3話 鎌鼬:ムサシ君
深夜の商店街に一人の男がいた。
彼の名は『
胸ポケットにはメモとペンが入っていて、首からは使い始めて六年になるカメラを提げている。それからズボンのポケットには煙草とライターが入っていた。
勲の仕事は主に雑誌記事の執筆だ。とはいっても聞いたこともないような都市伝説系のマイナー雑誌の記者である。彼自身三流記者であることは自覚していた。むしろ三流にしか作れない面白さがあるのだと自信すら持っていた。
「このいかにも何かいます的に明滅する古びた街灯、いいねいいね。おまけに漂う湿度高めの陰気な雰囲気。ゾクゾクしてくるね」
心の赴くままにシャッターを切る。
数日前、彼の元に一通の便りがあった。差出人は不明、達筆な文字でとある地方の商店街に深夜、人知れず開いている妖怪の店があると綴られていた。店についての詳細は書かれていなかったが、勲はそれだけで取材をするだけの価値があると判断した。
ネタがなく編集長にさっさと次の原稿をあげろと怒鳴られたばかりというのもあっただろう。距離的にも近く移動費が安くあがるというのもあったかもしれない。だが、何よりも彼を動かしたのは直感だ。馬鹿馬鹿しいとゴミ箱に突っ込むことができない妙な魅力を感じ取ったのだ。
彼は言葉にできない不思議な魔力の正体を調べるべくこの日、手紙にあった商店街へ訪れていた。
あらかた撮り終えた彼は自動販売機で缶コーヒーを購入する。
「実際、思ったより普通の商店街だな。妖怪が店を出しているにしてはぱっとしない。もっとこう、おどろおどろしい建物があると期待していたんだが・・・・・・もしかして外れだったか?」
彼の頭の中では記事の始まりから結末まですでにある程度できていた。
記事にそれっぽい建物を貼り付け『噂通りこの土地には人知れず妖怪達が商売をしているのかもしれない』で締めくくるつもりであった。
都市伝説系に真偽は無意味だ。なぜなら都市伝説だからである。
はっきりしない方が面白いし読者も喜ぶ。もちろん記者である勲の個人的な考えだ。人によっては徹底的に真実を白日の下にさらすべきと考える者もいるかもしれない。
「もう一回りしてから帰るか。最悪、イメージ写真でなんとかなるし」
空き缶をゴミ箱に入れてから再び歩き出す。
だが、その足はすぐに止まった。
「さっきまであんなところに店なんてなかった気がするが・・・・・・」
暗い商店街に煌々と明かりをともす一軒の店があった。
年季の入った風格のある店構えに、看板には『妖怪もふ屋』とある。
勲は恐る恐る近づき己が正気を疑った。
「本当にあった。でも一体何の店だ? まさか本物の妖怪がやっているわけないよな?」
確かに妖怪の店はあった。けれど今時、奇抜な名前で看板を掲げる店は珍しくない。勲はオチを変えなきゃな、などと考えながら店の扉を開けた。
「いらっしゃいませにゃん。お待ちしておりました」
「え? え?」
入って早々に迎えたのは二本足で立つでっぷりと太った三毛猫であった。
扉はひとりでに閉められ勲は何かに導かれるように奥へと進んでいた。
「いや~、いつ来てくださるのかと期待して待っておりましたにゃ。ささ座布団ですにゃ。どうぞお座りくださいにゃ。お茶もお持ちいたしますにゃ」
「どうも、お気遣いなく」
いつもなら先制的な一言からこちら側の空気に引き込んで、流れのままあれこれ聞き出す勲であったが、今の彼は完全に空気に飲まれていた。いや、目の前の光景を処理することで精一杯だったと言うべきか。空気がどうとか取材がどうとか思考を割く余裕は一ミリもなかった。
「粗茶ですが。あ、羊羹もいかがですかにゃ」
「ご丁寧にお茶菓子まで。ありがとうございます」
カメラを脇に置き、勲はお茶と菓子に手を付けた。
ほどよい温度のお茶に勲は僅かだが冷静さを取り戻した。冷静になれば考えるのは仕事のことだ。彼はジャーナリストだ。たとえ目の前の存在が超常的な存在であろうと話を聞いて記事にする。
「自己紹介が遅れましたがわたくしこういう者です。先ほど待っていたと仰いましたが、もしかしてお手紙をくださったのは・・・・・・?」
二足歩行の猫は器用に前足で名刺を受け取る。
「ウチですにゃ。実はお店を開いて一年になるのですが、宣伝が足りないのか来てくださるお客さんも少なく経営状況はあまりよろしくないのですにゃ。このままではせっかく開いたお店が潰れてしまう。そんな折りに偶然、宇津下様の記事を見かけこれだと思ったわけですにゃ」
「僕に宣伝してくれと?」
「謝礼はお支払いしますにゃ」
勲はしばし考え込む。妖怪の記事を書くことはやぶさかではない。元々そのつもりであった。だが、相手が相手だけにすぐに返事をするのはためらわれる。
「お店をやっていると言われましたが、一体どのような品を売っておられるのですか?」
