3.2
仕事を辞した私はしばらくフーテンを気取って日夜飲み歩くのを生業としていた。金を得られないのに生業と表するのは不適切だろうが、赤子は泣くのが仕事という共通の認識が広まっている事を考えるとあながち誤った言い回しでもないように思う。それに、店先で仲良くなった方からたまに一杯ご馳走になったりする事もあるわけだから、飯の種といっても間違ってはいないだろう(仲良くといっても酒の席でできた友情など、やはり酒と一緒に流れてしまう程度のものではあるが)。普段は地中の中にいる蝉の幼虫と同じくらい静かに潜んでいるのに、酒が入ると上機嫌となって饒舌になるのだから私もあまり上品な人間ではないなと、酔いが冷め切ってからも頬を赤らめたりする。貴人のように僅かな葡萄酒を舐めるうに嗜めたらどれだけ素敵かしらんと夢想しつつも、ついつい多量に飲み干して調子良く酩酊し前後不覚となるのが常であった。川崎とも、よく飲んで曖昧なまま知り合った人間の一人である。
「やぁミキちゃん、どうかな。座れるかい」
私が一人で安酒を煽っていると、いやに陽気な様子で暖簾をめくった男がいた。
ミキちゃんというのはその店の所謂女将、あるいはママさんと呼ばれる主人で、若いながらに酒場を切り盛りしている気立てのいい女だった。
彼女に対しては賞賛も批判も集まっており、批判については嫉妬、やっかみに属する声が大半であった。若い女というだけで色眼鏡を通して見られる事が多いのだろうが、彼女を庇う者たちはそうした見方が強まれば強まるほどに愛着が湧いていくようで、誰しもが「僕は彼女の事をよく知っているんだ」と口を揃えているのは愉快でもあり恐ろしくもあった。
ミキちゃんは川崎に対しては「はぁい」と返事をした後、隣を失礼していいか私に確認を取った。手狭なカウンターだったので内心断りたいところであった。けれど、無下にするほどの胆力もなく、また、楽しく酔っ払っていたため私は二つ返事で快諾し、隣に見知らぬ男が座る事を許したのである。すると彼は、「どうもすみません」と随分低姿勢で空いている席に収まり、肩を縮めて電気ブランを注文したのであった。
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