2.1

 古今東西で使い古された言い回しではあるが、この一文を目にしているという事は、貴方はページを捲られたのだろう。結構。大変よろしい。これで、話をするのに遠慮はいらないというわけだ。

 貴方が義憤に駆られた仁の人なのか暇人なのかはこの際置いておく。こういっては失礼かもしれないが、貴方がどのような人であろうが、私にとってはどうでもいい事柄である。気分を害されたのであれば申し訳ない。しかし、ここから先の内容は読み手の貴賤、貧富、老幼、男女の差に関わらず、それ程大した内容ではないと理解されるだろうから、つい投げやりな物言いとなってしまった。それについては詫びよう。私がこれから述べる内容は貴方にとってそれほど重要なものではない。そうだな、街中場末で飲んだくれてくだを巻く酩酊者の戯言とでも捉えていただければ塩梅の目分として申し分ないから、そんなつもりでいてほしい。

 そもそもご承知の上でページを捲られたのだから、これは要らぬ配慮だったかもしれない。けれど人間というのはどうしたって他者の心の内が分かるものではないのだから、ついつい無用な気遣いをしてしまうものではないか。甚だお節介かもしれないが、善意として受け取って頂ければ幸いである。あぁしかし、そんな気配りを真に受けてしまって、彼は酷く増長したのだった。そのだらしなく膨れ上がって、ベルトの外輪から逸脱した腹と同じように肥大した彼の自尊心は建前の賛辞でさえ貪る悪食ぶりで、人々が彼に向ける愛想笑いにはいつも冷淡さが含まれていた。



 彼と出会ったのは私が働きに出て丁度三年が経つ頃だった。「おはようございます。よろしくお願いします」と、新参者としての挨拶する彼の顔はいやに幼く見えたが、一端に世を歩いてきましたというような自信と世間ずれした嫌な目付きをしていた。私は咄嗟に眉を顰めてしまったが、彼は気が付かなかったのか相変わらずにこにことしていて、恥ずかしながら安堵した。そうしてようやく「よろしくお願いします」と言って頭を下げて名前を聞くと、彼は尾谷と名乗った。


 尾谷は表面上よく洗練された一般常識人の仕草で話すものだから、人々はこぞって安心し、自らも似たような、極めて常識的な立ち振る舞いで相槌を打っていた。共通の認識が揃えばそれだけである程度の気心が知れるもので、尾谷はすぐに会社に溶け込み、皆も尾谷を受け入れていた。しかし私は、どうも彼の、妙にちぐはぐな表情が気になってしまって、挨拶をして以来まともに話せずにいたのだった。

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