第32話 邂逅




 見上げた空には雲一つなく、どこからどう見ても晴天だ。照りつける日差しが地を温めていたのだろう、俺の背が焼けるように暑い。身体中が悲鳴をあげている。もう一歩も動けそうにない。このまま、ここで眠りにつけたら…






 「何を休んでおるのだ。さあ、立て」



 「ハイ!」


 俺は勢いよく立ち上がり、剣を構える。剣を向けている相手は、帝国最強の男アブディラハムの爺さんだ。


 既に両手で数え切れないほど転がされているが、俺の剣は一向に擦りさえしないのだ。俺は奥の手を使う事にした。


 魔力を練り上げるのに集中する。


 意識を左手へと向けた次の瞬間、ブーストを使っても三歩は必要だろうという距離を詰められ、眼前に切迫していた。

思考が追いつかない。訓練用の木刀が無防備な俺の脇腹を抉る。気づけば横にぶっ飛ばされ、痛みが後から襲ってきた。


 「隙だらけだ馬鹿者。何かをしようとしたのは分かったが、小手先の技を仕掛けた所で基礎に差がある場合は通用せんぞ」


 返す言葉もない。分かっていたはずだったが、同じ事を繰り返してしまっている。


 「儂の剣を受けてみて気づいたことはないか?」


 「いっぱいあるけど、一番驚いたのは剣を受けた時の重さが普通じゃない」


 「儂の身体を見てみろ。どう見ても力なんぞ無さそうな細い腕だろう?それでもあれくらいの威力が出るのだ。何故だと思う?」


 「同じ武器で筋肉量は俺の方が上…でも、剣の威力で負けている……振る速度?」


 「惜しいが、発想は悪くない。答えは握りにある。当たる瞬間にだけ力を込めるのだ。そもそも剣は振り下ろすだけで人を殺める事ができる。余計な力を込めた所で、無駄でしかないのだ。最初から強く握っていたら、狙い通りに切れないだけでなく、長時間の戦闘で先に体力がなくなってしまうだろう。だから構えている時は、落ちない程度に支えているだけで良い」


 「そんな事で剣の腕が上がるの!?」


 「当然、基礎訓練を積み重ねればだがな。他に聞きたいことはあるか?」


 「うまく説明できないんだけど、踏み込もうとすると、斬られる気がして止まっちゃう瞬間が何度かあったんだ。あれって何かしてたの?」


 「ああ、あらゆる方法の揺さぶりを試した。一番効果があったのが殺気をぶつける方法だったな。逆に効果が無かったのは隙を作って誘う方法だが、そもそも気づいておらんだろう?お主はもう少し読み合いを意識した方が良い」


 「もう一本お願い!」



 そこから、さらに何回転がされたか分からないくらい転がされ悔しい思いをしたが、それ以上に強くなれる道が見えた事が嬉しかった。


 俺は毎日の基礎訓練に、数日に一度アブディラハムの爺さんと模擬戦を行い腕を磨いた。


 余談だが、この訓練にガザルさんを誘ってみた。露骨に目を逸らして、『そういえばやらなきゃならん事があったな。トウマ頑張れよ』と分かりやすく逃げられた。




 フリーデ合衆国の建国宣言日から一月が経過した。


 今のところ獣人国から動きは無い。結果だけ言えば、元リンドの町の民達は、ごく一部を除いてフリーデ合衆国の民へとなった。多くの民が、現国王に対して良い感情を抱いていなかったようだ。


 ごく一部というのは、アブディラハムに簀巻きにされた三人の役人とその家族である。彼らは国を出て、獣人国王都へ向かうそうだ。あれだけ息巻いていたのに、出際の表情が死人のようになっていたのがとても気になった。おそらくどこぞの恐ろしい鬼が、キツい脅しを掛けたのだろう。少し気の毒だった。




 宣言の翌日から、ガルシア王は領土の家や店を自ら歩いて周り、一人づつ丁寧に声掛けを行った。後から聞いた話だが、昔獣人国の国王だった頃に同じ事をしていたらしい。どうりで年寄りの方達が、お帰りなさいだとか久しぶりですねだとかにこやかに声を掛けてきたわけだ。




