2.3

 尾谷と栗山について話を戻そう。貴方も、その方が幾分かの興味があるだろうから。


 

 さて、実はなのだが、尾谷が私の隣に座った時、彼と栗山には、少なくとも私の目に見える範囲では接点がなかった。二人の間には人頭が列をなせるくらいの余地があり、気心も知れず、気安さもない、明確な他人という相関性が明らかとなっていた。

 認識が崩れたのはその翌日である。尾谷は何を思ったか、しきりに栗山に向かって無駄口を叩きに向かって行って、彼女の前で鼻息を荒くするのである。これに、栗山は持ち前の愛想の良さで答えるのだった。尾谷がそれまで見せてきた良識人としての立ち振る舞いが功を奏し、栗山も周りの人間も彼の表層を剥いだ先にコールタールが潜んでいるなど思いもしないのだ。尾谷が、こういう物言いは大変下品ではあるが、栗山を手籠にしようと画策しているのを察知しているのは私ばかりで、誰も彼も尾谷の本性に疑いすら持たない。集団で見る幻覚である。


 だがそんな見方をしていても、変わる事は皆無なのである。皆に言って回ったところで「妬いているのかい」と揶揄われるだけだろう。普段から物静かにしていた私にそんな噂が立てばたちまち渦中の人となり、私の安息と尊厳は衆人の手によって握り潰されてしまうのだ。貴方が私を理解してくれているのであれば話は早いが、そうでない可能性も踏まえて、改めて私の性格について語るのを承知していただきたい。

 ここまで私は人心のない冷たい人間だという風に思われているかも知れないが実際は繊細な質で、他人の好き勝手を許容できるほどの大器は持ち合わせていない。私への誰かの評価は私を落ち込ませるのに大きな威力を発揮し、一度値踏みされてしまえばたちどころに挫け、立ち直れなくなってしまう。今でこそ努めて飄々な人柄を披露しているわけだが、実際文章を一筆記す度に心音が不安の高鐘を鳴らして、隠れている本来の私を呼び戻すのだ。その度に私は私に「心配しないでくれたまえ。どうってことは無いから黙って見ていなさい」と、優しくも厳しく直座を命じ、再び筆を取るのである。


 どうしてそんな真似をと、貴方はいいたいのだろう。さて、どうしてだろうか。私自身、何かを内に飼っていて、そいつが、空腹を訴えるのと等しく、満たされない欲望を発散させたいのかも知れない。そしてそれが事実であれば、最初に退屈を受け入れているといった事への矛盾となってしまう。だが、私はこの辺りの我欲を把握していない。ともすればないものと同義であり、矛盾か否かという問題は無事解決するのではないだろうか。いずれにしたって、私は私であるから私を客観的に見られない故に、真偽を確かめる術を知らない。さぁそれよりも、話の続きといきましょうよ、貴方。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る