3.8
「随分無口なんですね」
ミキちゃんが黙って酔っ払っている私に酒を注ぎながらそう言った。時間は日付が変わる前、結局いただいた一杯では足りず、こうなったらとことん居座ってやろうとボトルをおろして「勝手につくってください」と当て付けてから始めて声がこちらに飛んできた気がした。彼女はそれまでずっと相槌ばかりで、たまに私の酒を作ってはまた相槌を繰り返すという具合に忙しなく、時には額に小さな汗のつぶができていたのだった。客は私と川崎しかいないのに大変な事だなと思ったが、むしろ私と川崎しかいないのだから引き留めて機嫌を取り売上を嵩増ししてやろうという商売人根性があったのかもしれない。現に私は飲みたくもない酒を頼まざるを得なくなっていた。
「男は余計な事をね。喋らないのが一番なんだよ。ね」
私の返答を待たずして川崎が代わりに弁を述べて酒を舐め、そしてまた彼の話が始まると、一向に尽きない話題に感服しつつ辟易とする。彼の自慢話はどれも画一的で、ずっと味のない心太を噛んでいる気分になる。誰彼がこう言っていたけれど古臭い事このうえなく、自分はもっとアバンギャルドなんだという主張を何度も繰り返して誇るのだ。私は彼の価値観や思想について何も思うところなかった。何一つとして響くものがなかった。それを際限なく聞かせられるのだから堪らない。貴方も少しばかり考えてみてほしい。自分のすぐ隣で、共感も関心も持てない自己顕示を拝聴する苦行を!
「こっちばかり喋りっぱなしで申し訳ない。気持ち良くって、楽しくって」
終いに私の酒まで自分のグラスに注ぎ勢いよく鯨飲していった川崎は悪びれるでもなく「いいお酒ですね」などとのたまった。さすがにミキちゃんが止めて一杯で済んだが、彼は完全に私を支配下においたつもりになっていた。そうでなければ、あんな台詞はきっと吐かないだろう。
「そろそろお暇しようか。河岸を変えましょう。いい場所を知っているんですよ、私は」
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