3.13

 貴方に向けて記載するこの手記については、日記なのか自伝なのか記録なのか心理療法の経過なのか分別に迷うところである。どのように分類したところで内容が変化するわけでもないのに、私という人間は妙なところで細かいところがあって気になってしまう。貴方にとってはいずれであっても大差ない、取るに足らない選択だろうから、こんな事でお時間を取らせてしまって申し訳ないのだけれど、これは私が記載している、私が主語の文章であるから、「くだらないね。読むのを止めるよ」なんていわず、これくらいの我儘は目を瞑っていただきたい。いいかね? ありがとう。


 では話に戻るが(脱線している事に変わりないが)、この手記の分類について、瑣末な問題ではあるものの重要な位置付けでもある。例えば日記であると断言してしまった場合、何月何日にこんな事が起きたとしっかり記帳したうえ、振り返って過去を懐かしむ効果がなくてはならない。それでいうと、まず私は日付なんてものは重視しておらず、だいたいの季節感で、いや、それすら無視して、発生した事情と心情だけを書いている。おまけに曖昧となっている部分も少なくはないし、誇張している可能性も大いにあり得る。それで日記と名付けるのは恐れ多く、あまりに厚顔ではないだろうか。日記ではないと判断するのが妥当だろう。記録という呼称も、同じ理由で適切ではない。

 自伝はどうだろうか。日記に比べるとしっくりくるが、なにやら物々しいし仰々しい。偉人でも成功者でも資産家でもない私が、自らを伝えるというのは(やっている事は同じにしろ)烏滸がましい話だ。それに自伝というのは書いた人間が神格化される傾向があり、さも聖人ぶって「私の人生は素晴らしい」と訴えかけてくるのである。私はそんな主張をするつもりはないし、そもそも人生を素晴らしいとも感じた事がない。誰かに対して私を喧伝する気もさらさらないのだから、自伝も正しくない。

 心理療法の過程。一見これはしっくりくるが、残念ながら私は病人でも医者でもないのだ。あまり人を馬鹿にすれのは止めてほしい。


 埒があかなくなった。いっそ、どう分別するかは貴方が決めてくれたまえ。貴方が日記といえば日記だし、自伝といえば自伝。カルテと仰るのであれば、遺憾であるがそういう事にしておこう。いいかね? よろしい。ようやく話の続きができるようだね。それでは、貴方が定めたカテゴリィとして続きを読んでいただこうか。

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