「ウチは癒やしを商品にしておりますにゃ。その方に合った最高の”もふ”を提供し日々のストレスを解消していただく、この過酷な現代社会には必要なサービスですにゃ」
「なるほど。素晴らしいお仕事なのですね」
猫の言葉に頷きながら勲は『もふってなんだ?』と内心で首をひねっていた。
彼も出版業界の流行にはそれなりに目を向けている。昨今のライトノベルを中心に広がりを見せている転生やざまぁなど記憶に新しい。もふもふなども彼はよく知っていた。なにせ彼の好きなジャンルであった。問題は彼の考える”もふ”と猫の指す”もふ”が同じものなのかである。
「もしよろしければ無料で体験していってくださいにゃ。百聞は一見にしかずと言いますし、その方が良い記事になると思いますにゃ」
「あ、いや、しかしですね、えーと」
「ウチは猫又の松本と申しますにゃ。ではさっそく」
松本は慌てる勲を無視して固定電話の受話器を取った。
話し終わった松本は受話器を置いて扇子で机を軽く叩く。
「今宵、妖怪もふ屋に舞い込みしは、週一でしか帰宅できない故にペットが飼えず寂しい生活をしている三流ジャーナリスト。疲れ果てた心を癒やすのはこの一匹なり」
勲はなぜそれをと恥ずかしくなった。
誰にも話していない秘密であった。強面で通っている自分が可愛いペットを飼いたいなんて言えるはずもない。顔に熱が集まるのを感じる勲。
「きゅ」
「これは」
現れたのは茶色く艶やかな毛並みをしたイタチであった。
独特の長細い胴体と引きずる長い尻尾。小さくつぶらな瞳に丸みを帯びた耳はカワウソとは違う愛らしさがあった。
勲は心臓が収縮したのを感じた。恐らく一目惚れ。瞬時に確信するほどこの邂逅は運命的であった。
「彼は鎌鼬の『ムサシ君』にゃ。どうぞにゃ」
「・・・・・・もふもふ?」
「そうにゃ。もふもふにゃ」
もふとはなんてことはないもふもふだったのだ。だからこそ勲は興奮する。
「ムサシ殿、よろしくお願いいたします」
「きゅう」
名前がかの大剣豪だったからなのか彼は正座から一礼する。ムサシは小さく鳴いた後、勲の太ももを這い上がった。
胸の辺りで動きを止めたムサシは見上げながら首をかしげてみせた。
「は、はぁああああああああっ! 可愛いいいいいいいいっ!」
我慢できなくなった勲は抱き上げて顔を擦り付ける。
お腹に鼻を埋めるとお香の香りがした。動物のようで動物臭くない不思議な存在を勲は無我夢中でももふり続ける。
「無料体験はここまでですにゃ」
「なんだとっ!? まだ五分くらしか――は!? 三十分!??」
彼は腕時計を確認して目が飛び出しそうなくらい驚いた。
一方で彼は内にある凝り固まった疲れがするするとほどけるのを感じていた。
今までが嘘だったかのように次々にインスピレーションが沸き起こる。面白い記事が書けそうな予感をかつてないほど抱いていた。
「きゅきゅ!」
「あ」
ムサシは役目を終えたとばかりに鳴いて去る。
勲はつい未練のある元恋人を追いかけるように手を伸ばしていた。
「いかがでしたかにゃ。妖怪のもふもふ」
「良かった。なんかこう邪気が払われたようですっきりしました。普通のペットじゃこうはなりませんけどやっぱり妖怪だからですか?」
「それもあるですにゃ。詳しくは企業秘密ということで」
彼はふと壁に値段表が貼られていることに気がつく。
メモを取り出し記載した。もちろん記事と次の来店に備えてである。
「それで宣伝の方は~」
「都市伝説系の雑誌だから妖怪うんぬんは問題ないですし、体験者の投稿をもとに書いたと言っておけば通ると思いますよ。あとは読者次第ってことになりますが」
「ありがとうございますにゃっ! ああ、これでお客さんが増えるにゃ!」
松本の反応を見ながら勲は内心すでに乗り気であった。
最初は激しく戸惑ったが、よくよく考えてみればこの店はネタの宝庫である。何せ本物の妖怪がいるのだ。むしろ縁を切って損をするのは勲である。それにほとんどの読者は信じないだろう。実際に足を運ぶ奴らなんて一握りで、何かあっても内容が内容なだけに訴えようがない。
「こちらは謝礼ですにゃ」
松本は封筒を取り出すが、勲は手で制止した。
今の彼には金より求めている物があった。
「でしたら次回も無料でお願いします。もちろんムサシ殿で」
「あ、はい、ですにゃ」
松本は封筒を持った手を静かに下ろした。
妖怪もふ屋 ~至高のもふもふで貴方の疲れを癒やします~ 徳川レモン @karaageremonn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。妖怪もふ屋 ~至高のもふもふで貴方の疲れを癒やします~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます