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 今日この後は、それぞれ客室へ通されることになっている。本日の試験はこれで終わり。

 残った時間にすることは、一体誰が地位の高い人間か、一日掛けてじっくり考えること、それだけである。

 推理する材料は約三十分の談話で得た情報のみ。お仕え候補の五人に接触することはもう許されない。

 明日の朝になれば、早い者勝ちで奉公する主人を見定めなければならない。ニム候補が五人でお仕え候補も五人いるから、あぶれてしまうことこそないが。

「それでは客室に案内しますが、その前にお城で見学したい所はございますか?」

 ジュは、長くて紅い髪を一括りにしている(不思議なことに、針金で成形されているのではないかと疑うほどに、髪は全く揺れない)、一回りは年上であろうニムの礼儀正しい佇まいに、ただただ戸惑うばかりだった。

 自分は十年経とうが、ここまで立派な人間に成長できる気すらまるで起きない。それほどの劣等感。

 そしてなにより、完璧なる無表情には少なからず衝撃を受けた。

 ジュは僅か、ほんの僅かでいいのなら、顔を「視る」だけで、その人のおおよその人格が分かる。ジュは割と人懐こい性格をしているのだが、それはこの癖によるものだ。

 応対の仕方を間違えないのだから、対人関係を恐れず、どんどん仲良くなろうとする。

 それだというのに、ジュの目の前にいるこのニムは、全くどんな性格をしているのか分からない。

 今日はもうそればかりだ。視ることが出来ない人物が数多くいる。精々今日会った中で出来たのが、ニム候補の『三人』と、お仕え候補の『四人』。

「見学なさりたい場所がございましたら、僭越ながらニムがご案内します」

 この女性は本日限定でジュのニムとなった。これこそ本職のニム。一人称からしてジュにまざまざと見せつけてくる。ニムと自分で呼ぶなど。

「いえ、特別ない、です」

 大人から頭を下げられ、良い気分になれるほどジュは尊大な性格をしていない。こんな自分なんかに丁寧な応対をされたところで、反応に困る他ない。

「かしこまりました。客室はこちらです」

 凛と張りつめた背中を追う。遅くもなく、速くもない歩調。ジュに合わせてくれている。このさり気なく、それでいてきめ細かな心遣いときたら。

 そんな完璧な女性が働く、セゴナのお城。

 石造りの城内。外は太陽が燦々と輝いているが、熱気が籠ることはなく、気温は暑くもなく寒くもないといった、自然な温度で保たれている……というよりは、気温を全く感じない。この城の内部だけ独自の空調が効いているようにさえ思える。

 魔も技も介入することのできない、不思議な空間。そんな身体的に快適な空間に居るというのに、ジュの精神はとても冷たくなっていた。

 城の中はどこまでも厳かであった。流石は国の重要人物が集まる場所、壁の材質ですら伝統と歴史に重みに溢れている……と平凡に育ったジュは勝手にそう想像したりしてみた(実際には、この区画は数年前に改築されたばかり。歴史もなにもあったものではない)。

 調度品はどれも最新鋭。国の最高機関なのだと主張している。

 照明器具は点いているものの、部屋のどこも均一な明るさを保っているため、影というものができない。むしろ、影を作るための照明器具が存在するほど。

 城のどこへでも敷き詰められている絨毯は、体重を全て受け止めるという代物。卵をうんと背伸びしたところから叩き落としても、割れずに着地する。おかげで歩いていても膝を動かしている感覚しかなく、まるで雲の上でも歩くかのようにふわふわした心地がする(ちなみにジュはつい先日、雲は水でできていることを知った。この程度の学力と学習意欲)。

 この城の中という空間は、違和感を人間に覚えさせることを知らない。それこそが違和感となってしまう。

 普通とは違う、乖離された箱庭。

 神秘性すら感じる。

 これがニムの仕事場。あるかどうかも分からない未来へ向けて、想いを馳せる。

(そんな輝かしい未来は、もうわたしの目の前には存在しないのでしょうか……)

 ジュは落ち込んでいた。結局試験では何も出来なかったのだ。すっかり混乱してしまい、訊きたいことも訊けず、言いたいことも言えず。

 これでは一体なんのためにここまで来たのか。城へ観光しにきたのと何が違うのだろう。せいぜい特権と言えるのは、一般人には公開されていない施設にも特別に入る許可が得られたことか。しかしジュはそういうことには興味なしなため、有難みがない。

