第21話 老人と過去
ライザさんに連れられた俺達は、門をくぐりパパド将軍の家へと向かう。
町の中は、暗がりに照らされた住居が建ち並び、どの家を見ても俺達が育った村の家より遥かに豪華な作りだった。
とても良い匂いが漂う、一際明るい建物には、大勢の人が集まり、器の何かを煽ったり、皿の上の物を口に運んでいる。食事を取る場所なのだろうか。
すれ違う人は皆、俺と似たような獣人ばかりだ。ここが獣人の国だということがよく分かる。馬やトカゲのような顔をした人もいるようで、その容姿は様々だった。
共通しているのは、ユノやマコトを見る目が険しく、明らかな敵意を向けて来る者も少なくないことだろう。
おそらく、ライザさん達がいなければ一悶着あったであろう。
門から10軒ほどの家を超えた先に、先ほどとは打って変わって見た目が何段か落ちる家が見えてきた。その家は草に覆われていて、明かりが付いていなければ廃墟と言われても納得のいく見た目である。
近づくとより一層、汚れや傷みが目立ち、手入れの行き届いていない家であることが分かった。
ライザさんが、その家の扉へ向かうと、扉を何度か叩く。
「パパド爺さん、門兵のライザです。貴方に客人が来ていますので案内して参りました」
奥からドタンドタンという音が聞こえた後、扉が軋みながらゆっくりと開いた。
中から、猫背で細身な老人が姿を現した。
この人がパパド将軍なのだろうか。痩せこけており、失礼だがとても軍人には見えなかった。
「なんじゃまたか?……おお、お前さんは確かニコルじゃったか。こんな遅くにどうしたのじゃ」
しゃがれた声の主は、とても面倒臭そうな態度だ。
「はぁ…パパド爺さん、ニコルは俺の父でとっくに引退したよ。遅くにすまないが、貴方に客人だ」
やれやれこれだからと言わんばかりに、ライザさんはため息をつく。
「そうか、すまんの。ところで…客人とは後ろの方々かのぉ」
この人が、目的のパパド将軍なのだろう。どう見てもヨボヨボで強そうには見えないので、老人と呼ぶのがお似合いだ。
「じゃあ、俺は案内したからな。あんたら、早々に何処かに宿を取ることをお勧めするよ。それじゃあな」
そう言って、ライザさんは早足で去っていった。
代わりにガザルさんが、扉の前に立ち、パパド老人と対面する。
顔を見るや否や、パパド老人の顔つきが変わり、二人は閉口したままじっと見つめ合う。
「積もる話もあるじゃろう、狭い家だが入るが良い」
そう言うと、パパド老人は俺達を部屋へと招き入れる。
「失礼します」
ボロボロだった外装と違い、部屋の中は広々としているものの、置いてある家具はどれも綺麗だった。
「………四人か、そこにテーブルと椅子があるじゃろ、とりあえず皆掛けてくれ」
そう言って、ぎこちない動きで板に五つのカップと、丸みを帯びた小さい壺のような物を乗せて運んできた。
板の上から机にカップを動かすと、その木製のカップに壺のようなものから飲み物を入れ、各々の目の前にそっと出してくれた。
とても深みのある爽やかな香りが部屋中に立ち込める。
俺はカップを手に取り、中身を口へと流し込む。
爽やかな香りが鼻から抜けて、後から新緑の香りが広がった。初めて飲む味だが、すっきりしてとても美味しかった。
「これ、紅茶ですね。とても香りが良くて美味しいです」
マコトがカップを置きながら言った
「ほう、これの美味さが分かる者がいるのか。軍でこれを愛飲していたのは儂だけだったというのに。なあ、ガザルよ」
口角を上げ、とても楽しげにカップの中身を覗き込む老人。
「そうでしたな。我々、制圧部隊のような前線に出る者はエールか水しか口にしませんでしたから…。私も今になってようやくこの紅茶の美味さが分かりました」
「そうじゃろう。そうじゃろう」
パパド老人は、髭を撫でながら嬉しそうに相槌を打つ。
「さて、先にお主があの後どう過ごしていたのかを聞かせてもらおうか」
急に真剣な顔つきに変わったパパド老人は、姿勢を正した。先ほどとは変わって、何となく威厳を感じる。
「………十七年前、私はアルス帝国軍からの侵略を阻止するため、当時指揮官であったグラマス指揮官殿から命を受け、部下を率いて紛争地帯へ出陣しました。戦闘は長期化し、三ヶ月もの間、拮抗していたかのように思われました。しかし、想定の十倍を超える敵の増援に、我々部隊はなす術もなく敗走し、命からがら部下三名とバザム火山へと逃げたのです」