 ガルシア王達が、最初に行った政策は五つである。


一つ目は、農地の大幅な開拓

二つ目は、獣人国基準の税徴収を、半分下げた事

三つ目は、住民の数や就いている職を管理する、役場を設立

四つ目は、軍の再編と強化

五つ目は、技術者の誘致


 言わずもがな、エルフ達を移住させるための準備として、農地の開拓は必要不可欠だ。


 この農地の開拓だが、未開拓の土地のため収穫量が読めない事から、ひとまず育ちやすい物を植える事になった。ヤックという芋で、土地が痩せていても育つ上に、寒さや暑さなど気候による影響も少ないのに、収穫量も多いという素晴らしいものだ。


 新しい農法として、堆肥作りというのがマコトからもたらされた。農業を見に行っていたマコトが、『堆肥ってどうしてるんですか?』という一言から始まったのだ。


 大きな瓶や木の箱でもなんでも良いから、とにかく密閉出来る箱を用意し、食べかすや落ち葉、農作物の蔦や腐ったものなどを入れて放置するだけらしい。大切なのは、陽にあたる所で放置することで、臭いがするから畑のそばに置くのが良いとの事だ。コンポストというらしい。


 コンポストで作られた堆肥を土に混ぜて農作物を育てると良く育つ。それを聞いた領土内の農家が皆、こぞって堆肥作りを始めた。


 ひとまず農地の開拓を進めつつ、堆肥作りをすることに決まった。



 これらの政策に対し、国民の反応は概ね良好であり、やはり減税だけでなく先を見据えた政策が実際に動いているのを見る事ができるのが好印象なようだ。



 そんな中、一つだけ難航しているものがある。

それは技術者の誘致だ。今求めている技術は、鍛治と建築に医療である。理想は全て揃う事であるが、あいにく鍛治は王都にでも行かねば出来る者は居ないだろう。建築については現在一人、親方として指揮できる者がいるが、単純に手が足りないのだ。最低でも後二人、理想は五人ほどの建築部隊を作りたいと考えていたのだった。





 朝から鬼教官に転がされた俺は、身体中の痛みに耐えながら日課の基礎訓練である素振り千回と、軍事施設の外周を十周ほど走りきった。


 午後からは、マコトと店を見て回る約束をしていた。汗で絞れるほどになった服のまま、歩き回るわけにもいかないので、大浴場で汗を流して新しい服に着替える。


 施設の前に行くと、マコトがいつものリュックを背負い待っていた。


 「ごめん!遅くなった!」


 「僕も今来たところだよ。アブディラハムさんと訓練してたのを見たよ。大変そうだね」


 「ああ、あの爺さんデタラメに強いし、容赦ないからキツいよ」


 「トウマなんだか嬉しそうだね。やっぱ強い相手だから燃えるの?」


 「おう!さて、さっさと店に行こうぜ!」


 二人で並んで店へと向かう。独立宣言から一月が経過したが、未だに一軒も店には入った事がなかった。

単純にお金を持っていなかったというのも理由の一つだが、国民が落ち着くまで俺達はあまり外出しないように命令されていたためである。


 剣帯に結んだ小さな袋には、給金として渡された硬貨が幾つか入っている。


 現在、フリーデ合衆国では獣人国で流通している通貨を使用している。単純な理由で、通貨を新しく作るにも金が掛かるのと、新しい通貨を流通させるには問題が多いからだ。


 獣人国で使われている通貨は、カルンという硬貨である。大きく分けて四種類の硬貨が流通しており、白金、金、銀、銅と貴金属で作られた物だ。


 「とりあえず、僕も貰ったお金がどれくらいの物が買えるのかよく分かってないから、市場調査から始めよう!」


 まず最初に入ったのはパン屋だった。店先から良い香りがしており、相場が分かりやすいからだ。


 「ねえ、トウマこれ!」


 マコトが指差したのは、前にパパド爺さんが持たせてくれたあの固いパンだ。


 値札を見ると、一つ五カルンと書いてある。他にも、果物が載っている物は十カルンだったり様々だ。


 とりあえず、二人とも一個ずつ好きな物を買って、半分に分けて食べる事にした。


 俺が手に取ったのは、肉と野菜が散りばめられ焼かれた手のひらくらいの大きさのパンだ。値段は十カルン。店主のおっちゃんに銀貨を一枚手渡す。『ありがとよ』とお礼を言われた。


