第26話
9月中旬の土曜日、夜。
凛果は細かなレースの装飾がついた黒のワンピースを身につけていた。
地元に戻ってくるのは約一ヶ月ぶりだが、今回は実家に寄らないと決めている。どうせ日曜の夕方には帰るのだし、と、同窓会が開催される場所の駅に近いビジネスホテルでチェックインしていた。
『駅前のロータリーに17時集合で!』
参加者だけが招待された、急ごしらえのLINEグループには40名近くが名を連ねている。ユウさん曰く、30人集まれば上々とのことだったのに、上回っている所はさすが彼の人望の厚さだと実感した。
ロータリーを見渡せるカフェでカフェラテを飲んでいると、徐々に膨らんでいく人だかりが一つだけある。少しかしこまった装いから見るに、きっと凛果と同じサークルだった人々だと分かる。ただ、目と鼻の先の距離が、今はものすごく——それこそ、シュンと自分との物理的な距離のように——遠い。
あの場所に、入っていける自信がない。LINEグループに招待された時から、気が気じゃなかった。誰かに退会させられるんじゃないかとまで思っていた。何とか当日まで退会させられずに来たけれど、実際に姿を見せれば「本当に来たのか」と思われてしまいそうで……。
「なーにしてんの」
「……!」
思わず肩をびくつかせ、カップ半分ほどのカフェラテがこぼれそうになる。
声をかけてきた人物は「ごめんごめん」と笑いながら、凛果の右隣に座ってきた。
「驚かせちゃったね」
「ユウさん……」
「本当に来てくれたんだ」
「でも、あの輪に入れるかな、って」
「きっとそうだろうと思ったから、ロータリー近くの店を一通り歩き回って探してた」
「何かごめんなさい」
「いいんだよ。その気持ちは少し分かるし。俺がもし凛果ちゃんの立場だったら、もっともっと塞ぎ込んで、就職もできてなかったかもしれない」
「ユウさんはそうやって話してくれるけど、みんながどう思ってるか、不安なんです。せっかくいただいていた役を放棄してサークル辞めた身分だし、迷惑をかけた事実は変わらないから」
すると、ユウはなぜか口の端を吊り上げる笑い方をした。いつも朗らかな彼がそんな顔を見せるのは初めてで、凛果は一瞬たじろぐ。
「ねぇ、ちょっと意地悪な話してもいい?」
「意地悪な話?」
「うん。……人は自分が思ってるほど、自分に関心を持ってないって話。ってか、人は思ったより何倍も利己的、って話かな。確かに凛果ちゃんの無断欠席が続いた時、理解がある人もいたし、流石に無断は許せないって人もいた。その上退会ってことになって、結局退会するなら早めに言えばいいのにって人もいた。でもね、凛果ちゃんはそのせいで公演を潰したって思ってるかもしれないけど、そんなことない。むしろ凛果ちゃんのポストが空いて、その代役争いが激化した。それだけみんなもやりたがってた役だった。だからすごく意地悪く話せば、凛果ちゃんが公演を降りたことを喜ぶ人も複数いたってことなんだ」
「そっか……まぁそうですよね……たかだか学生団体の演劇だし、私の代わりなんていくらでもいますよね」
「あ、そうとも限らないよ。凛果ちゃんの歌声は誰にも真似できないし、事実、当時の幹事長は凛果ちゃんに近い歌声の代役を探してて、オーディションが難航したんだ」
「そうでしたか……」
「ちょっとここまで嫌な話をしてきたから、最後にちょっといい話をしようか。凛果ちゃんの無断欠席とか退会に執拗に文句言ってた
そう言ってユウは、窓から見えるロータリーを指差す。
「カフェラテ、もう飲んだ?」
「あ、はい」
「じゃあ一緒に行こう。まだ不安なら、ロータリーじゃなくて、俺と直接店に行こう。そこからしれっと登場すれば大丈夫だよ」
「……はい」
凛果はカップを下げ、わずかに背中を丸めてユウの後について行った。
◇
店はサークルに所属していた頃から、時々打ち上げで使っていた馴染みの店だった。バーカウンターが店をぐるりと囲むように配置されていて、真ん中に立食形式で色とりどりのピンチョスが置かれている。
店には既にこの同窓会の幹事陣が数名いて、先輩方に会釈した。その人達は退会を伝えた時にも最後まで気遣ってくれた人々で、「凛果ちゃん! 久しぶり、何だかもっと綺麗になったね」と声をかけてくれた。
「ねっ、杞憂だったでしょ」
「はい……ちょっとだけ、ホッとしました」
「当然だよ。凛果ちゃんは何も悪いことしてない」
凛果は一瞬、胸がチクリと痛んだ。
悪いこと、してしまっている。駿平に言い過ぎてしまってから、まだ一度も話せていない。
今日ユウさんに会ったことで、本当に何か変わるんだろうか?
……いや、自分で何かを見つけて、きっと変えなくちゃいけない。
そんなことを考えている間にロータリーで集合していた人々が一気にやってきて、店の熱気が高まる。
照明を落とした店内に溶け込めるようにと黒いワンピースを着てきたのに、皆の注目はたちまち凛果に集まってしまった。考えてみれば凛果だけ、大学三年生の時以来の再会なのだ。注目されるのも無理はない。
ただ皆、幹事陣の先輩達と同じだった。凛果の無断欠席や退会を批判する者はいなくて、本当にただ再会を喜ぶような言葉をかけてくれた。あんなに長く止まっていた時計の針は嘘のように急に動き出して、凛果も参加していた公演の話に花が咲く。
「何か、ごめんね。目黒さんが亡くなったって聞いて、凛果のこと考えるほど、どう声をかけたらいいか分かんなかった。それで凛果も居心地悪くて辞めちゃったのかなって」
そうか、そうだったんだ。
何だか、ちゃんと向き合って話せて良かった。
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