第17話
「あ、え、うっそ」
朝ご飯を食べ終わった後のソファで、スマートフォンを見て独りごちたのは千紗だった。
「千紗ちゃん、どうしたの?」
「あ、凛音ちゃん聞いてたの。今レイが帰国してるんだって。今日だけこっちに来てるみたいで……良ければちょっと会おうよって連絡来てて」
「あ、レイちゃんって、小学校の時仲良かった? そんで五年生の時にお父さんの仕事でイギリス行っちゃった子だよね? 確か」
「そうそう。凛音ちゃん、記憶力すごいね。ひっさしぶりだし、お昼ちょっと会ってきていいかな」
すると叔母も凛音も「行って来なよ」と頷いた。
待って、これはきっと……良くないこと?
「あーっ、待って千紗ちゃん。今日は特に猛暑日で、熱中症の危険があるんじゃ……」
「大丈夫だよ。水と扇風機持っていくし、帽子被ってくし。それに毎日炎天下の中登校してたんだから」
「あー、うん、そうだよね……で、でも今日は素麺を……」
「お姉ちゃん。レイちゃんと千紗ちゃん、今日だけ久しぶりに会えるんだよ。確かに昨日はその約束してたけど仕方ないじゃん」
「あ、こ、こっちに来てもらうのは?」
「お姉ちゃん? レイちゃんは私達のこと知らないんだよ? 居心地悪すぎでしょ。それにもう中学生なんだから、家族ぐるみじゃなくったっていいじゃない」
ダメだ。凛音は弁が立つ。姉妹喧嘩でもかなり互角、いや一枚上手なのだ。
でも何か引っかかる……。駿平があれだけうるさく言ってたことが、気になる。
「あ、じゃあ、最寄り駅まで一緒に行かない? 私もちょっと散歩しよっかな、っていうか、千紗ちゃんと話したいなっていうか……」
すると千紗は笑い、「なんだそういうこと? じゃあ凛果ちゃん一緒に行こうよ」と言ってくれた。
今日は水色のシュシュでポニーテールに髪をまとめ、白いキャップを被った千紗と共に家を出る。小学校時代の親友に会いに行く彼女は、今にも鼻歌を歌い出しそうなくらいに気分が高揚しているのが分かった。
中学から始まった英語の授業が思ったより楽しいという話、陸上部の朝練がキツいという話、担任の先生がイケオジで毎日話題になっているという話なんかを千紗から聞いた。「凛果ちゃんは会社楽しい?」と聞かれ、曖昧な返事を返す。嫌な仕事ではない。ただ、学校のような楽しさとは全くの別物だ。でも千紗にはまだ、その違いが分からないだろう。
「じゃ、行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい。楽しんでおいで」
改札まで見送り、すぐに背を向けようとして、でもどこか気になって、千紗の姿が見えなくなるまでそこに留まった。
電車がホームにやってくるアナウンスが聞こえる。きっと次の準急に乗って、中心部に出ていくだろう。
電車がホームに滑り込み、発車ベルが鳴る。凛果はゆっくりと、家に向かって歩き始めた。
駿平の言葉が頭の中でぐるぐるする。凛果にだって、何となく分かっている。
どこにも行くなってことは、きっと何かが起こるんだ。天国にいる人達には何でもお見通しなのかもしれない。ホテルの宴会場で加藤に襲われそうになった時も、予知してたみたいだし。
でもあの時の予知は直前だった。何日も前から忠告してくるなんて、よっぽどのことが起こるんじゃ……。
……結局家に着いてしまった。SNSをチェックしながら帰ってきたものの、千紗が乗った路線に関する情報はない。
何もなかった? そんな馬鹿な。
しかし一時間経っても二時間経ってもタイムラインは至って平和で、凛果もそのうち忘れて家族や叔母夫婦と流し素麺を楽しんでいた。
「千紗遅いな」
叔父の一言で、凛果は我に返った。
太陽は西にやや傾き、熱が和らぎ始めている。まだ明るいが、そろそろ夜の
「確かに。4時くらいには帰ってくるって言ってたのに、過ぎてるね。千紗ちゃん連絡ないのかな」
凛音が問うと、叔母がスマートフォンを手にした。凛果もSNSのタイムラインをチェックする。
「「あっ」」
「「電車が止まってる」」
叔母と凛果は同時に声をあげた。
なんと、電車内で男が暴れたようなのだ。
「叔母さん。千紗ちゃん、もしかしてそれに乗ってるの?」
「そうみたい。乗ってるけど、急停止して、後ろの車両から悲鳴が聞こえて訳わかんないって。状況飲み込めてないのかも」
駿平。このこと言ってたの?
……いや、きっとこのことだ。
てっきり、外出する時に何かがあるんだと思っていた。
本当に危険だったのは、そこから帰る時だったんだ。
考えてみれば、今日千紗が乗った方向と、凛果がお墓参りに行こうとしていた方向は同じだった。そしてきっと、お墓参りの後にゆっくりとお昼を食べて、帰りはこのくらいの時間になっていたかもしれない。
どちらかというとマイナーな私鉄だったが、れっきとした事件のため、全国区のニュースで中継が繋がれた。電車は駅と駅の間にあり、足止めを食らっている。
何より驚いたのは、最後尾の車両から炎が上がっていたことだった。
叔母が何度も電話をかけるが、繋がらない。
「千紗、千紗っ」
「きっと大丈夫。千紗ちゃんは前の方に乗ってたみたいだし、すぐ逃げるために両手を空けてるだけかもしれないから。母親が信じなくてどうするの」
母が叔母の背中をさすって宥めた。その背中はもう、小刻みに震え始めている。
凛果はとにかく、千紗の無事を願った。
千紗に本当のことを言って外出を止めさせた方が良かったのか、分からなかった。
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