▼7
ジュの考えた作戦は至極単純。
食堂へ集まっているお仕え候補をもう一度『視て』、相手のことが分かればそれでよし。
分からなければ所詮自分はその程度の人間であったということ。潔くニムになることを諦める。
それだけのことだ。
もしもジュが食堂の近くへ行ったことがばれたら、ミイはおそらく激しく処罰されるだろう。
自分のためにそんな事態になることを想像すれば、気が引けて仕方がない。
そうであるが、ここには城のエキスパートがいる。試験の抜け道を知っている。
ーー遠く離れた場所から、食堂を見通せるところへ行くことができれば。
それが可能なら、ジュもミイも、あくまで許可された枠の中で行動したことに過ぎなくなる。
「ジュ様。こちらです」
ミイの先導に従ってジュは歩く。
やはり速くもなく遅くもない絶妙な速度。
二人は再び、ニム(候補)の制服に着替えている。これによりミイは、ミイ=クイという一人の女性ではなく、城のそこいらにいるニムの一人にしかすぎなくなっている。
「そこの段差、お気を付けて」
段差なんてある? と思って普通に足を一歩踏み出すと……ぐらりと、身体が揺れた。
「申し訳ありません。この辺りは侵入者防止のため、視認できない段差が多いのです。影ができないのはそのためです」
あー、ちゃんと理由はあるんだ……と、説明を聴いた直後に倒れながら思う。
むしろ説明しないでほしかった。さっきまで何も気にせず歩けていたのに、分かった瞬間これだ。
もともとこの城は、防衛を考えて設計されている。十万人ほどが生活を営めるから、有事であれば城そのものが要塞となる。過去にはそう運用された時期もあるのだとか。
覚えきれないほど廊下を何度も曲がり、数えきれないほどの階段を上って降りて、最早ここが何所なのか分からなくなったぐらいで、ミイはやっと足を止めた。
今日はもう歩きすぎたジュは脚がガクガクしているのに、ミイは平然とした顔。
……いやまあ、ニムの状態になっているから、無表情なのだが。
仮面の奥では息も絶え絶えなのだったら、少しは親近感も湧く。反対に、素で平気だったらニムという職業にいっそのこと、恐怖すら感じる。
「ここからなら、食堂の中を見渡せます」
二人がたどり着いたのは屋上広間だった。
柵から地上を見下ろすと、およそ人間二十人分といった高さ。
この高さなのに、ここは三階の上にあたる。
ゆとりを持たせるためなのか、城内の天井はどこも高いためにこうなっているのだ。おかげで階段が辛いこと辛いこと。
転落防止の柵の向こうに、そこが食堂なのであろう、広い窓を抱えた部屋がある。
しかしやけに空色をしている。よく目を凝らして見ると自分の姿が映っていた。
試しに手を振ってみる。向こうのジュはこちらとは反対の手を振った。鏡になっているのか。
ブン! と力強い効果音を響かせて、ミイは一枚の、きらきら光っている手のひら大な円盤を投げる。
その動作も、あくまでさり気なく。肩を使わず、肘だけが独立している不思議な投法。
……力強いのに小さな動作とはこれいかに。ニムとは不思議だ。
円盤は綺麗な放物線を描きながら、窓にペタリと張り付いた。
するとその張り付いた部分から波状に広がっていって、ついには窓全体がその元・円盤に覆われた。
「セゴナ城にある全ての窓は外からだと見えない作りになっていまして。あの紙を張ると外から見えるようになるのです。本来ならきちんとした手段を踏まないといけないのですが、今回は特別な例ということで、荒技を使ってしまいました」
「紙なんですかあれ!?」
明らかに紙で辿れる軌道ではなかったが、気にするだけ無駄なのだろうか。
この国に来てもう五年以上は経つのに、未だに驚かされてばかりだ。この城では、特に。
「ちゃんと見えますか。透明度を上げると範囲が狭くなりますし、逆に範囲を広めると透明度が低くて見れたものではありませんので。調整が必要なら申しつけ下さい」
「はい、大丈夫です。見えます」
ジュは目を刮目し、元・円盤が覆っている窓の向こうに広がる世界を視る。
食堂では四人のお仕え候補が和気藹々と食事を取っていた。
あちらからではジュもミイも見えないのか、一連の出来事になんの反応もしなかった。
「ジュ様。お力、拝見させてもらいます」
