第9話「ローデン・ヴァルト大聖堂」
王都にある中央教会など、ただの出先機関にすぎない。
フェルデン連合王国の王都ハウゼンから馬車で半日。
ここローデン・ヴァルト大聖堂こそがローデン聖教の総本山となる。
その大聖堂で跪き
相対するのはレースカーテンの奥に鎮座する初老の女性。その両脇には八人の女性が座る。
聖教のトップである大聖母と、それを支える八大聖女連と呼ばれる組織だ。
全員アイマスクを装着し、顔はヴェールで覆われている。ローデン聖教は、事実上この九人で運営されていた。
「まずは言い訳から聞こうか。ベルンハルト司教。なぜ我々への報告がこんなにも遅れたのだ?」
一人の大聖女、ボースマ・フィロメナが怒気を押さえるように言った。
「はて? 遅れたとは心外ですな」
「言い訳無用っ!」
健康診断で対象者が見つかった場合は。即時報告すると規定されていた。
「遅れたといっても、たった二日です。さてさて、結果をよく吟味する時間ぐらいはいただけると思っておりました。報告が不正確では皆様のお手を煩わせるのですから……」
老獪さにおいてはベルンハルト司教に分があった。
「チッ! 屁理屈を。だいたい――」
「もういいでしょう、フィロメナ。私たちも暇ではないのよ。早く本題に進みましょう」
「ふんっ」
ビルヘルス・エフェリーンは八人のリーダー的存在だった。その威圧の前に他の七人は続きを静かに待つ。
「対象者は報告のとおり。魔力レベルは
「年寄りはこれだから……。アテになんのかよっ!」
フィロメナの懐疑は皆の代弁でもある。
「
「お爺ちゃんは無能。最初から私たちの誰かが行けばよかったのに」
「二度手間なんて、バッカみたい。責任問題でしょ?」
司教総叩きであった。大聖女たちは若さにまかせて言いたい放題である。
「だけれど棺桶はこけおどしではないですわ。たとえ誰が使ったとしても」
「つまり本物? まっさかあ!」
「高齢者にとって、あれの扱いは難しいでしょう」
「そうそう。早く別の若手に代わってもらったら?」
「一体いつまで続けるんだ。司教!」
「……」
ブラウエル・ベルンハルトは下を向いて何も語るまいと決めた。口でも魔力でも勝てるわけがないからだ。細い痩身がますます細る。
「今はそんな話をしている時ではないわ。それに司教業務は、教会での信者や民衆への対応。戦いではないの。そんなにやりたいなら、明日からでも王都の中央教会に出向きなさい。誰か立候補する?」
そのとおりであった。エフェリーンは今更ながら教会の実務を言って聞かせる。
「大聖母様……」
「二十年ぶりの
大聖母の言葉に、皆はその意味を静かに
「ならば誰かを付けましょうか? 私が人選いたますが……」
「そうですねえ……」
「ちっ。結局エフェリーンかよ」
「なら、あなたがやりなさいな」
「赤ん坊の世話なんてごめんだぜ。おしめを替えろって言うのかよ!」
フィロメナは立ち上がって、大袈裟に手を広げた。
娘たちがクスクスと笑う。ある者は戦闘狂フィロメナが赤ん坊の世話をする姿を想像し、ある者は自身のいつか来る未来を笑っているのだ。
「あー、それやってみたい」
「面白そうですわ」
まだ若すぎる聖女連であった。
ベルンハルト司教はあの日集まった母親たちを思い出し、この娘たちもいずれはあのような顔になるのかと不思議に思う。
「それにしても、こうなったのならばすぐに再測定が必要ではないのですか?」
「計測不能なんて気持ち悪いよな」
「私たちより上か下からぐらいは、はっきりさせなくちゃね」
「対象者の監視を続けましょう。観察したうえ、一歳児健診で再測定を行います。責任者はエフェリーンとし、人選は任せます」
「心得ました。マルティヌス・シャンタル、いるか?」
奥から一人の幼女が現われた。
「子供ではないですか……」
「ほら、爺さんも孫の世話は嫌だってよ」
「あらあ、お婆ちゃんは好きですよ」
「……」
大聖母の言葉に、フィロメナは無言で座る。
◆
総本山と王都中央教会を結ぶ街道は、今日も賑わっていた。
ベルンハルト責任司教は、馬車の窓から人々を眺めながら考えていた。
国中からローデン・ヴァルト大聖堂へと訪れる信者たちを受け入れるため、この街道は食事、休憩、宿屋、土産物屋などで賑わっている。土地を所有する貴族も王都も潤っている街道だ。
フェルデン王国とローデン聖教の関係は良好であった。
中央教会に到着し、ベルンハルトは下車する。庶民の一家を見送っている神父の姿が目についた。
「今日の健康診断はどうか?」
「特にこれといった問題は……。順調でございます」
「測定不能の判定は?」
「ございません」
「うむ、それはそうだな……」
魔導具の誤動作などではない。何度も確認した。測定は正確であったのだ。
そして通用門兼用の扉を越え、貴族区画へと入る。
建物の中に作られたこの隔たりは、教会の特権であった。つまり貴族、庶民とはまた違う第三の身分を与えられているのが教会なのである。中央教会は庶民区画、貴族区画をまたぐ聖堂施設となっていた。
事務室に入ると修道女たちが心配そうな顔で出迎える。
「お帰りなさいませ。いかがでした?」
「まあ、色々と言われたが、特に問題にはならなかったよ」
「何よりです」
「うむ。しかし大聖女とやらは、なぜいつもガミガミ言うのだ。これだから女は――いや……」
「彼女たちも忙しいのですよ。もう明日の早朝から赴任地に向かうのですから」
「まあな。今日はもう帰る」
「はい。ご無理はなさらないように」
「あとは任せたぞ」
◆
自宅に戻り、届けられていた食材で調理などする。ベルンハルトは本日の食事当番なのだ。老人特有のこだわりでシチューなどを作る。味見をし、その味に満足した。
まるで測ったように老妻が帰宅する。
「やれやれ。赤ん坊の大切な行事なのに、ちょっと慎重にやるのも許されんとは。だいたい測定不能など滅多にないのに」
「まあまあ――。美味しそうな香り。いつものシチューね」
「ああ。体を張っている私の身も案じて欲しいわい」
「だからそろそろ、他の者を派遣するとの、大聖女たちからの提案を無視したのは
「そうだった……。いや、わしはまだまだ現役だ」
「どうだか」
大聖母のブラウエル・ヨセフィーネは週末の二日だけはこの自宅に戻り、それ以外は聖教の総本山に詰めているのだ。
「まあ、王都の貴族相手にうまく立ち回れる者おらんからなあ。私は辞めたくても辞められん」
ヨセフィーネはクスリと笑う。最小の魔力を使い、ボトルのコルクを簡単に抜く。棚のグラスが測ったようにテーブルに二つ並んだ。
「あの将来聖女はなかなか優秀な子なのですよ。子供の方が怪しまれませんから」
監視は秘密裏に行わなければならない。貴族などに噂が広まっては大変だった。
ベルンハルトは料理を並べた。
「さあ、ワインを頂きましょうか。新たなる力に乾杯しましょう」
「老体に鞭を打って、祈るとするか」
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