挑んだモノ

第7話


「アリガトウ。アリガトウゴザイマス」

 ミーナは一人でぶつぶつとつぶやいていた。

 日本語学習アプリで、朝からずっと勉強していた。本も買ったのだが、どうしてもゲーム的なものでやった方がはかどったのである。

「アリガトウ。アリガトウゴザイマシタ。これあれだ、ゲームで言っていた」

 将棋の対戦アプリでは、負けたときに音声が流れた。

「負けたのに何に感謝するんだか」

 将棋にはそれ以外にも、納得のいかない作法がいくつかあった。とはいえ、そういうものは守らないと仕方がないのだ。

 将棋の対局動画なども見たりした。日本では、畳というものの上にじかに座るらしい。あと、プロは異様に分厚い盤を使って対局する。時には、伝統的なワフクというものを着て大切な対局をすることもあるようだった。

 異国の伝統あるゲームは、謎だらけだった。その中で、最先端の道具で不正を働いている男がいる。父のものを盗んだ男がいる。

 ミーナは、早くその世界にたどり着きたかった。どうしようもない世界だということを体感したかった。一人の少女に壊せる世界だということを証明したかった。

「ドウイタシマシテ。これは将棋では言わないのね」



「あー、はい。はい。わかりました。お体お気をつけて」

 ペコペコしながら電話をしていた綜馬は、話し終えると深いため息をついた。

「おじいちゃん?」

「ああ。大変なことになりそうだ」

「連盟のこと?」

「そう。分裂が避けられないらしい」

「やっぱり」

「しかも、片方の団体は、おじいちゃんが代表だ」

「わー」

 黒山銀次郎は元名人であり、長く連盟で理事も務めてきた。名人は体調が悪化し、南牟婁は人望がない。現会長は別団体へ行くと宣言しており、黒山がトップに担ぎ出されるのも必然と言えた。

「まあ、しかしこんな日が来るとは」

「どうなっちゃうの?」

「伝統的な組織と、新しいものを受け入れる組織ができるんだ。美駒はどっちがいい?」

「うーん、私はおじいちゃんがいる方!」

「はっはっは、そうか」

 綜馬は笑いながら、ちらりと奥の部屋の方へと視線を動かした。新しい組織は、どんな人間でも、どこからでも参加できるものになると予想されている。

 生駒も、参加できるのでは? 三十年近くベッドで暮らす人に、初めて訪れるかもしれない新しい世界。常にネットとつながっている生駒は、すでにこのことを知っているだろう。

 どうするのだろうか。共に過ごしてきた時間から、答えを予測するのは綜馬には難しかった。

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