3.18

 店に入ると客席がすべて空いていて、椅子に敷かれた薄い座布団にはへこみさえなかった。夜も中頃だというのに誰も訪れた気配がなく、飾られている招き猫が申し訳ないような顔を浮かべているような気がした。



「今日は暇なんです」



 人のいない店内を見渡していると、カウンターの奥で座っていたミキちゃんが立ち上がり困ったなという顔をしていた。私の不躾な立ち振る舞いは配慮に欠けた行為であったため、以降、気をつけるようにしている。



「座ってください。お酒飲みなさる。おビールでいいかしら」



 彼女の妙な日本語に頷き瓶ビールとグラスをいただいた。





「最近ご無沙汰だったじゃないですか。いい子でもできましたか」




 ミキちゃんは揶揄うように笑った。私が「そんなんじゃない」と否定しても、「ふぅん」と悪戯っぽく言うだけで一向に耳を傾ける気がない。どうにも様子がおかしかったものだから、ついに「どうしたっていうんだい」と聞くと、彼女は「聞いちゃったんですよ」と話を続けたのだった。



「川崎さんが、あの人はお店の女に夢中になっちゃってね。なんて言っていたんです。以前、お二人で女の子のいるお店でお遊びになったんでしょう。その時、席に着いてくれた子と仲良くなられたって」



 とんでもない誤解だった。川崎がそんな風に吹聴しているとは夢にも思わず、私は彼らの酒の席の中で小馬鹿にされていたのだった。思いがけない屈辱に私は持ち上げていたビールグラスを卓に戻して「それは嘘です」との弁明を試みると、ミキちゃんはくすくすと、「知ってます」なんて笑った。




「川崎さんったら、すぐ人を笑い物に仕立て上げるの。ほら、本田さんっていらっしゃるでしょう。いつか川崎さんに食ってかかっていた方。あの方も、似たような目に遭ってらっしゃって……」




 淡々と語るミキちゃんの話に声を聞きながら、川崎の卑劣な流言に対する苛立ちを必死に抑えていた。賑やかさが消えた場末の、凍てついたカウンターで我を保つのは難儀だった。

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