 銅貨一枚で一カルン、銀貨一枚で十カルン、金貨一枚で百カルン、ほぼ日常では使われないが白金貨一枚で千カルンの価値がある。


 俺達が一月分の給金として貰ったのは、金貨六枚と銀貨八枚。つまりは六百八十カルンだ。あの固いパン計算で百三十六個分になるのだから、決して少ない給金では無いだろう。何せ、俺達の食事代含む生活費は基本的にタダだ。むしろ、これだけ自由なお金があるというのは、裕福だと言える。


 パン屋を出た俺達は、それぞれが買ったパンを半分ずつ千切って交換した。マコトが買ったのは、甘い香りのする果物が散りばめられたパンだ。

俺達は食べ歩く。服屋に肉屋、野菜や果物を取扱う店など、様々な店が建ち並ぶ。昼過ぎだからだろうか。買い物客で賑わっている。


 店先に並んでいる品物の値札を見ていると、食べ物は高くてもせいぜい三十カルン程度。綺麗な服でやっと百三十カルンくらいなようだ。



 「なあ、俺達が貰った給金って結構多いんじゃないか?」


 「多分、結構多いどころじゃないよ。生活費は引かれて支給されているだろうけど、あまり他の人に貰ってる金額言わない方が良いかも…」


 隅から隅まで店を見て回ったが、それほど広くもない町だという事もあり、あっという間に見切ってしまった。昼飯をパン以外食べていなかったので、しっかりとした食事の摂れる店に入って食べようという事になり、初めてこの町に来た時に賑わっていた食事処に行ってみることにした。


 昼間だからだろうか、店先にある四つの卓は空いている。店の扉を開けて中に入ると九つの宅があり、三つは客で埋まっていた。


 「いらっしゃい。お二人ね、あの端の席をどうぞ」

猫系の細身な女性が席まで案内してくれる。


 「今日のおすすめは、アンダルシアのシチューよ。注文してくれたら、エールかサヌレどちらかを付けちゃうけど」


 「すみません。アンダルシアって?」

マコトが先に聞いてくれる。


 「王都へ向かう途中の草原にいる魔物よ。赤い物目掛けて突進してくるのが特徴ね。肉は固いから、煮込んで食べると美味しいのよ。他に質問は?」


 「エールは分かるんだけど、サヌレって?」


 「甘い果物を絞った飲み物よ。子供が喜ぶわ」


 「じゃあ、アンダルシアのシチューとサヌレを二人分ください。あと、パンとかありますか?」


 「注文ありがとう。一緒に持ってくるけど、パンは好きなだけ食べて良いから注文不要よ。先にお代を貰えるかしら。二人分で八十カルンね」

俺達は銀貨を四枚ずつ渡す。


 しばらくすると、芳ばしい香りを漂わせながら運ばれてくる。少し深めな木の大皿に、ゴロゴロの肉と野菜が入った食欲のそそられる煮込みが目の前に置かれる。量は軍の食事と大差ないほど多い。パンは大きい籠に六個ほど盛られている。焼きたてだったのだろう。芳ばしい香りはパンから漂っている。


 手に取ってみるとまだ温かい。一口頬張ると、ほのかに香る甘い香りと、ふかふかの食感。こんなに美味しいパンは初めてだ。俺は次から次へと口に運んでいく。


 「そんなにガッつくと、喉に詰まらせるよ」

笑いながらサヌレを渡してくる。俺は一気にサヌレを煽り、パンを流し込んだ。


 「このパン凄い美味いぞ!マコトも食えよ」


 マコトもパンを手に取り、口に運ぶ。

 「本当だ固くない!この香りバターかな。なんとなく小麦が違うような」


 「お、よく気がついたな。俺はこの店の店主をやってるハウリだ。ウチのパンはパン屋のと違って、原料の小麦が違うんだ。ついでにバターもミルメーの乳を固めたものを使っているから香りが良いんだぜ」


 「僕はマコトです。ところで気になったのですが、僕を見て何にも思わないのですか?」


 「ああ、帝国人だろ?珍しいっちゃ珍しいが、客には変わりねえからな。俺の作った飯を喜んで食ってくれる奴を追い出したりはしないさ」


 「帝国人?」

聞きなれない言葉だった。


 「あん?アルス帝国の奴らを、昔は帝国人と言ったんだが最近は違うのか?」


 「なるほど。獣人と帝国人ですか。ハウリさんは、この町がフリーデ合衆国になった事はどう思っていますか?」


 「ここだけの話だけどよ。税金が安くなって大助かりだぜ。ただでさえ稼ぎが少ねえってのに、何もしてくれねえ役人の奴らに高っけえ税金払わなきゃならねぇってのは頭に来てたんだ。この町に残った連中は皆同じ考えだと思うぜ」


