4.42
「おい、嫌味の一つでも返してみろったら」
同僚の語気が強まるも大木は依然黙したまま立っている。お得意の下品な含み笑いもなく、怒っていたり恐れている様子もなく、泉の奥の水面に枯葉が落ちて浮かんでいるように無音不動で、隣で怒鳴っている同僚など歯牙にもかけていない風だった。思惑通りに運ばず面白くなく、虚仮にされ続けている同僚はとうとう詰め寄り、大木の眼前で凄んでみせる。
「何か言ってみろというんだ。これ以上馬鹿にするようなら暴力に訴える事になるぜ」
わざとらしく拳を振り上げられても大木は変わらない。その場には自分しかいないかのように立ち振る舞う。
これは私見だが、彼の世界には、彼と私しか存在していなかったのかもしれない。彼は私を待つにあたり、私以外の存在を認識から遮断し、私以外を見ないようにしていたと思えるのだ。
貴方はこの考えを自惚だと捉えるだろうか。だとしたら心外極まりない。貴方に対して私は紳士であり純真でいる。それなのに、自意識ばかりが強いエゴイストといわれたら傷つくだろう。貴方に限ってそんな冷酷な暴言を吐く事はないだろうが、万が一を考え、大木の精神的視野狭窄が真実であろう根拠を提示しよう。そのためには、再びあの日のでき事を記さねばならないから続きを読んでほしい。すまないね。いや、謝るのはよそう。いいだろう。僕と貴方の仲じゃないか。
どん。と、大きな音がして、一向に反応を示さなかった大木が地に伏す。辺りから小さな悲鳴が漏れ、「血が出ている」と声があがる。次第に狂騒が過激となっていき、巨大な渦となって大木と同僚を囲み始めた。退屈に飽いた暇な人間達が目を輝かせ、日常で起きた非現実的な事件を貪る。誰もが平穏な毎日に訪れた刺激に魅入られてしまった。
同時に私は興味がなくなってしまって、疲れ果てた。こんな事のために無駄な時間を労したと自己否定の念すら抱く始末。なにか、途方もなく無気力に陥ってしまい、顛末を見る事なく帰って食事もせず床に就いた。二人は既に、私の興味の対象外にいた。
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