第10話 獣導く森の先 1


 日の出と共に目覚めた俺は、眠る皆より一足先に、顔を洗いに川辺へと行った。




 川辺には先客がいた。




 全身が黒艶で覆われ、鍛え抜かれた四つ足で立つその姿は、目を奪われるほど美しく、後ろ足は発達した筋肉で盛り上がっている。明らかに強者の貫禄を纏ったその獣は、川の水を飲んでいる最中だった。

俺が少し近づくと、こちらに気づき近寄ってきた。


 自分に対して、敵対心を抱いていない事を、狩人としての直感が訴えかける。ゆっくりとした足取りで俺に近づき、手で触れられそうな距離にまで近づいてきた。


 どうやら撫でさせてくれるらしい。

俺は、その獣のたてがみを優しくそっと撫でた。

気持ちが良いのか、目を細めながらヒヒンと鳴く。


 そっと近づいてきたガザルさんがその様子を見て囁く。

「こいつは驚いた。こんな立派な鬼馬は見た事がない。それも人に懐くなんてな」


 「鬼馬?」


 「そうだ。こいつらは知能がとても高く、誇り高い生き物だ。自分より弱い者には決して懐かないし、何よりも戦闘力が極めて高いんだ。だから、俺達獣人でも鬼馬を見たら決して戦わずに逃げろと言い伝えられているくらい恐怖の象徴として恐れられている」

確かに強そうではあるが、目の前で甘えてくるソイツは、恐怖の象徴には見えない。


 「トウマ、この鬼馬とはいつからだ?」


 「それが、今日初めてなんだ。川辺で佇んでたのを見たら近づいてきてさ」


 すると、鬼馬は俺のお腹に頭を擦り付け、何かを訴える。


「乗れって事じゃないか?」


 ガザルさんに促され、俺は鬼馬へと飛び乗った。

大きく嘶くいななと、両の前足を高く上げて勢い良く走り出した。俺はだだ、振り落とされないように鬼馬の首にしがみ付くだけで精一杯だった。

川を飛び越え、目的のバルザルム獣人国方面から大きく北へ逸れて行く。



「おい!どこへ連れてくんだ!」


 後ろを振り返ると、川からどんどん離れているのが分かり、あっという間に川が見えなくなってしまい、降りるにも降りれず、鬼馬の進む先にただ連れて行かれるほかなかった。



やがて、木が鬱蒼と生い茂る森へと入ると、暫く走った先で徐々に速度を落とし、立ち止まった。


「し、死ぬかと思った」

物凄い速度だった。


 鬼馬は、首をゆっくり下げて降りるように促す。


降りた先で見たのは、辛そうに唸り声を上げて横たわる、一頭の身重な鬼馬だった。


「もしかして、こいつを助けて欲しくて連れてきたのか?」

俺を連れてきた鬼馬は頷く。

さて、困った。俺には出来ることが思いつかないのだ。何かしてあげられる事がないか考えながら様子を伺うと、夥しい量の汗をかいており、体毛が湿っていた。


 確か、村で育てていた家畜の出産時は体温が下がらないようにしてあげないといけないんだっけか。

俺は、横たわる鬼馬の汗を拭ってやると、暖かくするための、床材を探しに行くのだった―――――





――――――――――――――――――






僕達は、腕を組み仁王立ちする可愛らしい女の子に正座させられていた。





 「………それで、お兄ちゃんは鬼馬に乗ってどこかへ行ってしまったんですね?」



 ユノさんが怖い。付き合いが一番短い僕ですら、にこやかに話すこの娘の腹の中では、マグマがぐつぐつと音を立てて噴火寸前なのは察してしまったくらいだ。今にも、茶色のロングヘアーを毛先で結って纏めた髪を振り乱し、怒り狂い出すのではないかとヒヤヒヤしている。


