3.9

 何を血迷ったのか川崎は私にもう一件付き合えというのだった。この時の心境たるや混迷極まり、これ以上彼は何を求めているのか、私と二人で、ミキちゃんのいない酒の席で得られるものがあるのだろうか。私は失うものしかないというのに。と、直向きに否定的だった。





「あら楽しそうじゃありませんか。今度、私も混ぜてくださいよ」


「今度といわず、今夜でも」


「ごめんなさい。またの機会に……」




 体よく断ったミキちゃんは私達が席を立つ前に手際よく店仕舞いの準備を行っていて既に閉店気分である。暖簾も取り込み、厨の火も落としてしまって、注文のしようも来客を招くつもりも手段もなく、酒や料理の匂いもすっかり消えてしまって酒場としての美徳(背徳だろうか)が完全に失せてしまい、バッカスなどが見たら発狂でもするのではないかと不毛な心配に浸る。彼女はもう女将の顔から一人の疲れ切った女の顔になっていて、くたびれ方に意味もなく申し訳なくなるのだった。ともすれば彼女は白髪の量が増えそうな困憊具合であり、私はいち早く離れ、ミキちゃんに安寧を与えなければと義務感のまま立ち上ると「では参りましょうか」と断腸の思いで川崎に付き合う事にしたのだった。





「じゃあミキちゃん。また」


「はい。楽しんでらしてください」




 暖簾が外された戸を出て二人で歩いた。会話はなく、足音と川崎が鼻を啜る音が聞こえるばかりで物悲しく、さりとて語り合う仲でもなし。無言が最も居心地よく自然体でいられたが、そうなると川崎の存在がいよいよ不要で、どうしてこんな夜更けに肩を並べて歩幅を合わせなければならないのかと根本からの疑念に頭と心が蝕まれ人格乖離が起きるのではないかと気が気でなかった。ここで狂えば私は生涯川崎の酒の肴となるなと、あの場末の居酒屋でミキちゃんに「いやあの方が暴れ出した時は本当に困った。最初から正気じゃないと思ってたんだ」などと笑い物にするに違いなと思い、そんな屈辱をうけて生きていられるものかと、夜風に吹かれて理性を保っていた。

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