第16話「おとー、おかー」
【はいはい】脱走兵ごっこは公式に許可された。扉の鍵は外され、今は自由に部屋を出入りできる。あとは僕が誰かに踏んづけられないように注意するだけど、もちろん使用人さんたちも皆注意してくれている。
ひとしきり屋敷内の冒険を終わらせた後は、おもちゃで遊ぶ。そして窓までハイハイして外の景色を見る。
同じ窓から見ているから、当然同じ景色。だけど最近は変化があった。
ピンク色の猫が庭に入り込み、時々こちらを見ているのだ。最初は気にもとめなかったが、明らかにこの部屋を意識している。
ん?
お客さんとお見送りするお母さんが出てきた。その二人は真ん中にいる不思議な色の猫には気がつかない。
おかしいなあ……。
「あらあら、またお外を見ていたのね」
お母さんが部屋にやって来た。僕を抱きかかえてベビーベッドに寝かせる。
そろそろお昼ミルクの時間なのだ。
「おかー。おかー」
「はいはい。今飲ませてあげますよ」
哺乳瓶をくわえる。どうにも人間の本能が真っ先にきてしまうのが赤ちゃんみたい。
ふう……。おなかいっぱい。食った食った。いや、飲んだ飲んだ。
さて。食後のサービスだ。
「おとー、おとー……」
天井に向けて両手をバタバタさせる。
「あら。あそこにお父さんはいないわ」
「おとー」
「でもお父さんみたいな人がいるかな? 一番後ろにいる、騎士見習いの一人かしら?」
「おとー」
「うふふ。わかってるじゃないの。一番下っぱの人ね。ランに報告しなくちゃね」
「ぶーバブー。おとー、おと」ニ人に会話のネタを提供しちゃうよー。
手足をバタバタさせると、お母さんは気がついて僕を絨毯に寝かせてくれた。
ゴロリと寝返りを打ち【はいはい】を発動。窓に接近する。
「あーあー。うー」あれ、あれが見える?
「ん、どうしたのかしら?」
必死に右手を動かすと、お母さんが窓際に来てくれた。
「何かな? 今日はとっても天気が良いわね。庭の緑が輝いている。いつも同じ景色で不満?」
「ばぶー、ぶー」違う違う。あの猫。
「何を伝えたいのかな。アル君」
間違いない。そう。あのピンクの猫は、他の人には見えないんだ。
「あら。使い魔の気配がするわね……」
「!」
「もしかして気がついたのかしら。すごいわね。赤ん坊なら感じられるとか……」
使い魔? 誰かの、か。いや、誰の?
「これもランに報告ね。すごいわよ」
「バブー?」敵か?
この家は誰かに監視されているの?
「王都警備用のやつ――、とはちょっと違うわねえ。うーん、近衛兵団仕様かな? そこら辺をウロウロしてるから。そのうちどっかに行っちゃうわ」
なんだ。わりと普通みたいだな。だけど、ちょっと違う気配ねえ……
再び一人遊びだ。新聞がテーブルの上に乗っている。ずれて三分の一ほどが下から見える。
椅子まで【はいはい】で行き、何とかつかまり立ちの成功。そこから片手を上げて魔力行使!
新聞はふわりと浮いてから落ちてきた。成功だ。
早速教養を得るために読んでみる。お父さんとお母さんが話していた、王都ウイークリーなる週刊新聞だ。
それにしても、この世界は時間や距離の概念が、現実世界と同じなんだよね。僕みたいに来ている人間がいるくらいだしなあ。逆もあるのかな?
ん~。字はまだ分からないか。この世界でも僕は新聞離れだ。文字は言葉みたいにはいかないんだな。
いくつかの単語の意味は感じられた。それに、なかなかイラストの多い新聞で楽しめる。
この世界の文字を、早く覚えないとな。
お父さんは帰宅するなり、僕の部屋へとやって来た。
「さて私は誰かな?」
「おとー」
「うん。おとーはね、あそこにはいないんだよ」
と、天井を指差す。
「おとー」
「これはずいぶん昔の話。もし同じようなことが起こったら、多分勇者の横で戦うんじゃないのかな? お父さんは結構強いんだぞ」
「あなた。まず着替えてからお食事にしましょう」
お母さんもやって来た。
「いやいや。君が偽情報を与えたみたいだから、まずそこをしっかり教えないとね」
「そうでもないわよ。実際そうだったんだから」
「だからこの話ではない。それにあの時はまだ弱かったんだ。これから同じようなことがあれば十分に戦えるさ」
「はいはい……。大丈夫ですよ。アルはわかっていますから。お父さんは強いって」
「うん、そうかそうか」
いやー。ホントに強いの? 怪しいなあ。
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