 「ユノ、すまない。流石に連れ去られるとは予想だにしなかった」

ガザルさんは素直に謝った。やはり、ユノさんの威圧に屈したか。まるで、蛇に睨まれた蛙のようだった。


 僕は仕方なく、助け舟を出す事にした。

「ユノさん、トウマの居場所なら分かりますから、安心して下さい」


 「え?」

二度見された。それも二人にだ。

「神ゲーターがトウマを捕捉してますから、そこに向かえば合流できます。どうやら物凄く遠くに行ってしまったわけではなさそうです」

神ゲーターが差したポイントまでは、大体半日も掛からずに辿り着けそうな距離だった。


 「二人とも、早く準備してお兄ちゃんの所へ向かいますよ」

ユノが急かすが、おそらくその判断は正しいだろう。また次動かれてしまうと、どこへ行くのか見当もつかないからだ。


 僕達は急いで出発した。





 「このまま進むと、森に入るな」

暫く歩き、川が見えなくなり、平原を抜けた辺りで、鬱蒼と生い茂る森が目の前に広がっていた。

僕達は、森を前にして食事を摂り休憩していた。


 「ガザルさんは、この森についてご存知ですか?」

「いや、知らん。俺はただでさえ南の方出身だから、獣人国でもこっち側には明るくないんだ」


 森なんて殆ど入った経験がないので、どんな危険があるのか分からない事が、不安を掻き立てる。

「安心しろお前ら、森での活動なら得意だ。注意事項は三つ、絶対に離れるな、獲物を見つけても不用意に近づくな、体調に変化や何か気づいたら直ぐに言え。これだけだ」

どうやら、ユノさんも不安だったようだ。打って変わって、さっきまで情けなかったガザルさんが、一気に頼もしく感じられた。


 「マコト、トウマの場所はどっちだ?」

僕は、神ゲーターをタップして起動し、トウマの現在地を確認する。ちょこちょこ移動していたが、現在は定位置に留まっているようだった。


 ところでこのスマホ、不思議なことにアンテナと残電池量マークは消えさり、充電不要になっていた。

画面には、多分現在時刻というか陽の傾きを表す円が表示されており、使えるアイコンは一つだけ。それが、例の神ゲーターだ。このネーミングセンスは如何なものかと思うが、分かり易くされている辺り、やはりまだ見ぬ神の仕業なのだろうと思う。


 「ガザルさんから見て、右手の方向です。あ、なんか矢印が出た」

なんとびっくり、トウマのアイコンを長押ししたら、矢印がマップ上に出てきた。目的の人物までの道を、ナビゲートしてくれるのだろう。気のせいかもしれないが、周囲のマップもより詳細なマップへと変化した気がする。もっとも、周囲全て木だから分かりにくいが。


 「すみません。今更ですが、進行方向を指示してくれる機能を見つけました。僕はスマホに注視しますので、ガザルさんは指示通りの道を進みながら、警戒をお願いします」

「了解。任せろ」


僕達は、ナビの方向へ暫く進み、トウマの姿を遠目に確認する事が出来た頃には、もうすぐ夕方になる時間だった。



 「止まれ」

ガザルさんが右手を挙げて合図する。スマホで捕捉するよりも早く、何かに気づいたようだ。

「ガザルさん、未確認生物を捕捉しました。数一です。おそらくトウマ目掛けて接近しています」

「お前らはここで待機だ」

そう言うと、腰に下げていた剣を抜いて構え、足音を消して駆け寄った――――――






――――――――――――――





 俺は横たわる雌の鬼馬のために、木の葉や木の皮を剥いで集め、暖かい寝床を作った。産気づいてる事には何となく気づいていたが、俺を乗せてきた鬼馬は、雌の鬼馬のパートナーだったようだ。とても心配そうに雌の鬼馬の見つめている。


 どうやら、俺のしている事が分かるようで、途中から雄の鬼馬が手伝ってくれたお陰で、思ったよりも早く立派な寝床が出来た。

雄の鬼馬が雌の鬼馬に近寄り小さく鳴くと、雌の鬼馬が新しく出来た寝床に這うようにして移った。

横たわった直後に、夥しい量の血混ざりの水を排出した。俺はそれを見て動揺してしまったのだ。



 と、その時だった。

雄の鬼馬がキッと振り返ると、大きく嘶き威嚇したその先には、大きく獰猛そうな獣が両の手を高く挙げ、二足で立ち、大口を開けて襲いかかって来ていたのだ。




 雄の鬼馬は真っ先に、雌の鬼馬の前に立ち、激しく威嚇する。守ろうとしているのだろう。俺も、数瞬遅れてナイフを抜き構えたが、遅かった。

俺の方が弱そうに見えたのだろう、その獣は俺へと狙いを移すと飛びかかって来たのだった。


(くそ…避けられないッ!)

