第25話

 8月も終わりに近づいている。暑さはまだ弱まる気配を見せないが、千紗から『夏休みの宿題、追い込み中』とLINEが来て、秋の訪れを感じ始めていた。数学が苦手な千紗は、理工学部に通う凛音りんねに相当手伝ってもらったようだった。


 そして、ここでも夏らしい浮き輪の装飾は外され、新たにアンティークのランタンが天井から吊り下げられている。


「リンリン、全然元気ねぇじゃん。いつまで夏バテしてるつもり?」


「すみません……」


「謝れなんて言ってねぇって。ちゃんとジンジャースプリッツァー飲んでる? あれ夏バテに効くんだけど」


「週末はいつも飲んでます。あのおかげで何とか元気なんですけど……」


「酒じゃどうにもならねぇこともあるってことか。なぁココナッツ、リンリン元気付けらんねぇの?」


 すっかり常連になったイタリアンレストランのカウンターで、タクが凛果に話しかけてきた。隣には小夏もいる。

 タクは知り合った人にあだ名をつけたがる習性があるようだ。凛果はリンリン、小夏はココナッツ。杏香はタクさんと知り合いになる前に大阪に行ってしまったが、彼ならどんなあだ名をつけただろう、と凛果はぼんやり考えていた。


「会社でもずーっとこの調子なんだもん。坂井くんにも『内田さんどうしたの?』なんて聞かれちゃって。長期の夏バテかもって答えといたけど」


「坂井くんが? なんで」


「凛果、本当、そういう所……まぁいいや。とりあえずカプレーゼは食べられるみたいだけど、どうしたの? この一週間、あまりに元気ないよ」


「うん……」


 凛果は小夏をチラリと見た。

 出会って四ヶ月。毎日のように話しているし、お昼も一緒だから、小夏とはもう、視線だけでコミュニケーションが取れる。小夏はタクの方をチラリと見て、うんうん、と力強く頷いた。


「シュンと、連絡が取れないの」


「えっ?! この一週間ずっと?」


「うん。私が余計なこと言っちゃって、怒らせちゃった気がするんだよね……」


「ちょっと待てリンリン。ツレがいたのか?」


「あぁ、はい。元々サークルの先輩だったんですけど、お付き合いに発展して」


 その時、タクがキッチンのアルバイトに呼ばれ、名残惜しそうにその場を後にする。凛果は主に小夏に向けて、ことの詳細を話した。小夏はあちゃー、と声を出す。


「それはやっちまったかもね」


「もう一度話して、謝りたい。私が120%悪いし。でもどうすればいいのか……」


 前菜を盛り付けたり、グラスを拭いたりと忙しそうだったタクが、このタイミングでまた話に戻ってきた。


「電話が通じねぇなら会えばいいじゃねぇか。こんなとこで飲んでねぇで、早くツレのとこ行ったれ」


「タク、凛果のとこは遠距離なの。そう簡単に会える距離じゃないのよ」


「もしかして海外にいんのか? 確かにそれならちょっと大変だな……」


「違うんです」


「なんだ。国内なら離島だろうが何だろうが、海外よりは簡単に——」


「天国と現世の遠距離なんで」


 タクは凛果の顔を見る。次に小夏の顔を見て、最後になぜか、一切れ残っているカプレーゼを見た。


「……ココナッツ。リンリン正気か?」


「正気。凛果が変なこととか嘘を言ってないって保証する。……あのね、タク。驚かないで聞いて。あのね」


「小夏、待って。私自分で話す。……タクさん。私、これまで毎日、交通事故で亡くなった彼氏と通話ができてたんです。でもそれが絶たれちゃったら、私、どうしたらいいか……」


「それ、他のスマホじゃできねぇの?」


 タクは小夏を見た。察した小夏は、「そのアプリ私も入れてるから」と自分のスマートフォンを差し出してくれるが、『日陰の星』は検索してもヒットしない。


「他に方法ねぇかな」


「……ダメです、私がシュンの所に行くって方法しか思いつきません」


「それは絶対ダメ! それやったらいくら凛果でも殺すからね」


「小夏に殺される前に私死んでる」


「そういうことじゃなくって! とにかくダメだよ、凛果が思ってる以上に凛果を大事に思ってる人はいっぱいいるんだからね」


「うんうん。ありがとね、小夏」


「なぁ。何の話をしてから、繋がんなくなっちゃたんだよ」


 凛果は、先ほど小夏に話したことと同じことを話した。「どうしてそんなひどいこと言ったんだよ、死人に」というタクに、ユウから来た同窓会の連絡についても話した。


「じゃあさ、リンリン。そのユウさんって人に連絡して、同窓会行けばいいんじゃねぇの?」


「行ったら何か変わるとでも?」


「シュンって彼氏がキレてんのかは分かんねぇけどさ。シュンが死んだ後、リンリンは自分から何か動いたか? 今も声をかけてくれる人に、何かしてきたのか? それができない自分を、シュンが死んだせいにしてこなかったか?」


「それは……」


「ユウさんってのは、シュンの幼馴染でもあるんだろ? リンリンとユウさんの関係が切れることは、シュンとユウさんの関係が切れることも表してたのかもしれない。シュンは天国にいてもなお、リンリンを想い続けてくれてるんだろ。死んで一年以上経つなら、そろそろリンリンが、シュンの気持ちを汲み取ってあげてもいいんじゃねぇの?……まぁ、アラフォーのおっさんの一意見に過ぎねぇけど」


「おっさんって自分で言わないでよ、タク。私はおっさんと付き合ってるつもりはないのに」


「ココナッツ、今は黙っとけ」


 駿平の気持ち。

 本当は、ユウさんとも繋がりたかった? それをある意味、自分が阻止していた?


 凛果は最後のカプレーゼを口に入れた。バジルとオリーブの香りが、鼻にスーッと抜けていく。

 そのまま自分のスマートフォンを取り出し、ユウさんに『行きます』と送信した。

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