ミイはジュの後頭部に、白く細い指を突き立てた。なにかが繋がった感覚があった。ジュは許可する。
視界共有という共創魔。
ミイの視界がこちらへ逆流しないよう、壁を心に作る。
さて。折角ミイがここまで取りつけてくれたのだ。活用しなければ。
――ニヤク。二十七歳。外国を飛び回っている実業家。理髪そうな青年。ざっくばらんとした短い髪が爽やかな印象を与える。
――オーナ。五十五歳。神立大学の教授。色気漂う妙齢の女性。セゴナ人は見た目がほとんど老化しないため、あれだけの容色を放っているということは、いい年をしている。
――ヤイゴレ。七十四歳。定年を迎えて老後を送っている。名前から察するに、セゴナ人ではない。そして容姿も肯定している。見るからにお爺さんといった容貌。
――クコニ。三十一歳。専業主婦。なんとなくジュは小母さんを思い出す。おっとりとした雰囲気はよく似ている。
「……って、あれ?」
年齢を思いつかなかった? それどころか、その職業まで。
そこまでの能力は流石に持ち合わせていないはずなのに。
それがさも当たり前のように受け止めていた。その瞬間は。
能力が、進化している。
何も考えていないかった。推理しようとかそんな気はなく、ただお仕え候補の食事している姿を見ているだけだった。
だというのに、それぞれのお使え候補の情報が頭を叩く。
試しに、背後にいるミイを観察してみる。
ミイ=クイ。ニム。二十二歳。その情報が視えた。
それだけしか視られなかった。
ならば、今見えているこれは、あくまでも現在形……?
「…………」
まあ気にしないでおこう。
まさか自分がこんな便利すぎる能力、持っているはずがない。
仮にあったとしても、今この場で覚醒するのはいかにも不自然だ。何かの間違い。
どうせ今年は、あの女性がニムになるに違いない。ぶつかり合って勝てるはずもないのだし、余計な期待はしないでおこう。
そうジュは楽観的になることにした。
しかし。
「四人?」
ジュがその疑問を口にしたと同時、ミイはそれまで以上に硬直した。
「……申し訳ありません。たった今連絡が入りまして、少々席をはずさせてもらいます。ジュ様はこのまま観察なさって結構ですので。所用が片づき次第、お迎えします」
それだけを言うとミイはさっさと何処かへ行ってしまう。あの鈴の通信とやらか。確かに言っていた通り、ニムの時はなんの反応もしなかった。
こうしてジュは一人、取り残された形となった。ニム本来の職務もあるのだろうし、大体、ジュが迷惑をかけっぱなしなのだ。ミイを引きとめる権利はない。
「それにしても、一人足りないのは……」
誰が足りないのかと考えるまでもなかった。
全ての元凶なあの金髪の少女がいないのだ。
「――ふぅん。ちょっとは進化したんじゃない?」
「っゅ!?」
俄かに降り注ぐ、声の雨。
ジュの左後ろに、たった今考えていたばかりな金髪の少女が現れていた。
「いやさー、これはこれでいいけどねー。楽しくて」
そう言う少女は、面白い玩具を見つけた子供そのものな眼をしていた。
「……あ、の、貴方、は、どうし、て?」
「さっきも言ったじゃない。ミナヤ=クロックだって。いくら記憶力がないとは言え、忘れられるほどインパクトのない自己紹介をしたつもりはないけど?」
「その、食堂じゃなく、ここにいる、理由……」
「ふんふむ。やはりこういう風に成長したのねあんたは。いやー、自信つくわねえ。妾のやっていることは間違いじゃないんだなって。こういう時に実感するわー」
噛み合っている気がまるでしない会話。
いや、そもそも合わせようとしているのだろうか。
「あ、ちなみにあなたの【選眼】が進歩したのは、妾の魔のおかげだからね。いやあ、ちょっと背中を押しただけなのに、すぐこうなるとは。若いっていいわねえ、なんて」
そして感じる、重圧。今度は目の前の少女から発せられている。
しかし、あの黒髪の女性とは丸っきり違い、胸の奥に灯る暖かみ。
この人の御前であるなら、それだけで筋肉が緩む。力が入らなくなる。
もしトンと手で押されただけで、受け身も取らず倒れてしまう。
そのぐらい無防備になる。ならざるをえない。
今なら少女の言葉を無条件に信じることができる。
迷子の子供が母の姿を発見した安心。