カップから軋む音がするほど、強く握るその手からガザルさんの悔しさが痛いほど伝わってきた。
「バザム火山を迂回して進んだ先に湿原が広がっているのはご存知でしょう?実は、その湿原を超えた先には人間達が住む小さな貧村がありまして、私達はそこに転がり込んだのです。助けて貰ってから知ったのですが、その貧村はアルス帝国から逃げて来た訳ありの者達が身を寄せ合って暮らしていました。お陰でアルス帝国からの追手もなく、ここ最近までは慎ましくはありますが、平和に暮らせていたのです」
「しかし、今から八ヶ月ほど前に、アルス帝国軍の斥候部隊と思われる者達から襲撃を受け、村は焼かれ略奪を受けて奴らに占拠されました。私は、ここにいる子達を連れ、獣人国目指して逃げてきたのです」
「そうじゃったのか。お嬢ちゃん達、とても辛い思いをしてきたんじゃな………」
パパド老人はカップを手に取り、口元で僅かに傾け口を湿らす。
「…………帝国軍は湿原までも侵攻の手を広げておるのか」
「ええ、そのことで至急、王に伝えねばならない情報を持ち帰っております。どうにか陛下に取り次いでいただけないでしょうか」
すると、パパド老人の顔が急に曇った。
「………お主の知る王は、十五年前の戦争で多くの兵士と、さらには妻とその子をも死なせてしまった責任を追及され、王を退位なされた」
ガザルさんは、机を激しく叩き立ち上がる。
「そんな馬鹿な!責任を取るべきは、作戦指揮を取った者達ではないのですか?なぜ、王が責任をお取りになったのか!」
悲痛な声で絶叫する。
「今、この獣人国を率いておるのは、その作戦指揮を取った、ラスカルじゃ。グラマスは大臣を名乗っておる」
「……………」
ガザルさんは絶句し、ドカっと椅子に座り込んだ。
「前王って、民からの信頼や支持は無かったのですか?」
マコトが恐る恐る口を挟んだ。
「いや、王は民からも軍内部からも信頼が厚く、素晴らしいお方であった」
「少なくとも、軍内部の王支持者が黙ってないと思うのですが………」
「処分されたんじゃ。ラスカルに歯向かう者は皆、一族皆殺しにされた」
「うわ………恐怖政治そのものじゃん………。まさか、前王も処分されたんですか?」
「いや、さすがにそこまでやると民からの激しい反発を受けるのを恐れてか、処分せずに表向きは、ご自分で責任を取って王の位を返上したことにされ、王はラスカルに幽閉されているようじゃ」
「そもそも何故、王妃や王子が戦場にいたんです?もし仮に居合わせてしまっても、すぐ逃すべきではありませんか?」
「前線の士気を高めるための王家による慰労訪問が予定されておったようでな。どうやら、意図的に帝国軍の襲撃を王やその側近に伝えてなかったようなんじゃ。初めから、王を引き摺り下ろすために仕組まれた慰労訪問だったのだと、気づいた時にはもう遅かった。軍を追いやられて辺境のこの地に爪弾きにあった儂に出来ることなどほとんどなかったのでな」
パパド老人はカップの紅茶を飲み干して、深く息を吐いた。
「今では、軍内部に儂の息がかかった者も少数しかおらん。情報を集めるだけでも苦労しとるよ」
「王は…ガルシア王はどこに幽閉されているのか、ご存知ありませんか?」
ガザルさんは、パパド老人をじっと見つめた。
一瞬、パパド老人の鋭い眼光が俺に向いた気がした。
「バザム火山の麓にある、軍事施設の地下に幽閉されているとの情報は掴んでおる」
「あそこなら私も何度か出入りしたことがあります。警備がどのくらいの規模か分かりますか?」
パパド老人がニヤリと笑い、立ち上がって部屋の奥へと向かった。
「ガザルさん、当然行くんだよな?」
「当たり前だ。俺は命に変えても、ガルシア王を救出する」
愚問だったようだ。あれは、覚悟を決めた顔だ。
「私は、危ないことしないでほしいんですけど…」
ユノがぼそっと呟く。
それを聞いたマコトが、ユノにそっと耳打ちする。
「え?それ、ホントですか?行きます!絶対に行きます!」
思わずマコトを凝視した。ユノにいったい何を吹き込んだのだろうか。
「あたしはなんだかよく分からないけど、面白そうだから行くわよ」
