第4話 出逢いと兆し




 もう何度目かの夏が来た。

この時期は、泥濘んだこの土地にも草が生え、その僅かな草を求めて、この時期にしか見ることの出来ない獲物達がやってくる。


 トウマは十四歳になった。背丈は父を超え、身体付きも立派な大人へと成長した。獣人の特徴である、細長い尾も伸びて、手足と顔に毛が生えそろっている。今では村一番の狩人になり、獲物を沢山狩っては村人達、特に幼い子のいる者へ分け与えていた。


 村への貢献が認められ、村長ガザルの補佐を父のセナが勤める事となった。とは言っても、根本的に生活が変わるわけではなく、慎ましいながらも家族四人変わらず幸せに暮らしていた。





 今日もトウマは狩りに出る。


 「靴に穴が空いちゃって歩きづらいな。ユノ、これ直せる?」


 「ん。貸してお兄ちゃん」

俺は靴を手渡す。ユノは手先が器用で、裁縫や料理が得意だ。子供の頃は、母さんの手伝いをしていたが、今では役割交代をして、ユノが家の中を任されている。

 背は母さんに似て、俺より頭一個分小さく、腰まで伸びた茶色の綺麗な髪を先の方で束ねているため、歩く度に左右に大きく揺れる。瞳は両親と同じ青で、俺のように毛深くはなく、尾も生えていない。



 「どうしたの?私のこと見つめて」


 「ああ、いや。なんでもないよ」


 「へんなの。はい、直ったよ」

俺は靴を受け取った。それほど時間は掛かってないのに、綺麗に直っていた。


 「ユノありがとう。じゃあ、行ってくるよ。父さんと母さんが戻ってきたら、暗くなる前には戻るって伝えといて」

手早く身支度すると、玄関へ向かい靴を履きながら言った。


 「わかった。気を付けてね」

ユノはにこりと笑って手を振ってくれた。



 扉を開けると、向かいに住むアザミさんが声を掛けてきた。


 「トウマくん、これから狩りに行くの?」


 「はい。俺の狩場はそんなに遠くないですから」


 「そうなのね。うちの旦那は早くから出掛けて行ったから少し遠くに行ってるのかしら」

アザミさんは、心配そうに俯く。


 「たしか、湿原の外れの方だよ。あっちは境目だから、今の時期なら大型の鳥やそれを狙う獣が獲れるんだ。カルさんは俺よりも熟練の狩人だから、心配しなくて大丈夫だよ」


 「そうよね。引き止めちゃってごめんね」


 「もし、カルさんに会ったらアザミさんが心配していたって伝えとくよ」


 「ありがとう」




 村を出発した俺は、いつもの場所へと向かう。

向かう先は決まっている。父さんから教わった、あの石がある場所だ。


 しばらく歩くと、すっかり苔まみれになった、あの石が見えてきた。今日もさっさと祈りを捧げ、罠の見回りと村で一番の腕を誇る、鳥を狙い撃つ猟をしようなどと考えながら歩いていると、石の前に見慣れない老人が座り込んでいた。



 「じいさんどうしたんだ?大丈夫か?」

その老人は、ぼろぼろの布を纏い、白髪は乱れて髭が伸び放題となっており、顔が薄汚れていた。老人が俺の顔を見るな否や、黄色い隙間の空いた歯を見せ、ニッと笑った。


 「腹が空いてのお、動けなくなってしもうたんじゃ。見てわかる通り、年老いたじじいには食べ物を獲る事も出来ぬでな」


 (良かった、生きてて……)などと、内心そんな失礼な事を思いながらも、俺はこの老人のために獲物を取ってくることにした。


 「俺がちょっくら獲物を獲って来て、じいさんに食わしてやるよ。もう少しだけ待っててくれよな」


 「ほお、それは助かるのお」



 俺は一番近くの罠へ急いだ。トカゲか何かが掛かっていれば、焼くだけでも食べられるからだ。


罠へと向かっている途中で、大きいトカゲが歩いているのを見つけた。


(仕留められなくも無いけど、危ないしなあ。どうするかなあ……)

 少し考えた末に、このトカゲを仕留める事にした。小石を拾い、解体用の石でできたナイフを右手でしっかりと握りしめ、気付かれないようにゆっくりと近づく。


 あと数十歩という所まで接近すると、左手に持っていた小石を、トカゲを超えた先に投げつけた。

トカゲは思わず、小石の着地点に注意を向けてしまった。その隙を見逃さず、急接近して飛び掛かり、首の後ろにナイフを突き立て、距離を空ける。どうやら、完璧に急所を突けたらしい。トカゲは血を流しながら倒れた。


