3.10

 酒のせいか少し動くだけで汗が流れ、肺の動きも鈍くなっていて呼気の乱れが顕著であった。なんの事はない距離にも関わらず足の自由がなくなっていくのだ。僅かな距離を移動するのも難儀で億劫で、辿り着くのが寝床であればいいのだがそうではなく、何処か知らない、誰がいるかも分からない川崎行きつけの場所とやらというのだからより重鈍となり、気分も歩みも際限なく圧が強まっていく重力の影響を受けるのだった。

 どこをどのように辿ったかも覚えられず川崎に送れぬようについて行く。途中、街頭の明かりで時計を見ると十分も経っていなかった。もう一時間は歩き詰めているつもりであったが、何度針の位置を確認しても変わらない残酷な現実は私を唖然とさせた。そして街灯から離れるとまた闇に戻る。影すら覆う夜闇が続き、また街灯があって、時計を見て、長短針が先までと差がないのに溜息をついて、まだまだ歩いて、ようやくまとまった光が現れると川崎は止まり、おびただしいネオンを背負って言うのだった。



「こちらです、こちら」



 目を閉じても眩む光量に痛みを覚え返事さえできず、半分開くのがやっとの瞼を痙攣させながら屋号を追ったが掲げている字面でさえ直視できないエネルギーに圧倒された。もはや夜への背信行為でさえあった。酒が入り憤怒してこの光景。しりしりと、内の中で正気の削がれていく音がする。私は体面も建前も忘れて「帰る」と一言。踵を返し、不確かな道程を戻ろうとしたのだが、ぐっと腕を掴まれた。



「まあまあ。ここまできてそんな不義理をせずとも。いいお店ですから」



 川崎の力は強く、みるみるうちに引き摺り込まれ光の中に呑まれていった。無闇に大声で出迎える男が川崎を見るなり壊れそうな笑顔をより強調して会釈していて気味が悪かった。



「兄さん(川崎のことを指しているようだった)久しぶりだね。最近ご無沙汰でしたけれど、誰ぞお相手でもできましたかね」


「そんなところよ」



 いつもと違って川崎の振る舞いはコメディで見る権力者のようだった。彼のいうお相手とはミキちゃんの事であるがそれを知るのは私だけで、笑っていいのか呆れていいのか決断しかねたか、口は災いのもとという認識はしっかりとしていたので何も言わなかった。

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