リーナは相変わらずだ。お陰で暗い雰囲気が吹き飛んだ。
「リーナ嬢が一緒なら百人力だな」
ガザルさんもガハハと笑う。
「待たせたの。これじゃ」
そう言ってパパド老人が戻ると、机に何かを広げた。
見ると、何かの内部図のようだった。
「バザム火山軍事施設の内部図じゃ」
「どうやってこれを?」
「言ったであろう?軍内部に息が掛かった者がおると」
自然にできた洞窟を地下へと掘り進めたような構造になっており、一階は警備部隊の寝泊まりする部屋や、食糧庫になっているようだ。
二階は武器庫などの軍設備が保管されているようだ。
「ガルシア王は地下三階の奥の部屋に幽閉されておる」
そう言って、パパド老人は三階の余白を指差す。一箇所だけ、何も書いていないが空間が存在するとのことだ。
「入口は一階の正面のみ、警備を突破すると、奥から武装した集団が押し寄せて来るってことですね?」
「そうじゃ、それもどうやら警備部隊を指揮しているのが、あの"斧鬼"だそうだ」
「フキって?」
俺は聞きなれない言葉に思わず聞き返した。
「軍での通り名だ。大斧を振り回す姿が、まるで手のつけられない鬼馬のようだから付けられた名さ。俺も昔手合わせした事があるが、あの斧を受けられる奴は少ないだろうな」
「それこそ、"疾風"と同じじゃ。獣人軍には歴戦の強者に対して通り名が付けられる風習があってな、通り名持ちは隊長として活躍していたんじゃ」
「疾風って、たしかヨルダさんも言ってたよな。どういう意味なんだ?」
「なんじゃ、一緒にいて知らんのか。あまりにも早い動きで一方的に斬り付ける姿が、まるで吹き抜ける風のように見えることから、疾風と名付けられたんじゃ。最も、本人は気に入っておらんようじゃがな」
そう言って、紅茶のおかわりを全員のカップに注いでくれる。
「昔の話です。それに、今ではそこのトウマに追い越されそうでして。疾風どころかそよ風だと言われないか内心ヒヤヒヤしていますよ」
「なに?それほどなのかこの小僧は。確かに、ガルシア王の血を引く者なら武の才能があっても不思議ではないがの」
「………気づいておられましたか」
「真紅の瞳に、獅子系の特徴を持っておるしの。それにガザル、お主が今この状況で獣人国に戻り、ガルシア王との接見を希望する理由が、帝国軍の侵略について情報をというのは些か理由が弱い。脱走兵が受ける懲罰を考えても、国に戻る理由が無いからの」
「変わらずのご慧眼には敬服いたします」
ガザルさんが椅子から降りて平伏する。
「よせ、儂はただの老いぼれじゃ。それこそ、忠誠を誓った王を守れず、ただ追放された無能な男よ」
「あの…一つ良い案が浮かんだのですが…」
マコトが手をゆっくり上げて言った。
「なんじゃ?」
全員がマコトを見る。十の眼に見られて少し強張ったのか、辿々しく続ける。
「こ…これを見てもらいたいのですが…」
そう言って机に置いたのは例のスマホだった。それも、
「なんじゃこの板は!こんな小さな板に、書き写したのか?精密すぎるじゃろうて」
「これはスマホと言います。細かく説明しているとキリがないので説明は省きますが、パパドさんの見せてくれた内部図のより詳細な情報が手に入りました」
「これさ、図っていうより現地そのものの様子が映ってるように見えるんだけど………?ねえ、マコくんって何者?」
リーナは苦笑いしながら、スマホを指差す。松明に火が灯され、槍を傍に持った屈強な兵士が二人辺りを警戒している。どこからどう見ても、現地そのものにしか見えないのだ。
「おいマコト。スマホってこんなことまで出来たのか?」
「何気なく開いたら地図が表示されてて、触った所が拡大されるってことに今気づいたんだ」
「本当にお前とスマホがあるだけで、無茶な作戦が現実になっちまうな…」
ガザルさんが呆れ返った様子でカップの紅茶を啜る。
パパド老人がパクパクと口を開閉しているが、そんな様子を気に掛ける余裕がないのか、マコトは一切気にせず話を続ける。
「まあ、とりあえずスマホや僕については置いといて、ここを見てほしいのですが、この地下三階まで繋がる通気口がありました。多分、人の出入り口を想定していない幅だと思います。小柄な人が通れる程度の穴に、梯子があるようで、ここを使えば警備を正面突破しなくても地下三階まで侵入出来そうです」