 俺はしばらくトカゲが動くかどうかを見ながら警戒していたが、ピクリともしないため、獲物の確認をする。

やはり、完璧に首の急所へ命中させていた。


 「よし!サッサと血抜きして、じいさんのところへ持ってかないと」

手早く血抜きを済ませ、腰に括り付けた縄で縛ってトカゲを背負うと、急いで老人のところへと走った。




 老人のところへと戻ると、苔まみれだった石を、着ていた服だろうか、手の大きさの布で石を磨いている最中だった。


 「じいさん待たせたな。獲物を獲ってきたぜ……って、どうしたんだ?その石を磨いて」


 老人は振り返ると、哀しそうな顔をして俺を見た。


 「子を想う、母の愛を感じておったのじゃ。わしにはこの石を磨いてやる事しかできなんだ」


 老人が何を言っているのかよく分からなかった。


 「ほら、見てくれよこのトカゲ!結構良いのが獲れたんだ。焼いて食おうぜ」


 「おお、そうじゃったな。ありがたいのお」


 俺はトカゲぶつ切りにして串に刺すと、手早く火を起こして串焼きにする。しばらく焼くと香ばしい匂いが立ち込め、焦げ目がつき始めたのを見て火から離し、老人に差し出した。


 本当に数日何も食べてなかったのだろう。老人は次から次へと串焼きに手を伸ばし、胃に収めていく。


 「おいおい。そんなにがっついたら喉詰まらせるぞ」

ほら、言わんこっちゃない。老人は胸のあたりを叩きだした。俺はユノ手製の水筒から水を出して、老人に、器を差し出す。


 「ふう。生き返ったわい。感謝感謝」


 「そりゃ良かった。ひと息つけたみたいだからいい加減聞きたいんだけど、じいさん見ない顔だよな。どこから来たんだ?」

老人は伸びた髪を撫でながら、片目を瞑り答える。


 「今のおぬしに説明しても理解できぬじゃろうが、遠い場所じゃ」


 「それって、この湿原の向こうから来たってことか?」


 「そうじゃ。湿原を超えて、山を越え、遥かその先からじゃ」


 「そりゃあ凄い。いつか俺も湿原の向こうへ行ってみたいな……」


 老人はそれを聞き、両目をカッと見開くと声高々に両手を広げてこう言った。


 「一飯の恩じゃ、礼としておぬしを占じよう」


 「せんじる?せんじるってなんだ?」

老人のガクッと両手が下がった。俺は何か変な事を言っただろうか。


 「そうじゃったな、今のおぬしに難しい事を言っても分からぬか。要するにじゃ、これからおぬしが歩む道を少しだけ教えてやろうと言う事じゃ」


 「え?じいさんそんな事分かるのか!?すげえな」


 「では、心して聞くが良い」



『大湿原の子よ


おぬしには、天が与えし使命がある


これから起こる幾多の苦難や、悲しみを乗り越えし先にこそ、真の安寧は訪れるであろう


その紅の瞳は、激しい怒りの炎に燃え、共に歩む、海より澄んだ蒼の瞳は悲しみに染まる時がやってくる


だが、決して投げ出してはならぬ

絶望してはならぬのだ


おぬしが母や両親から受けた愛を知る時、己の真実を知ることとなる


全てを包む慈愛の心こそが、希望の光になるのだ


これから始まる旅で、数多の人と出逢うであろう

その者達と共に手を取り合うのだ


その道こそが、おぬしを大陸の覇者へと押し上ぐる、唯一の道となるであろう』





 「だから……難しい事はわかんねえんだよ」

何言ってんのか全然分からなかった。


 「今は分からずとも良い。これはおぬしが辿る道じゃ。聞かずとも、その道を辿るのじゃ」

そう言うと、老人は身支度を始めた。


 「もう行くのか?」


 「うむ。次は彼奴に会いに行かねばなるまいからの」


 「何処に行くのかは知らないけれど、気を付けてな」


 「おっと、ひとつだけ言い忘れておったわ。トウマよ、明日もう一度この場所へ来るが良い。それがおぬしにとっての始まりとなろう」


 「よく分からないが、分かった」


 「では、またいずれ逢おうぞ」

そう老人が言い、手を挙げると途轍もない強風が吹き、思わず目を瞑った。


 風が止み、目を開けると老人の姿は既になく、辺りを見渡しても後ろ姿を見る事は出来なかった。


 「いけね。もう暗くなり始めてる。帰らなきゃ」

火の始末を終え、残ったトカゲをもう一度背負い出発する。



ふと思い出した。

「俺、じいさんに名前言ったっけ?」



 老人が何者か結局分からぬまま、帰路に着くのだった――



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