2.12

 驚く事に私はこの時、尾谷の不幸を可哀想だなと同情の目で見ていて、彼の評価が落ちていく事に欣喜雀躍という具合にはならなかった。これを偽善であると断言されたら反論の余地もなく認めざるを得ないのだが、貴方がそう呟く前に一つ釈明をさせてほしい。


 私が尾谷に抱いた怒りは本物で、どうか痛い目に遭ってほしいと神仏に願っていたのは事実である。実際、この頃の私は床の中で彼の転落を夢想しけらけらと笑い声を上げていたし、秘密が暴かれ始めた最初は心中で喜悦の咆哮を轟かせていた。けれど、目の前で自身の虚栄を見透かされ衆人の慰み者となっている彼を眺めていると、どこか後ろめたい罪悪感が押し寄せてきて暗い気持ちになるのだった。


 その感情が一層強まったのは、同僚が話題を持ちかけた際に疑惑の表情を浮かべた栗山が喋り出した瞬間であった。




「どうかなみっちゃん(栗山は下の名を美代といって私以外の多数からみっちゃんと呼ばれていた)。尾谷先生の作品はご覧になっているのかな」


「いえ……」



 困惑した栗山の声は明らかに沈んでおり精神が衰弱しているとはっきり看破できた。同僚にはそれが愉しくて堪らないらしく、更に調子を上げて猿のようにきぃきぃと喚くのだった。



「おやそうかい! では本日ご一緒にご鑑賞と洒落込もうじゃないかい! 私は二回目だけれど、何度観たって構わないんだ! なんたって、彼の絵はまったく素晴らしいアートなんだからね!」




 同僚がわざとらしく仰け反ってみせると周りもそれに合わせ、ますます猿山の様相となった。黙っていたのは尾谷と栗山と私と、それと一部の良識人と感情に乏しい人間くらいであった。そして静まり返ると、今度はくすくすとした忍び声で満ちたが、沈黙していた人間はやはり口を閉じたままだった。尾谷と栗山を見ると犯していない罪の意識に苛まれ、酷く、心臓が痛かった。

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