「ミナヤ様にでも頼るしかないんですかねえ……」

 心に思ったことが自然に口から出てきた。困った時の神頼み。

 普段はそこまで信じているわけでもないが、こういう都合のいい時だけ神に頼ってしまうのは、どうも悪癖だ。

 その名前を口に出した時、ジュはほんの数分前までの、談話の光景がぶり返してしまった。

 自らをミナヤと名乗った少女。やけに自信満々だった。冗談だったにしても、本気だったにしても、神のお膝元で神の名を名乗り、しかもなんたる態度を取ることか。

(あの子のせいで、わたしはぐだぐだに……)

「はあ……」

 何度目となるため息だろう。もう数えるのも面倒くさい。

「お嬢様。礼拝して行きますか? ここからなら、礼拝堂はそう遠くありませんが」

 呟きを聞いたニムは、ぴたりと立ち止まってジュに質問してきた。いつの間にやらジュの方を向いている。ただし目は閉じられていた。

 己というものを持たず、あくまでも影に徹するニムは、意思の押しつけをしないように、客人と会話をする時は目を合わせない。しかしそれでは相手に対して不敬なので、目は閉じても顔は合わせる。これがニムの礼儀。

「お、お嬢様って……わたし、そんな柄じゃないですよ。せめて、名前で呼んでください」

 お嬢どころか、平凡な育ちをしてきた。どこにそんな要素があるのか。ジュが持ったことのある最高の肩書きは「辺境にある村の、長老の孫」止まりだ。

「でしたら……ジュ様。これでよろしいでしょうか? それとも苗字ではなく名前の方がいいでしょうか?」

 再三確認してくる。相手を不快な気分にさせないようにと、あらかじめ二人の間で決めごとをしておくのはニムの役割だったか。

 一日だけの仲だとはいえ、少なくともあと十数時間は一緒にいるのだから、不快な芽は摘み取っておくに限る……と、ニム的にはそう思うのかもしれない。ニムでないジュには、その精神まで深く察することはできない。

「……? よく分かりましたね、ジュの方が苗字だって」

「二文字二文字の名前の組み合わせは、セゴナのものではありませんから。そして諸国の中で、セゴナだけが名前、苗字の順ですので」

 誰でも分かるような、なんとも素晴らしい推理力。ぐうの音も出ない。

 セゴナ人は基本、三文字四文字で名前が構成されていることが多い。それ以外の組み合わせだとほぼ外国人。そしてニムの推察通り、ジュは純粋なセゴナ人ではない。

「ニムって、そこまで相手のことを身通さないといけないんですか?」

「仕事をしているうちにできるようになります……と言いたいところですが、ニムになる必須能力の中に、顔を見ただけで相手の事情を全て把握できること、があります。これが全くできずにニムとなれた者は、歴代の中でもいないそうです」

(わたし、そこまでの能力、ありません……)

 ガガーンと、ジュは深く項垂れる。ジュも、人となりをなんとなく知るだけならできるのだが、そんなしょぼい能力、ニムにとっては有って無いようなものだろう。今目の前にいる、このニムのような仕事ぶりを見ている限り。

 大体、そんなものは初耳だ。一次試験のための教本にはそんなこと書いてなかった。

 必須能力だというのに、そんな大切なことを書きそびれるなんて。

 しかも、ここまで受けた試験の中にそれを試すことなんて、一つもなかっ、たの、に――それはまさに、今やったばかりの試験そのものではなかろうか。

 顔を見るだけで相手を把握しなければならないのなら、談話の場面では、むしろ談話などしてはいけない。相手を見抜く力がないのと同義語だからだ。

「はあ……」

 またため息。

 そう言えばあの中で一人、全く談話に参加しなかったニム候補がいたことを、冷静になった今、思い出す。

 他の三人は次々にお仕え候補へ質問を出し、少しでも相手の正体を見極めようと努力をしていたというのに、その女性は微動だにせず、空気と一体化するかのように、黙って部屋の背後で凝然としていた。

「……あれが、まさか」

 ジュの悪い予感の命中率は、五分五分。当たりもすれば外れもする。是非ともいい方向に転んでほしかったが、それはあまりも希望的観測すぎる。

 あの女性は、誰が自分の仕える主人なのか、すでに見定めていたのかもしれない。だから何も行動しなかった。

 ……もしこの推測が本当だったとしたら、その能力一つだけを取っても、間違いなくジュはあの女性にニムの座を譲らなければならない。

「はあ……ミイさん、礼拝堂に連れていって下さい……」

 もう神に頼るしかない。それで合格できるような試験でもないが。ようは、気持ちの問題。少しでも安らげばいいのだ。礼拝することで御利益くらいはあるのかもしれない。信仰なんてそんなものだとジュは考えている。

「――――」

 ジュの発したなんてことない一言に、ニムは眉をほんの少しとは言え、曲げていた。無表情を常とする、ニムが。

「どうしました?」

「いえ。申し訳ありません。今すぐお連れします」

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