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そんな彼と話すのも嫌になってしまって、「大事ないです」と述べ立ち去ろうとした。ただでさえ気分が悪い中、腹にむかつきを覚えたくはない。私は平穏でいたかった。いち早く彼から離れ、上長に早退を告げて帰宅した眠りたかった。処理できない苛立ちからの解放を脳が望んでいたのだ。
しかし案の定彼は解放してくれやしない。離れようとする私の前に立ちはだかり、「まぁまぁ」と窘めるようにして行手を遮る。
「時間なんざ気にしなくてもいいさ。今日は暇だからね。それより一服どうだろう。舶来物のシガーがあるんだ。君、煙は嗜むかね」
煙草は苦手だった。煙の臭いを臓腑に染み付かせる事にどの様な快楽があるのか知りはしない。好んで咥える連中が理解でず、度し難いと思っていた。故に「苦手なものですから、やった事はないですね」と遠回しに遠慮したのだが、「これも勉強さ」と、彼は無理矢理に私を外へ連れ出し、物陰でマッチとともに一本渡してきた。にやにやと値踏みするように、私の方をうかがいながら。仕方なしに、煙草を啄み火をつける。
「様になってるじゃないか。本当は味に覚えがあるんじゃないかい」
嘲笑する同僚に、「見様見真似です」と答えると、「遊び人の才があるよ」と言われた。不名誉この上ないが当人は誉めているらしいため、私は不本意ながら「どうも」と礼を示す。
「やはり君はね。存分に遊ぶべきだよ。僭越ながら僕が手解きをしてやろう。今日、身を預けたまえ」
立ち上る紫煙を眺めながら返答に窮する。どう断ろうかと知恵を絞るもご遠慮の言が入った引き出しは開かない。これまでなし崩しばかりだったから、鍵が錆びつき使い物にならなくなっていたのだ。
「じゃあ今夜。僕は戻るから、ゆっくり煙を呑んでいたまえ」
地に落とした煙草の火を革靴で揉み消して同僚は歩いて行った。土色に広がった灰が、苦々しかった。
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