第18話

 結論から言えば、千紗はちゃんと凛果の家に戻ってきた。既に午後8時を回っていたが、無傷だ。


 千紗は大人の乗客達の判断に従い、こじ開けられたドアから降りて線路を歩いていった。その車両では彼女が最年少だったらしく、周囲の大人がガードするように歩いてくれたようだ。

 線路伝いに歩いて最初に辿り着いたのは、最寄り駅の一つ隣の駅。多くの報道陣をかき分けながら、臨時で増便されていたバスに乗って最寄り駅まで帰ってきた。

 その最寄り駅のロータリーには、居ても立ってもいられずに家を飛び出した叔母夫婦がいて、三人で歩いて帰ってきた、という経緯だった。


 現場の状況は、居合わせた千紗よりも、ずっとテレビで中継を追っていた凛果達の方がよく理解していた。


「え、そんなヤバかったの……? 電車のドアをサラリーマン風のおじさんがこじ開けて出た時、何か燃えてるのは見えたけど……」


「とにかく千紗。あんたが最前車両に乗ってたことが救いだったのよ。あぁっ、ほんっとに良かった!」


 叔母が、ぎゅーっと千紗を抱きしめた。「ママ、くるし……って」と顔を一瞬歪めるが、何だかんだで叔母の背中に腕を回す所は、まだ13歳の少女であることを感じさせる。



 二人亡くなって、十人程度が重軽傷を負った。全員、火の手が上がった最後尾の車両とその一つ前の車両にいた乗員と乗客達だ。男は現行犯逮捕されたが、大量の返り血を浴び、顔や服はすすで汚れていた。


 かなりショッキングな事件だった。今千紗に全てを話したら、体は無傷でも心に傷を負ってしまうかもしれない。千紗が帰宅すると叔母から連絡があってから、凛果はリビングのテレビを消していた。


 凛果は二階の自室に入り、充電が少なくなってきたスマートフォンを再び開いた。もうテレビはつけられないため、SNSのタイムラインで最新情報を追ってみる。

 すると、奇妙な文言が流れてきた。


 ************

 ××線 放火殺人事件

 2人死亡 11人重軽傷 2人行方不明

 ************


?」


 自然災害や遭難などなら理解できる。ただ、電車内の事件で行方不明というのは聞いたことがない。

 実際にタイムラインでも、「行方不明とか謎なんだが」というツイートが次々に流れてきていた。


「もしかして……シュンの忠告と、関係がある?」


 スマートフォンを充電器に繋いでから、音楽アプリを呼び出して『日陰の星』をタップする。待ち望んだ相手はすぐに出た。


『リン? 無事?』


「私は無事。従姉妹は事件に居合わせたけど、体は無傷」


『良かった……従姉妹は出かけたの?』


「昔の友達と急に会える予定ができたの。引き止めたい気持ちもあったけど、滅多に会えない友達らしくて、できなかった。でもそしたら帰り道、あんなことに……。全て知ってたの?」


天国こっちにいる一部の人は予知ができる。でも正確に何が起こるって分かるのは、せいぜい数分前。数日前から、大体の場所は見当がつくんだけど、何が起こるかってことまでは分からないらしい。だから今日の事件も、男が車内で火炎瓶を持ち出すまでは分からなかった。でもリンの近くで何かが起こることは分かってたし、かなり大変なことだってのも分かってたから、ああいう中途半端な忠告になった。リンを必要以上に怖がらせたくなかったのもある。でも従姉妹をそういう目に合わせちゃって、本当にごめん』


「いや、忠告してくれただけありがたかったよ。でも……行方不明者が二人いるってSNSで流れてきてるの。これどういうこと?」


『あぁ、出ちゃったか……』


 駿平はため息をついた。周囲の人にも『出ちゃったみたいです』と話す駿平の声が聴こえる。


「出ちゃった、って?」


『行方不明の人には悪いけど、とにかく、リンとか従姉妹がそうならなくて、本当に良かった。……その人達はもう、一生見つからない』


「えっ?」


『リンに外出しないでって言ったように、俺達も現世そっちのそのエリアに還ることを禁じられてたんだ。下手すると、次元の隙間に挟まっちゃうから』


「つまり……行方不明の人達は、その隙間に挟まっちゃったってこと?」


『そうだと思う。気が動転するような事態が特定の日に起こると、ごく稀にそういうことが起きる。一度挟まると、もうどこにも還れない。生きてもいないし、死んでもいない扱いになる。存在自体が消えるらしいんだ』


「そんなこと……」


『それが誰の身に起きるか分からない所が、一番怖い所なんだ。下手したらリンや従姉妹の可能性もあった。俺も今日そのエリアに還ろうとしたら、一歩間違えたらその隙間に挟まっちゃう可能性が高かったんだ。だから天国こっちの人達に、絶対に還るなって口酸っぱく言われてた』


「行方不明の人達の、家族って……」


『明日にはきっと、行方不明の文字も消える。その人達の存在自体、なかったことになる。家族もその人がいたことを忘れる。そんなことが年に一回、どこかで起こるんだ。……ごめん、今日は説明ばっかりだったな。明日は問題ないから、俺は還って見ようと思う。……あぁ、時間が。それじゃ』


「あ、シュン」


 ふっつりと音声が途切れた。


 たまに、行方不明のニュースが流れた後しばらくして、そんな事件などなかったように扱われることがある。

 その場合、きっと彼らは次元の隙間に挟まっているのだろう。


 そうなったらもう、決して誰にも会えない。天国で誰かに再会することすらできない。

 千紗がそうなってしまっていたら。千紗など初めからいなかったように、叔母夫婦が振る舞う時が来ていたら。


 その時には多分、凛果にも千紗の記憶はないのかもしれない。

 でもどうしようもなく、怖かった。


 人の記憶に残り続けること。


 多分それが、現世とあの世を含めた世界で、最も尊いことなのかもしれない。

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