第5話 始まり
昨日家に帰った後、不思議な老人に会った事を話すと、両親から疲れてるのだろうと思われ、過剰なほど優しくされた。
だが俺は、湿原の向こうを知る老人の話を信じたかった。それは、ぽつりと溢れた言葉だったかもしれない。
「俺もいつか、湿原の向こうへ行ってみたいな」
目覚めてからも、未知の大地への興奮はおさまらず、俺は老人が最後に言っていた通り、あの場所へ行ってみる事にした。
――――――――――――――――
目が覚めたら、見知らぬ場所だった。
ここがどこだかなんて何一つ分からない。
直ぐ近くには、拓けた場所に大きな石が建てられており、まるで石碑のように感じられた。
確か僕は図書館から帰る途中だったはずだ。いつも着ている薄手のパーカーに、リュックサック、スニーカーと、この身体に馴染む感覚は間違いなく普段から僕が着ている物だ。
ポケットの膨らみを感じ、手を入れると固い感触があり、出てきたのは愛用しているスマホだった。
「あれ、電源が入らない……」
電池が切れてしまったのだろうか。これでは親に助けを求めることも出来ない。もっとも、働き詰めの両親が助けに駆けつけてくれるかどうかは疑問だけど。
諦めてスマホをリュックサックにしまい、もう一度辺りをよく見てみることにした。
心地よい陽射しが僕を照らし、なんだか眠くなる陽気だ。小鳥の
山なんて家の近くになかったはずなんだけど。
そんな事を考えていると、遠くに人影を見かけた。
未知の危険に対する反射だったのかもしれない。何故か僕は咄嗟に石の裏に隠れた。
――――――――――――
「じいさんが来いって言うから来たけど、じいさん居ねーじゃんか」
心底がっかりした。老人と会った事は幻だったのだろうか。だが、俺は昨日のことが実際にあった事だと確信する。
なぜなら、焚き火の後と磨かれた石。そして、何よりも老人が着ていた服の一部が捨てられていたからだ。
「じいさん!言われた通り来たぜ!俺はどうすれば良いんだ?」
俺は大声で叫んだ。すると、石の裏側から息を呑む音が聞こえた。すかさず俺は、石の裏へと回ると、見た事がないほど綺麗な服を着た人が縮こまっていた。
俺がそっと背中を叩くとそいつは叫んだ。
「うわああああああああ」
「いきなり叫ぶな!ビックリしただろうが」
そいつは振り返ると、俺の身体を上から下にゆっくり目を動かしてからよく見てから再び叫んだ。
「バケモノおおおおおおお」
「バケモノ?なんだそりゃ、俺はトウマだ」
なんだか、悪口を言われた気がして少し腹が立った。
「すみませんでした。僕は
「長いなどう呼べば良いんだ?」
「マコトでいいです」
「マコトか、分かった。ところでオマエ知らない顔なんだが何処から来たんだ?」
マコトは、腕を組むなり顎を手に乗せて考え始めた。背丈は俺よりも少し小さく、女子供のようにか細い腕をしている。見た事のない黒髪で、瞳も黒。服装は、明らかに上質な服で、靴も動物の皮で出来た俺たちの靴とは全く違う物に見える。
湿原の付近に住んでいる人間には、とても見えなかった。
「多分、トウマさんの知らない所です。ここよりもずっとずっと遠い所。僕はもしかしたら、トウマさんの知っている事を何一つ知らないかもしれません」
なんだか、昨日の老人のような事を言っている。マコトも湿原の向こうから来た人間らしい。
俺は、マコトという人間にとても興味を抱いた。
「俺が知っている事か。と言われても、俺もこの湿原と村しか知らないんだよな」
「トウマさんが知っている事を少しでも良いので教えてください。僕も知っている限りお話しします」
マコトは凄く必死になって食いついてくる。何か焦っているようだ。
「ここから、山が見えるだろう?山へ向かうと泥濘んだ土地が広がっているんだ。俺達、村の連中はそれを湿原って呼んでる。ここは一年中乾く事がないから、作物もあまり育たなくて、獲物を獲って暮らしているんだ」
「そうなんだ。湿原って事は、土地に起伏がないのかな。湿度が常に高いなら、水には困らなさそうだけど……それで、トウマさんの村には何人くらいの人が住んでるの?」
「六十人くらいだったと思う。俺の家族は、妹を入れて四人だ」
「妹さんも、その……毛深いの?」
「ん?ああ、妹は毛深くねえよ。両親も俺とは違って耳も手足も毛深くないよ。そういや尻尾も生えてないな」
また、マコトが腕を組み唸り出した。何を知りたいんだか、全然分からない。俺ばかり答えていることに気がついたので、気になった事を聞いてみることにした。
「なあ、ここに来るときにじいさん見なかったか?白髪で、同じく白い髭を生やして、顔とかちょっと汚れてるじいさんなんだが」
「見てないです。僕は気がついたらここに居ましたので」
「気がついたらここに居たって……どうやってここに来たんだよ」
「すみません。それが分からないんです。あ、そうだ。これ読めますか?」
そう言って、背中の見た事がない袋から、何かを取り出した。
