3.20
私とミキちゃんの唇はとうに離れていて、先まで密着していたのが嘘だったかのように大きく離れていた。実は全てが夢幻であり私が哀れな妄想を抱いていただけかもしれないとも巡らせてみたがミキちゃんの唇の感覚はあまりに肉体に訴えかけてくるものであり、空想の産物としてはできすぎていた。なにより、依然直立して目を見開いている川崎の存在が、現実で起こった事であるという照明となっていた。私はミキちゃんと、確かに接吻したのである。
「どうも川崎さん。今日はいらっしゃらないかと思ったわ。ボトルでよろしいかしら」
川崎はミキちゃんの挨拶に「結構」と首を振るも、上擦った声色は安定のない甲高さで歳よりも幼く感じ、より不完全で未熟となった印象を受けた。威厳なく胸を張って小さな体躯を誇大している様はまさしく子供じみていて滑稽だったが、当人はまったくそんなつもりはないらしく、やはり妙な発音でミキちゃんに向かい、強い決別を表していったのだった。
「いや、いやいや。まさかね。こんな破廉恥な連中だとは思わなかったよ。えぇ。ミキちゃん。君は少しいい気になっているようだけれど、そんな大したもんじゃないんだからね。女手一つ店をやっているのが珍しくって、男連中の慰みになっていただけさ。その辺の売女と変わらない。いや、阿婆擦れをすっかり隠しちゃって男を騙してきたんだから余計に質が悪いよ。詐欺師といってもいいね。それに、店の中で男に抱かれちゃってさ。酷い人さ。下劣だよ。最低限のモラルくらいあるもんだと思っていたけれど、君にそんなものはなかったようだ。いやはや最近の女ときたら困ったものだよ。場所も立場も弁えず発情するんだから。汚らわしい」
矢継ぎ早にミキちゃんを侮辱し軽蔑を表明していく川崎。まったく醜い言動の嵐のため私はミキちゃんが心配になったが、不思議な事に彼女は笑いを堪えているような面持ちだった。正当性のない誹謗中傷と年齢不相応な立ち振る舞いが道化のようで可笑しく思えたのかもしれない。現に私がそうで、部分部分で笑いを堪える場面があった。彼がコメディアンとして舞台に立ったら一挙に喝采を浴びて尊敬の眼差しを集めたに違いなかったろうが、実際にはステージではなく場末の酒場で、客も私とミキちゃんの二人しかいなかったため、川崎が一流のスターになる事はなかった。だが、それでも彼の独壇場は留まる事を知らない。
「それから君」
川崎は今度、私を顎で刺した。次の演目は、私が彼に酷評される番らしかった。
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