3.7

 ミキちゃんが勝手口から戻ってくるのを見計らって川崎はまたやんやと喋り始めた。その多くが一方的な自己肯定論と、多分に脚色されたであろう彼自身の英雄譚であって、ミキちゃんは「そうなんですね」と暖簾に釘を打つみたいな返事ばかりだったが、それでも川崎は嬉しいらしく、にやけ面で更に早口となっていくのだった。おかげで会計の機会を逃してしまって、ようやく一間の静寂が訪れたのは時計の針が一周した頃合いである。それまでずっと酒を煽っていて普段より酔いが回ってしまっていた私は、やや覚束ない状態で金を取り出しお暇の旨を伝える。もう十分過ぎる夜を過ごしたたのだ。いち早く帰宅し、川崎の無礼を忘れたかった。夢と共に朝露に消えゆくのが望みだったが、それが叶わないのはご覧の通り。しかし、現世からひとときでも離れ無感情の死体みたいになりたく、逃避を求めて金を投げて放り出すと、私は席を立った。





「おや、もうお帰りですか。やめましょうよそんな意地悪。まだ宵の口じゃありませんか」





 それを阻止したのが川崎だった。

 彼は私の腕を掴み、立ち上がったところを無理やり引き戻して再度着席させたのだ。身体も心も非力な私は抗う事もできず、引っ張られるまま身を任せ、なされるがままとなってしまった。

 私は彼の暴力ともいえる行為に意識が白く染まって呆然のまま空になった杯を見つめる。脳の活動が正常に戻るまで随分経ったように思う。けれど、少しずつ血が回り始めて思考がまとまっていくと、彼の言いなりになる必要はないという判断に舵が切られ、再び立ち上がる力を込めた。だが、その瞬間を見計らってか、ミキちゃんまでもが次のように言うのだった。




「お酒、お注ぎいたしますね。こちらは奢ります。どうぞ飲んでいってください」



 杯に酒が注がれ、とうとう帰るわけにはいかなくなり、渋々と満ちた酒を啜り頬杖をついた。聞こえてくるのはやはり川崎の独言と変わらないお話と、ミキちゃんの相槌だった。

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