俺は躱せないと判断し、ナイフを獣の顔目掛けて投擲した。

見事に片目へと命中したものの、勢いは止まらず、獣の爪が容赦なく俺の肩を削り取り、鮮血が飛び散る。


「うおおおおおおお」

急速に迫るガザルさんが、横から猛烈な速度で獣へと斬りかかり、袈裟斬りで頭を切り落とし獣を絶命させた。

まさに電光石火の早業だった。



 「ぐッ……」

思ったよりも傷は浅く済んだ。だが、痛いには痛いので、直ぐに傷口の手当てを済ませた。

傷口の血を綺麗な手拭いで拭き取り、水をかけて縛り上げる。



 「間に合ってよかった」

剣から血を振り払い、獣を一撃で屠る姿は、村で見ていたよりも一回りも大きく強く見える、剣士の姿だった。

ガザルさんが、駆け寄って来た方に手を振ると、ユノとマコトが近寄って来た。



 「お兄ちゃんその怪我……!」

ユノが心配そうに患部を見る。

「大丈夫だよ。思ったよりも大きな傷じゃないから」

「心配したのよ」

「ごめん」

俺はユノの頭を撫でる。


 「これ、熊ですかね。あ、なんかスマホに出た。〈バーサクベアー〉って言うらしいですよ、これ」


 「ああ、やっぱりか。俺も話で聞いた事がある程度だったんだが、森に生息する獣の中じゃ割と強いヤツだ。あと少し遅れてたら危なかったかもしれん」

ガザルさんの言う通りだ。あとほんの少し遅くても、おそらく俺は殺されてただろう。

「で、こっちのは鬼馬ってヤツですね」



 「皆んな助けてくれ!雌の鬼馬が大変なんだ」

皆んながポカンとした顔で俺を見る。後ろで横たわる鬼馬から大きな悲鳴が上がった。


 「何この鬼馬…どうしたの?」

ユノが恐る恐る覗き見る。

「多分、赤ちゃんが産まれそうなんだけど、様子がおかしいんだ。すごく苦しそうと言うか…」

俺は分かる範囲の事を一生懸命伝えた。


 雌の鬼馬に手を当てて、詳しく調べるガザルさんが言った。

「多分、逆子だな。後ろ足から出てくれば間違いなくそうだ。このままだと、お腹の子は助からないから、無理にでも引っ張り出すしかない」



 「でもどうやって!まだ、出てきてもないから無理だ」

「とりあえず、皆んなでくっついて暖めてあげましょう。汗を拭いてあげたりも出来るし」

「そうですね。発汗が凄いなら、塩分を摂らせてあげないといけませんね。僕は塩水を作ります」

「ありがとう皆!」


 こうして俺達は、鬼馬達のために出来ることを頑張った。陽も暮れて夕陽が沈み、辺りが暗くなった頃、いよいよ子供の足が飛び出して来た。



 苦しそうに唸り声をあげ、必死に踏ん張る雌の鬼馬を心配そうに見守る雄の鬼馬。そして、足が出てきた時に、ガザルさんの合図で子供を引っ張り出した。

出てきた子は、粘膜に覆われており、出産し終えた母馬が粘膜を舐め取る。出てきた子は、地に横たわりながらもがき、立ち上がろうとする。

「頑張れ!頑張れ!」

俺は声を出さずにはいられなかった。

何度か転びながらも、必死で立ち上がると、母鬼馬のお乳を飲みにくっついた。



 「やったー!!」

俺達は両手を夜空に突き上げ、抱き合い、新しい命の誕生を喜んだ。


「あの…この子色が白いですね」

ユノがふと心配そうに言う。確かに両親は黒いのに、子が白いのだ。それに、額の当たりに何か出っ張りがあるように見える。


 「この子〈ユニコーン〉だそうです。説明文曰く、鬼馬の中から稀に誕生する幻獣で、魔物よりも上位の存在だそうです。成長すると額の角が大きくなり、特殊な力を操れるとのことです」

マコトがスマホを見ながら説明する。

「あれ?マコトなんでそんなこと知ってるんだ?」

俺と同じ疑問を持ったのか、全員が頷く。

「スマホに新しい機能が追加されました。アナライズと言うものです。直訳すれば、分析とかになるんでしょうね。噛み砕いて言えば、詳しく見る的な意味だと思います」


 ユニコーンは、お腹いっぱいになったのか、満足そうな様子で俺に近づいてくる。俺の匂いを嗅ぐと、熱烈に頭を擦りつけ甘えてくる。

その様子を見ると、雄の鬼馬も近寄り、一緒になって俺の顔を舐め回した。

「こら、やめろって。くすぐったいだろう」

顔を涎まみれにされた。


 「お兄ちゃん、すっかり好かれちゃったね」

俺以外の三人が代わる代わる撫でようと挑戦するも、するりと躱されてしまう。


 雄の鬼馬と子のユニコーンを撫で回し、二頭が落ち着いた所で、俺達はバーサクベアーを解体し、焼いて食べるのだった。


 鬼馬の親子は、火に怯えた様子もなく、新たな寝床に三頭くっついて横になった。

新たな命の誕生に出逢う事ができ、ここ数日で荒んでいた心が洗われるようだった。




 俺達は三頭と一緒に、木々の間から覗く星空の下、幸福な夜を明かした―――





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