 「そうですか。それは良かったです」


 「まあ、ゆっくりしてってくれや。追加注文したかったら、娘のリアンに声を掛けてくれ」

そう言って、ハウリさんは厨房へと戻っていく。


 俺達はシチューとパンを腹一杯になるまで食べたのだった。


 「良い店だよねここ。また一緒に来ようよ」


 「ああ、そろそろユノもこっちに連れてきて、皆一緒に来れると良いな」


 「そうだね!」



 一通り食べ終えて席を立とうとした時に、ちょうど店に入ってきた男が、俺の目の前の椅子にどかっと座る。


 「兄さんら見ない顔だけど、どちらさんで?」

ニンマリとした、いかにも胡散臭そうな細身の男が椅子の背もたれを身体の前にして逆向きに座っている。


 「そういう貴方こそどちら様でしょうか?僕達これでも忙しいので、用がなければ失礼させてもらいます」

マコトが言葉の端々に棘を出して牽制する。


 「ああ、悪い悪い。何も兄さんらに害を与えようとかそういう意味で話しかけたんじゃないんだ。俺はラダ。情報屋なんてのをやってるんだが、この閉鎖的な元リンドの町に、見覚えの無い若者が二人も居たからつい気になってさ。それで話しかけたってわけ」


 「情報屋?」


 「そう!王都で幅広い情報を聞き集めては、この町で情報を教える代わりに金を貰う仕事だ。たまに忍び込んだり法に触れる事もするいわゆる何でも屋だな」


 「うわぁ。胡散臭え」


 「獣人の兄さん、随分とハッキリ言うなぁ。いくら俺でも目の前で言われると傷つくぜ」


 「リアンさん、すみませーん!」

マコトが大声でリアンさんを呼ぶ。


 「何する気だ?」

俺はマコトの耳元で小さく囁いた。マコトは片目を瞑る。(任せろって事ね)


 「はいはーい。何でしょう?」


 「この人に今日のおすすめをお願い。あとはサヌレを二つ」


 「お飲み物は何にしましょう?」


 「エールで!」

ラダが嬉しそうに答える。


 「承りました。合わせて五十カルンになりまーす」

マコトが金貨を手渡し、銀貨五枚を受け取る。




 ラダが一通り食べ終えるまで、マコトと俺は雑談をして待った。



 「あー食った食った!しっかし兄さん俺らみたいな奴の扱い方を分かってんな。それで、何を聞きたい?」


 「王都にいる技術者に心当たりはありませんか?できれば、鍛治か建築が出来る人で、重税で苦しんでる人の方が望ましいかな」


 「あん…?兄さんら、もしかしてガルシア王と何か関係ある人だったりする?」


こいつ鋭い。マコトも思わず黙ってしまった。


 「沈黙は肯定だぜ。まあ良いさ。俺の予想は良い意味で外れたからな。てっきり、帝国から来た諜報員かなんかだと思ったわ」


 「なるほど。確かに帝国人なんてこの町に居ませんしね」


 「そもそも獣人と帝国人が仲良く飯食ってるなんてありえねーよ」


 「王都に帝国人って居ないんですか?」


 「それ…本気で言ってる……みたいだな。少なくとも俺は見たこと無いな。昔は居たって聞いたことがあるくらいだ。話は変わるけど、兄さんら若いよな。いくつ?」


 「僕達二人とも十五だよ」


 「なんだ、俺より年下じゃねーか。ちなみに俺は十七だからな」

急に腕を組んで踏ん反り返る。



 「そんな事より依頼は受けてくれるんですか?」



 「それは勿論。仕事はちゃんとやるさ。とりあえず手付金だけ貰おうかな。金貨一枚な」

マコトはラダに金貨を手渡した。


 「成功報酬は?」


 「そうだなあ、金貨三枚ってところだな。確認だが、俺の仕事は王都から鍛治か建築の技術者を連れてくることで間違いないな?」


 「ええ。それでお願いします」


 「うっし。じゃあそろそろ行くわ」

ラダは立ち上がり、腕を上に上げて伸びをした。


 「おっといけね。まだ名前聞いてなかったわ。ラダだ、よろしくな!」


 「俺はトウマだ。こちらこそよろしく」

俺達はがっちりと握手を交わす。






 これが、ラダとの出会いだった―――






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