第16話
母は妹、つまり凛果の叔母と仲が良い。父方の親戚に比べて割と近くに住んでいることもあり、月一ペースで互いの家を行き来しているのだが、年に二回程度はこうして泊まりにやってくるのだった。凛果にとっては、今日が久方ぶりの再会となる。
「で、なんで遅くなったの? 30分以上も」
「パパが荷造り忘れてたのよ」
叔父は「すみません、つい昨日もちょっと残業で……」と頭を掻く。「連絡くらいくれてもいいのに」とすっかり姉の顔をしてプリプリする母に、叔母は「それはごめん、思いっきり忘れてた」と舌を出した。
「千紗ちゃん、いらっしゃーい……あれ」
妹の
「凛果ちゃん、久しぶり」
「久しぶり。また背伸びた?」
「うんっ。この前ね、昔から私のことチビチビ言ってた男子の身長抜かすことができてね、すっごい嬉しかった」
「うわぁ、すごいね。よく寝るともっと伸びるよ」
「え、それ、早く寝なさいって言ってる?」
「ううん。今日は夏休みだから特別」
やった、と、黄色のシュシュでまとめたポニーテールを揺らして喜ぶ千紗は幾つになっても愛らしい。祖父母が凛果達を「目に入れても痛くない」と何度も言う意味が、少しだけ分かった気がした。
そこから千紗達もご飯を食べ、テレビゲームやトランプなどでひとしきり盛り上がった。両親や叔母夫婦はお酒も飲み始めていた。凛果も20歳を超えているが、凛音と千紗に合わせてサイダーを飲んだ。
「ちょっとお手洗い行ってくる」
凛果はリビングを後にした。お手洗いを済ませ、廊下の時計を見て二階の自室へと向かう。実家から通える距離に転勤になることも考えて、部屋は3月に出たままの状態になっていた。
時刻は午後10時過ぎ。昨晩は11時頃に寝てしまったし、今日は電車を降りてから全くスマートフォンを触っていない。つまり、今日はまだ駿平と話していない。このままでは今日話せるチャンスを失ってしまうと考え、輪から抜けてきたのだ。
自室のドアを閉め、いつも通りスマートフォンとワイヤレスイヤホンを取り出す。程なくして駿平の声が聴こえた。
『今日は声が聴けないんじゃないかって思ってた』
「お待たせ。実家に帰省したら、従姉妹の家族が泊まりに来て。さっきまで一緒に遊んでたの」
『そっか。明日は予定あるの?』
「え? 明日って11日だよね? 家で素麺食べててって言ったのシュンじゃん」
『あ、うん。従姉妹が来ると予定変わるのかなって』
「今の所、明日どうするかって話はしてない。そもそも千紗ちゃん達がいつまで泊まるのかも聞いてないし」
『そうなんだ。……じゃあ明日は、みんなで素麺パーティーでもしてて』
「はい?」
『せっかく従姉妹も来てるんでしょ? 流し素麺とか冷やし中華作りとか、かき氷作りとかさ。できることはいっぱいある。とにかく家で遊ぼ』
「……ねぇ、なんでそんなに家にこだわるの? 明日はシュンが
駿平が、息を呑む音が聴こえた。
『とにかく明日だけ……明日だけでいい。俺の言うことを聞いて。とにかくリンも、凛音ちゃんも、ご両親も、従姉妹の家族もみんな家にいるんだ。で、ぜひ素麺パーティーを』
「素麺にこだわる理由は?」
『それは……とにかく、お母さんに話してみて。明日素麺パーティーしようって』
「私より、凛音が言いそうなセリフだけど……」
『リン、大好き』
「ひぇ? 今?!」
『……だから、頑張ってお母さんに言ってね』
一本取られた。凛果が駿平の告白に一番弱いことを、完全に把握されている。特にイヤホンを通してじんわりと響く駿平の声は、凛果の脳を優しく溶かしていき、思考の機能をゆるりと止めた。
「分かったよ、シュン」
『頼んだよ! リン大好きだかんね!』と再び言われ、そのまま繋がりは途絶えた。自分も駿平への気持ちを伝えようとしたのに、さっきの不意の一撃が強すぎて、言葉が出なかった。それだけ、まだまだ大好きなんだ。シュンのこと。
両耳のワイヤレスイヤホンを外し、ふぅ、と深呼吸をしてから自室を出た。階段を降りてリビングへと向かう。大人衆はいよいよ盛り上がってきていて、凛音と千紗はソファで互いのスマートフォンを見せながら、仲良く話し込んでいる。
「あ、あのさ」
思ったより大きな声が出た。
どうしたの凛果ちゃん、と叔母が応え、全員が振り向く。
「あ、あのぅ……明日もし良ければ、みんなで素麺パーティーしません?うちで」
「何、素麺パーティーって」
ほら、千紗のこの訝しげな反応が妥当だろう。シュンどうにかしてよ、と凛果は思う。でも珍しく声を荒げた駿平のことだから、
すると母が「あ、この前おばあちゃんから素麺大量にもらったのよ。確か流し素麺のアレもなかったっけ? ねぇお父さん」と明るい声を出す。
「かき氷機もあったかもしれないな。明日はみんなでやってみようか」
両親の一声で、明日の予定が決まった。
一応、任務完了だ。
凛果はほっと一息ついた。
……はず、だったんだけど。
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