「なんだこれ?」
「本です。僕の国では、これに書いてある事を読んで勉強をしたり、調べたりするんです。他にもたくさんの使い道がありますけど」
「読めって言われても、そもそも俺は文字が読めねえんだ。喋る事は出来るけど、文字なんて滅多に見ないからな」
「なるほど、識字率が高くないんですね。お金ってどうなっているんです?」
「ああ、なんか父さんが前に言ってたな、食べ物と交換したり出来る物だろ?村じゃ、食べ物同士で交換してるから、そんな物ねえよ。見たこともねえ」
そんな感じで、何度も色んな事を聞かれたが、半分くらいは何を聞かれているのか、分からなかった。
「マコト、オマエ歳はいくつなんだ?」
ふと、思い出し聞いてみる。
「十四です。中二の」
「俺と同じか。もっと子供かと思った。チューニっていうのはよく分からんが」
「あ、じゃあトウマさんも十四なんですね。身体がすごく立派だから、もっと歳上だと思いましたよ」
「さんはよせよ。トウマで良いし、その気持ち悪い喋り方もやめてくれ」
マコトは肩をすくめた。
「トウマにひとつお願いがあるんだけど」
――――――
どうやら僕は、僕の知らない世界に来てしまったらしい。
とてもリアルな夢を見ているのだろうと、思いもしたが、目の前を歩き僕と話をするトウマと、周囲の匂い、足の裏から伝わる感触が、靄がかった僕の頭を覚まさせた。
確かに僕は、ファンタジーが好きだし、RPGゲームだって好んでやる方だけれど、まさか自分自身がその世界に紛れ込む事が起こるなんて思いもしなかった。
僕が別の世界だと確信したのは、トウマの姿を見たからだ。
何と表現すれば良いのか分からないが、獣なのだ。耳は頭頂部に生え、顔の周りや服らしき布から出ている腕や足は毛深く、後ろを歩いているから気がついたが、尻尾が生えているのだ。
僕にはまるで、猫か
そんな謎生物に出会ったのに、襲われなかったのは不幸中の幸いだと思うべきだろう。
僕が
彼から得られた情報では、ご両親や妹さんは僕と変わらない見た目の人間である可能性が高く、村にも複数人の人間が暮らしているらしい。
村という事は、この周辺の地図だったり、様々な情報が得られると思ったのだ。
「ねえ、トウマ。結構歩いたと思うんだけど、村まで後どのくらいなの?」
多分、一時間以上歩いただろう。もっとも、時計代わりに使っていたスマホは電池切れしてしまったし、彼は時計なんて物を持ってそうには見えなかったので、ただの勘だが。
「そうだな。さっきの石の所からここまでの距離をもう一回くらいだな」
「遠っ!いつもこの距離を歩いているの?」
「そんなわけねーだろ?もっとだよ」
絶句した。文化というか、文明の差を痛烈に感じた。
いつもなら、バスか電車に乗って移動する距離だし、こんなに歩いてるのは久しぶりだった。
久しぶりの運動で、足が悲鳴を上げ始めていた。
「ちょっと、休憩させてくれないかな…」
「ははは、体力ねーな」
大爆笑された。くそう、この野生児め。歩きながら木の枝やら、木の実やらを拾ってても余裕そうだし。木陰を見つけると、休憩しようと促してくれた。
「あー、疲れた。足パンパンだよ」
「女かよお前は。そういやお前、水持ってねえよな?俺のをやるよ」
「ありがとう。実は喉も乾いちゃってて」
木でできた水筒を腰に掛けた袋から取り出して、器に注いでくれた。僕はそれを一気にあおる。
「なにこの水、すっごく美味しいんだけど!」
驚いた。いつも蛇口を捻れば出る、あの水道水と違い、なんというか臭くないのだ。塩素だったっけ、あの水道水の臭いは。
「大袈裟だなあ。山から引いてるただの水だぞ?」
「引いてるってことは、水路か何かを作ってあるんだね」
「そうそう。昔、村長達が水路を掘って、岩とかで固めて整備したんだって。服とか獲物を洗ったり、煮るのに使ったりもしてるぜ」
(聞く限りだと、生活レベルが縄文弥生時代のそれだけどね…………)などと物凄く失礼な事を思いながらも、水には困らなさそうで安心した。
空になった器を返して、何気ない会話を続ける。
「トウマって、その村にずっと暮らしてるんだよね?将来何かしたい事って無いの?」
それまで淀みなく、ハキハキと答えてくれていたトウマが、少し間を置き遠くを見つめて呟いた。
「ーーいつか、この湿原を超えたその先に、見たことのない場所に行ってみたいんだ」
「さて、そろそろ村へ向かおうか」
「あ、うん」
微かに聞こえた呟きは、胸の内に留めておくことにした。これ以上聞いてはいけないような気がしたのだ。
村へと向かう途中、僕と同じくらいの全長があるデカいトカゲを見つけ、物凄い動きで仕留めたトウマはご機嫌そうにトカゲを縛り背負った。
なんとなく嫌な予感がして、
そのトカゲをどうするのかは聞くことができなかった―――
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