第12話

 こんなものか、と思った。

 ミーナはこの一年ほど、努力を重ねてきた。将棋だけでなく、日本語も勉強してきた。努力して努力して、目標を一つずつ達成してきた。そうしたら、日本にずっといる、ずっと将棋をしてきた人たちに勝てた。

 審技会に来ているのは、将棋の天才たちだと聞いていた。子供の頃から強くて、天才と呼ばれた人たち。そんな者たちの争いの場だと。けれども、ミーナはそれを努力で乗り越えた。

 定められたものが嫌いだった。いまだに、それを気にする人々は多い。ミーナの父親はそれに抗って生きてきた。彼女はそんな父を尊敬していたのだ。

「全てを簡単に乗り越えてあげる」

 ミーナは、目を閉じて笑った。



 黒川美駒。ずっと名乗ってきた名前だが、本名ではない。

 美駒の本当の名前は、乙川美駒だった。乙川名人は娘の生駒と共に過ごすことは全くなかったが、形式的には多くのものを与えた。その一つが名字だった。生駒の母はそれを欲した。愛情からでないことは確かだったが、理由は誰も聞いたことがない。

 将棋界でプロを目指すにあたり、乙川を名乗ることは難しかった。生駒の存在は、ほとんどの者が知らないのである。偶然現れた乙川、というのは難しい。それほどありふれた名前ではない。

 そんなわけで美駒は、父方の黒川の姓を名乗ることになった。それは、生まれた時からずっとであった。

 美駒にとって、それは普通のことだった。本当は戸籍とは違うらしい、ぐらいの感覚だったのだ。

「乙川、だったらどうなんだろう」

 けれどもプロに挑戦すると決めてから、初めて本名のことを意識し始めた。名人の孫。おそらくそれはこの世にたった一人しかいない。二人の祖父はどちらも一流棋士。血に祝福された存在。

「美駒も天才だ」

 幼い頃、父親の綜馬はそう言った。当然、他に想定されている天才は生駒だった。美駒自身、実感している。才能があるから、自分は将棋が強い。その才能は、2人の祖父から与えられたものだ。

 それでも美駒は、それだけで満足することはなかった。何より彼女は、母親に全く歯が立たないのだ。天才の中にもランクがある。生駒は、上の上だ。美駒は、そこまでではない。だから強くなるために、努力しなくてはならない。

 もうすぐ、初めての審技会の日がやってくる。そこで、彼女の「実力」が試される。

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