2.14

 栗山が尾谷のものとなり歯軋りをしていた事実は先にも述べているため殊更に強調するのは控える。私がこの場で提起したいのは、彼女の俗気からくる卑しさである。尾谷が小気味良くアーティストの身分を詐称していた時は権威にしがみつき、それが露見すれば自分は俯瞰していて戯れていただけと謳う。これを粗陋といわずしてなんといおうか。私に聞かせる事で名誉を守るつもりだったかもしれないが、返って見方は正反対に変わってしまった。愛嬌のあった笑顔に現れる靨は痰壺に、髪を掻き分ける仕草は虱を追い払っている風に思えた。何をするにしても彼女の背後には汚物が張り付いていて、言動全てが嫌悪の対象となってしまった。もう以前と同じというわけにはいかなかった。そうなるともはや尾谷などどうでもよくなってしまって、どうして私は彼を蛇蝎の如く嫌っていたのだろうかと不思議にすら感じた。彼が私とは馬の合わない詐欺の類であるのはその通りなのだがそれについてはすっかり抜け落ちてしまっていて、過去に感じた不快感などないに等しい状態だった。今思い返してみると私の方こそ俗気に塗れた程度の低い人間であると見做されても仕方がない。だが、この内に秘めた他者への軽蔑と悪評は貴方しか知らないのだから、同属の面々よりはマシだろう。五十歩百の無様ではあるが、この文章は私の自己満足を促進するために認めている側面もある。どうか、ご容赦いただきたい。






 喋り倒した栗山は空になったグラスをソーサーに振り下ろしカンカンと鳴らして「分かっていただけたかしら」と痰壷を見せたので頷くと、「よかった」などと言って席を立った。




「また、ご一緒しましょうよ。いつでも呼んでちょうだい」




 その言葉に、私は再度頷く。栗山は満足したのか、「約束ですよ」と手を振って去っていった。



 それから約束を果たす事はなく、彼女とは私の退職という形で決別を果たした。聞くところによると彼女もその後すぐに辞表を出したらしい。尾谷についつも同様だったが、彼の場合は連絡もなく蒸発したという話だった。


 あの日の記憶だけ残り、あと皆、散り散りとなって生きている。尾谷も栗山も、どこかで同じように生きているのだろうか。それとも、まるきり違ってしまったのか。私がそれを知る術はない。ただいえるのは、私は何も変わっていないという事だけだ。

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