のためなら自分を犠牲にすることだって厭わない。

 自らのことより、他人のことを何よりも優先とする。

 老人は若者に期待する。若者は期待に応える。

 この精神でセゴナは千年近く、安定して発展し続けてきたのだ。

「御免なさい、連れが情けなくて。お詫びと言ってはなんですが、これを差しあげます」

 ジュは鞄の中から一冊の本を出した。

【渡時月下】。背表紙の題名は捺金の細工が施されており、その上には蛇のような長い身体を持った想像上の生物【龍】があしらわれている。

「聖典じゃないかえ。一般に流通しているものじゃなく、お城の礼拝堂でしか貰えないことができない特別な。そんなに大切なものなのに、あたしなんかにくれるのかえ?」

「見知らぬ他人から受けた施しは、また見知らぬ他人へ返すのが、情けは人のためならずというものです。とはいえ、返せる恩があるのならば返したくなる気持ちも分かってほしいのです。ですから、是非受け取ってください」

 恩に対する褒美が欲しいから人に優しくするのではない。が、折角お礼をしているのに突っ返すのもこれまた無礼に当たる……とお婆さんは思ったのか、ジュがお婆さんの胸の前に差し出した聖典は、恐る恐るながらに受け取ってくれた。

「それに、わたしたちはニムなんです。だからいくらでも持っているんですよ」

 確かに一般では販売されていないが、城の中ではそこらじゅうに置いてあるような代物である。値段も硬貨一枚で買える程度の安価。

 その事実があったとしても、一般人からしてみれば、一生のうちに手に入れることが出来るか出来ないか。

 そんな代物だから、持っているだけでここぞの時に重宝する。ちょうど、今みたいに。

「ニムなのかいあなたたち!?」

 お婆さんは、車内に響くような声で叫んだ。

 すぐに周りの客へ「あ、あら、御免なさいえ」と恥ずかしそうに謝る。

 しかし遅かったか。車内にいる客たち……取り分け、若い女たちの渇望の視線を、ジュとミイは一身に受けることとなった。

「本当にニムなの!?」「凄い、あの試験を受かっただなんて!」「うわあ……私、ニムの私服姿見るの初めて……普通で可愛い……」

 そんなことをひそひそと、しかし周囲にダダ漏れで話し合う、義務教育中であろう女の子三人組。ジュが嘘を言っている可能性もなくもないのに、疑うことをまるでしない。なんと純真な眼をしていることか。

 業務自体は、普通の使用人に、仕事が余分なほどくっついているだけだというのに。

 かくもニムとは女子憧れの職業なのだ。

 五年前のあの日、目の前まで辿り着いておきながら諦めかけていた自分は、どれほど罰あたりなのだろうと、今になっては思う。知られたら、石を投げられても文句は言えない。

 それよりも、普通って。

 ジュはそこの部分を聴いていないことにした。

「ええ。普段はこんな情けない若者なこの人ですけれど、城の中ではこれでも精一杯に頑張っているんですよ」

「……ヤミ。ものすごく棘がある」

「あら。わたくしはニムですけれど、クイと違って車に酔いませんもの」

「たまたま私が車に酔う体質だったってだけだって。ヤミなんか、お皿割って怒られたじゃん。二百年前のミナヤ誕生祭の時に献上された、世紀の大芸術家と謳われたお方の作品を」

「それは今関係ありません蒸し返さないでください。それにあれは、お皿から『この姿はもう飽きた!』って啓示を受けたからこそ、わたくしはその願いを叶えてあげたまででしてよ」

「修復できたからよかったけど。何故か私まで怒られたんだからね」

 あれはジュがニムをしてきた中で最大の失敗だった。

 それを教訓として、今では割るとしたら安物の皿にすることにしている。何か間違っているような気もするが考えない。

「ほっほっほ。あたし、ニムって数えるほども見たことがないけれど、公私の私では普通の女の子なのかい。安心したえ」

 お婆さんは上品に笑いながら、想像とは大きく違っていたであろう実物大のニム二人を見て、安心した顔をする。

「私も昔はニムになろうと思ったことがあったわい。けれど、最初の試験で落とされてなあ。難しくての。自分は頭がいいと自惚れていたから、まさか筆記で落とされるとは思ってなかったえ。でもあなたたちは普通に見えながら、かなり頭がいいということかい」

「普通……」

 自覚はしていることながら、他人に指摘されると、へこむ。

「大丈夫。ヤミは絶対、普通じゃないから」

 慰めなのか、それとも追い打ちなのか、判断のつかないミイの言葉。

 ミイはよく「春先の筍」とジュの性格を評している。灰汁が強いということだ。

 だがこの程度では足りない。これではいつまで経っても、あの人が望みそうな女性にはなれない。このようなコンプレックスがあるから、「普通」と言われるのが嫌なのだ。

 数駅ほど停車すると、お婆さんは「じゃあ、お大事になぁ」と言って、下車していった。

「いいよねえ、セゴナって。意識してないと、すぐ忘れそうになるけど」

「そうですね。これほど次代へ繋ごうとする国も珍しいです……じゃなかった、ないですわ」

「折角元の口調になってたんだから戻さないでよっていうか治癒魔ぐらい使ってくれてもいいじゃん、ケチ。医師免許手に入れたって自慢してたのは何だったんだって」

「いやですわねえこんな人目につくところでできるわけないじゃないですかただでさえクイがニムらしくないところを見せているというのに」

 バンバンとミイの肩を叩く。衝撃で前後に揺さぶられたミイは、病状が悪化しているのか、恨めしい顔でジュを睨めつけた。

 やばい、楽しい。

 まあほんの少しだけ罪悪感も湧いたので、さり気なくミイに「魔」を流し込んでおく。

「お、なんかみるみるうちに調子が」

 ミイの顔に、はんなりと朱が差した。

「私、車に免疫がついたかもしれない!」

「治した甲斐が全くありませんわね」

 と突っ込んだが、ミイはそもそもジュが施しをしたと分かっていたということに最初から感づいていた。喜びの眼は一転、ジトッとしてジュを睨む。

「……最終的にやるぐらいなら、最初からやってよ。どうせタダなんだし」

「わたくしの気力が減りますわ。ミイなんかを助けたという、気が」

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