第4話

 乙川洋が、名人に返り咲いた。4‐0での圧倒的な勝利だった。

 若いころから活躍していたが、私生活が不明の棋士。普段何をしているのか、家族がいるのかもわからない。南牟婁のライバルとして注目されることはあっても、熱狂的なファンが付くというタイプではなかった。

 彼は実は、美駒の祖父である。若き日に生駒が誕生したが、世間に公表しなかった。そして美駒は、戸籍上の名前は「乙川美駒」だが、普段は「黒川美駒」として過ごしていた。

 乙川に頼まれ、黒川は息子の綜馬を美駒と結婚させた。美駒は一流棋士2人を祖父に持つことになる。

「実感ないなあ」

 父の綜馬に説明されたものの、美駒は浮かない顔をしていた。第一には、乙川には会ったことがないのだ。血がつながっていても、他人のような感覚である。そして次に、父は将棋が全くできなかった。確かに生駒は乙川の血を継いで天才的な将棋の強さを誇っているのかもしれない。しかし「血を継いでいない」実例が目の前にいるので、「祖父二人の血がすごいんだから」と言われてもピンとこないのである。

「まあ、そうかもね。お母さんも、そう言ってた」

 生駒も、一度も乙川とは会っていない。「父親がいないという知識でしか、父親のことは知らない」と彼女は言った。

 乙川は誰にとっても謎の人間だった。そして、突如全盛期の強さを取り戻した理由も、ほとんどの人はわからないままだった。



「やられた!」

 ミーナの父はスマホを見つめながら叫んだ。

「ど、どうしたの急に」

「使われたんだよ、アワーゼロを」

「使うために売ったんじゃないの?」

「使い方を制限するためだ」

「どういうこと?」

「プロをはるかにしのぐ力のあるソフトに対して、連盟は『コントロールの必要性』を訴えてきた。誰もがソフトを利用できるようになると『誰もが最強の手を指せる』ことになる。人間とソフトが対戦するときはきちんとした舞台で、それ以外は他のソフトの開発や教育のためのみに利用するという約束で、権利を渡したんだ」

「なるほど」

 これまでもソフトを利用する棋士はいた。しかし明確に人間を凌駕するソフトが出てきたため、連盟は急遽対策を講じたのである。アワーゼロを研究に使えないようにして、「人間を越えた存在からは直接は学べない」ことにより公平性を保とうとした。

 そのためにデータも渡した。それが悪手だったのである。

「なぜ乙川だったのかはわからない……だがこの指し手は、明らかにアワーゼロを参照している」

「勉強に使ってるってこと?」

「いや、終盤まで全く力が落ちていない。多分、対局中に参照している」

「そんなことができるの?」

「いちおう、方法はある。非合法だが」

 父は唇を噛んで、何回かテーブルを叩いた。

「しかしだ! まさか直接頭に埋め込むか!?」

「そういうことなの?」

「それしか考えられない」

「カンニングを証明できないの?」

「うーん……。アワーゼロは、最初はとても弱い。それぞれの環境で強くなっていくから、完成品はそれぞれ違う。だから、一致率などでは証明できない」

「そんなあ」

 ミーナは悲しくなってきた。自分が遊んでいたゲーム機は、アワーゼロが生み出したお金で買ってもらったものだ。そのアワーゼロが、本当に不正なことに使われているとしたら、なんだかとても、後ろめたい。

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