2.8
その後の行動を記すのには居直る勇気がいる。二人を眼中に入れず颯爽と入室し、「お気になさらず」という体裁で仕事の準備に入れたら格好もついたのだが、私はその場から、可能な限り音を出さぬように努力し背を向けたのだった。ままならぬ事態に、頭皮を選択したのだ。
外は変わらず冷たい風が吹き露出した肌を切り裂いていったが、既に手袋を忘れた迂闊など彼方へと飛散していて、代わりに抱き合い唇を重ねていた二人がいつまでも居座っていた。栗山はどうして尾谷などの歯牙にかかったのか、奴よりも優良な人間など見つけられない方が困難だし、都合の良い男など星の数ほどいよう。何故よりによってあの卑劣で薄情な詐欺師なのか。思案を重ねても、どうしたって算盤が合わない。
この時の私は狂っていた。尾谷と栗山への憤怒に身を任せ、どんどんと事務所から遠ざかっていくも向かう先は不明。一刻も早く逃避をせよという誰に下されたものでもない使命を全うせんとしていた。あれだけ破滅を欲していた栗山に対し、どういうわけか相反した想いを寄せていたのだった。
私は栗山を好いていたのか。
浮かぶ自問に、否定をぶつける。
私はそれまで、あの女に対して特異な情など持ち合わせていなかった。事務所に行けばいる同僚の一人でしかなかったし、いつかいなくなったとて、がらんと空いた机に少しばかりの虚無感を覚えるも、代替として入ってきた人間がその穴を埋めるだけだろうという認識だった。尾谷が彼女を攫っていってもその考え自体に変化はない。栗山は相変わらず、私にとって他人であった。身体に走る激情は、やはり尾谷への義憤、いや、私怨が要因であり、栗山への憎悪は幻肢痛と同じで本来なら存在しない、偽りの煩悶であった。
なんでもいいじゃないか。
我に帰った私は残していた業務を思い出し踵を返す。時計を見ると、既にいつも通りの頃合い。今から再び自席に座ったところで遅れた分は取り返せない。
「いっそこのまま何処かへ消えてしまおうか」
誰に聞かせるわけでもない冗談をごちると乾いた笑いに空気が白み、身を震わせた。私は足早に来た道を戻りながら、頭の中で栗山の顔を塗りつぶしていった。
心に残ったのは尾谷への恨みのみとなった。
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