そう言って、地図の一部を触ると、何やら狭い空間に所々錆びた梯子が掛けてある、通路らしき縦穴が映される。
「なんでこんな所に梯子があるんだ?」
不思議に思った俺は、マコトに尋ねる。
「おそらくだけど、通気口を掘るときに上から下に向かって掘り進んだんだと思う。それで、落下しないように梯子を掛けながら降りていったんじゃないかな」
「それで?この通気口の先はどこに繋がってるんだ?」
ガザルさんがマコトに鋭い横目を向ける。
「パパド将軍が先ほど仰っていた、ガルシア王の幽閉されているであろう部屋のちょうど横にある部屋です」
「すげぇな!その穴使えば、正面から侵入しなくても救出出来るじゃねえか!」
「トウマ…さっき言った通りなんだけど、ガルシア王が僕みたいに小柄じゃないと、この穴を通れないんだよ」
そう聞いて俺は、ガザルさんを見る。
「まあ、王には無理だな。ちょうど俺くらいの体格だったはずだ。マコトが言いたいのは、通気口から侵入する部隊と、正面から侵入する部隊に分けて行う同時作戦の提案だろう?」
「ええ、大筋は合ってます。正面の部隊は先ほど話題に上がった、"斧鬼"と交戦する可能性が高くなります。倒せるならば倒したいですが、一番の目的は通気口部隊の解放作戦を成功させるための陽動です。最悪、引き付けさえしてくれれば十分です」
「部隊編成はどうするんじゃ。戦力になりそうなのはガザルとトウマくらいじゃろう?」
疑り深い目で、パパド老人はマコトを視線にとらえる。
「いえ、リーナさんも"斧鬼"とさえ交戦しなければ、十分戦えるはずです。もしかすると、集団戦闘においてはここにいる誰よりも強いかもしれません」
「それほどなのか…お嬢ちゃんは剣を………使いそうにはないの。弓にしても持っとらんし、いったいどうやって戦うんじゃ?」
「ナイショよ」
片目をつむり、舌をペロっとだして戯ける。
「リーナ嬢が強いのは私も認めております。部隊編成は正面部隊が俺、トウマ、ユノ。通気口部隊が、マコト、リーナ嬢でいこう」
「その心は?」
「正面部隊の俺とトウマは通気口から侵入できる体格じゃないし、"斧鬼"との交戦を考えても最適な人選だ。ユノを入れたのは、後方支援が可能な点を考慮した。一方で、通気口部隊にリーナ嬢入れたのは、マコトが戦力にならないことを考慮してもおつりがくるほどリーナ嬢は戦える。最終的にはガルシア王を連れて地下三階から登ってくることを考えても、リーナ嬢は最も適してる」
「僕も同じ意見です。残念ながら、僕は敵の索敵と道案内程度しか役に立ちませんから、通気口部隊に向いています」
マコトは大きく頷き、同意した。
「ガザルよ、なかなか良い知将がいるではないか。確証は無いが、この作戦上手くいく気がしてきたわ」
口元に薄く笑みを浮かべながら、パパド老人は立ち上がる。
「マコトよ、何か儂にできることはないか?」
「それならいらない布をください。あとは、今夜の宿を紹介してもらえるとありがたいです」
「分かった後ほど用意しよう。宿だが、今夜はここで休むが良い。幸い、布団が四式なら余っておるしの。食事も簡単なものでよければ用意できる」
「申し訳ない。明日の早朝には出立しますので、一晩厄介になります」
「なに、大事な元部下じゃ。この程度のことしか出来ずに申し訳なく思うよ。それと、お主達がこの町に入ったことは、王都に報告が上がることは無いから安心するが良い」
「と、仰いますと?」
「門におった警備部隊長は、儂の息が掛かっておる。お主らが町に入ったことは、儂の家に連れてきた時点で報告書から消されておるから安心せい」
ガザルさんは静かに頭を下げた。
「ガルシア王を奪還した後は、この町に入らない方が良いでしょうか」
「いや、お主ら行くアテもなかろう?儂が明日にでも潜伏先を用意しておこう」
「お願いします」
そうしてガルシア王の救出に向かうことになった俺たちは、パパド老人の用意してくれた食事を戴き、濡らした布で身体を拭いてから布団に入った。
久しぶりの布団はとても心地よく、あっという間に意識を手放すのであった―――
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