生物的な本能からその正体を探ってみる。
「貴方こそ戯れが過ぎます」
しかしその探究心は、さらなる重圧でかき消された。
こちらは、礼拝堂の時と、同じ。
屋上庭園へと至る入口近くに、あの女性が立っている。
「どう……なってる、……んですか」
二つの異なる重圧。金髪の少女が出す重圧が光の重圧だとしたら、黒髪の女性が出す重圧は闇の重圧。
双方ともに、水と油以上に混ざることはなく、原液のままジュに襲いかかる。
こんなもの、普通の人間ならば、この空気だけでも体内の血が膨張し、破裂する。
「はいはい、分かってますよーだ。どうせ今の妾は傍観するのが仕事よ。全く、少しぐらい首を突っ込んだっていいじゃない」
「分かっているのなら話は早い。さらには、私の主張を受け入れてくれれば楽なのですが」
「…………? …………?」
分かるような、分からないような話を繰り広げる二人。
金髪の少女と黒髪の女性は口ぶりこそギスギスしている。なのに、何故か親しげだとジュは感じた。長年連れ添った息の合い方というのか。
傍目からしたら姉妹とも思えるような二人が、ここまで存在感で圧迫させることができるものなのか。
「ああ、気にしなくてもいいわよ、ジュ=ヤミ。この女、こうやっていっつも妾に突っかかってくるの。うざいったらありゃしないわよねえ」
「どちらの台詞ですかそれは。……とにかく、今はお戻りなさい。ただでさえ我儘を突きとおしたのだから、試験を見る立場としてこれ以上身勝手な行動は許されていません」
「まあまあ。塩の量を増やすぐらいの予定なら、はみ出てもいいじゃない。どうせ妾も今は単なる一般人よ。少しぐらい自由な時間があったっていいでしょ?」
「……したいことがあるのなら早く終えなさい。私はあなたのすぐ背後で待っていますから」
敵意をまるで隠そうともしない女性の強い口調。その敵の状態のまま、女性は少女の左後ろに立つ。
それこそ、いつでも首を掻き切ることができるような、そんな位置に。
「んー、と言われてもー、今ここであんたに言えることって、あんまりないのよねー。でもま、言えることがあるとすれば……あんた、かなり頭いいわ。もうほとんどの出来事はすでに知っててとぼけてるんでしょ。例えば、あんたのニムになったミイ=クイの正体とか」
「なんのことですか?」
ジュは素っ気なく言う。
「そういう態度を貫くなら、それも結構」
そもそも……と前置きをしておいて、金髪の少女は語り始める。
「『ミイ』は、モヴィ王族の姓名。モヴィ・マクカ・ウィに住んでいれば、辺鄙な田舎出身者でも知っていることよ。セゴナにおけるミナヤ=クロックのようにね。そんな大人物と知っておきながら、あんたはニムとして仕えさせている。恐縮ぐらいしない普通? 相当心臓が強いわよ。妾とこの子の前で普通に立っていられたことが、その証明かしら」
金髪の少女は背後で無言を保っている黒髪の女性を指差しながら言う。
なにを言う。反論をする脳味噌を脚の維持に努めさせることで、ようやく立っていられる程度の自分を相手に。
「大物よあんた。……あらら、もう言うことがなくなっちゃった」
「ならばさっさとお帰り下さい」
金髪の少女は「仕方ないわねー」と言いながら、黒髪の女性に連行されて屋上から去ろうとしていた。女性は苛立っているようにジュは感ぜられた。
「あ、そうだ」
少女はジュへ振り返る。
「最後にあんたへ、妾は一言だけ言うわ」
そう言った少女は、身にまとう雰囲気が、目に見えるほど変わった。
同時に、頭から押しつぶすように掛かっていた重圧が、すっかりそのまま霧散する。
それだけの留まらず、身体全体が綿に包まれたような、奇妙な安心感。今すぐ眠りたくなるような、充足の空気。
「――ふふ。あんたならこの壁を乗り越えられると信じていたわ。でも完璧を目指すなら、疑問として残したことを片づけておきなさい。そうすれば、完全たるニムの制服に身を包むことができるわ。……じゃ~ね~センパチサン」
別れの言葉を残しながら、ずりずりと女性に引きずられていく少女。そこにはつい今しがた見えた、人を空気だけで充足させる雰囲気などどこにもなかった。
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