3.1

 長々とお付き合いいただいたわけだが、もう少しだけ私の告白をご拝読願いたい。ここまでで読んで、「いいやもう結構。君という人間を十分に理解できたよ」などという血の冷たい事を仰るのは止してほしい。大変勝手ではあるが、私は貴方に対して友情を感じているのだ。

 私は貴方について何一つ知らないが、少なくとも貴方は、私がどういう人間でどのような人生を送ってきたのか、片鱗くらいは垣間見た筈ではないか。私の心の内を、貴方は知ってしまったのだ。であれば、私の気持ちも分かるだろう。誰にも本性を曝け出せなかった私の気持ちが。


 人というのは誰しも誰かに対する仮面を被っているもので、AにはAに合わせた、Bには Bのために誂えた造形の物に都度変えている。人によって掲げる建前は異なり、立場も肩書も含めた相応の立ち振る舞いを見せ、欺いているのである。本性を明かせる人間というのはほんのごく一部であり、素性を隠さず腹を割って対話できる人間の存在がいかに偉大か、言葉にするまでもない。私にはそんな人はいなかった。今は貴方がいるが、貴方以外いないのだ。私は常に、誰の前でもそれぞれ違う仮面を被って生きていた。


 貴方はこれを八方美人や二枚舌などといって揶揄するかもしれないし、もしかしたら共感いただけるかもしれない。残念ながら私にそれを知る手段はなく、これまで通りただ私が書いた内容を読んでいただく他ないので、私の都合がいいように、貴方の心情を描かせてほしい。貴方は、私に対して酷く立腹し、「誰もが自分と同じように卑なる根性を持っていると思わない事だ」と罵る。そういう風させてもらうから、そういう風に考えてほしい。後生の頼みだ。聞いてくれるだろうね。ありがとう。では、筆を続ける。





 

 貴方は私に対して酷く立腹し、「誰もが自分と同じように卑なる性根を持っていると思わない事だ」と激昂しているだろう。

 返す言葉もない。仰る通り私は卑なる人間でありどうしようもないのだから、私を基準に物を考えるのは上等ではない。とはいえ、人によって態度を変えるなんてのは一般論であり、不特定多数の誰かに当て嵌まる性格ではないだろうか。差異の大小こそあれ、人格の裏表はほぼ誰にでも存在し得るのである。殊、愛という感情を前に身に付ける仮面については、各々が一家言あるように思う。


 そう、愛。愛だ。尾谷と栗山についてもある意味愛ではあったが、語るのであれば、もっと相応しい人物のエピソードがある。あれは私が仕事を辞めてすぐの事だった。

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