第7話
「あぁ、そんなこと!」
「え?」
「何だか居心地悪そうに見えたから体調良くないのかな? って思ったんだけど、なんだそんなことか!」
向かいに座ったボブヘアの同期は、その焦げ茶の髪を軽やかに揺らしながら笑う。名前を忘れられているというのに、あっけらかんとしていて凛果は驚いた。
「確かに、研修でもグループ一緒にならなかったもんね。私、
「ごめん……あ、チキン南蛮……宮崎……」
「そう! 大学は東京だから、18年しか宮崎住んでないけどね。でもたまに、故郷の風を感じたくなるの」
小夏は続けて、「内田さんのこと、何て呼べばいい?」と聞いてきた。凛果達以外の同期は二人とも、凛果のことを内田さんと呼ぶから、抜け駆けしたいのだという。抜け駆けという言葉に思わず笑ってしまう。こんなに面白い子がいたなんて、知らなかった。
いや、知らなかったというか、知ろうとしなかっただけだ。
「下の名前で、いいよ……凛果で」
「分かった。リンカ……可愛い響きだね。私は小夏でいいよ」
呼び方が決まった所で、チキン南蛮ランチがやってきた。白米にワカメと豆腐の味噌汁、千切りキャベツにチキン南蛮、ほうれん草のおひたしの小鉢がお盆に乗せられていた。
艶やかに照っている鶏肉の上に、卵白と卵黄の粒が大きいタルタルソースがかかっている。凛果と小夏の空腹中枢は激しく刺激された。
「いただきます……うん! 美味しい!」
「本当だ……本場と一緒……?」
「そうね……タルタルソースはもう少し白くて、もうちょっとお肉が甘くて、ナポリタンが付け合わせにあるけど……でもこれも普通に美味しい」
「やっぱり、本場は違うんだ」
「そうだよ。全国に知れ渡る過程で、なぜだか変わっちゃうんだよねぇ。だから面白いよね。地域ごとのニーズが全然違うから」
「だから、えっと……小夏は、この会社に?」
「そういう面もあるかな。ぶっちゃけ第一希望の会社じゃなかったけど、安定して美味しいものを全国に届ける仕事ができればいいかなって思ってたから」
凛果達が勤めているのは、大手の食品メーカーだ。地域のニーズに合わせた商品の企画立案、製造、営業を一手に担っている。凛果には小夏ほどのアイデンティティも、しっかりした動機もなかったため、彼女を少々羨ましく感じた。東京は物に溢れている。だけど不自由しないわけではない。自分らしさに不自由するのだ。
「……はぁっ、美味しかった! 凛果とご飯食べれて良かった」
「ごちそうさまでした。私も……誘ってくれて、嬉しかった。ありがとう」
「お礼を言うのはこっちだよ。また一緒にご飯食べたいから、外食にする時は教えてよ。これ、私のLINEだから」
小夏は流れるような手つきでスマホを取り出し、QRコードを表示させた。凛果は慌てて読み取る。パイナップルの刺さったジュースを片手に、微笑む小夏のアカウントが表示された。「みやざき こなつ」。
友達追加を押すと、小夏のスマホに凛果のアカウントが表示される。濃紺に花柄の浴衣を着た、凛果の後ろ姿。駿平が撮ってくれた写真。「内田 凛果」。
「え、この写真すっごい綺麗! 映えだね」
「あ、ありがとう」
「そういえば凛果の声、すごい可愛いね。私好きかも」
「そ、そう?」
「うん。誰かに言われない?」
「あ、いや……ありがとう」
「うん。じゃあ、私お手洗い行ってからオフィス戻るから。また!」
職場は同じなのに、バイバイ、と手を振ってお手洗いへ歩いていく小夏を、凛果は見送った。
《リンの声ってさ、なんか俺、すげぇ好き》
《なんて言えばいいんだろう……割と高い声だけど、キャピキャピもキンキンもしてないというか。落ち着いて、スって入ってくる声なんだよね。直接聴いてもいいんだけど、電話で聴いてるともう、最高で》
《あっ、分かった! あれだよあれ。風鈴みたいな声なの。分かる?……えーっ、分かんない? 風鈴だよ風鈴。俺的に超ベストな例え出たのに。とにかく俺、リンの声もめっちゃ大好き》
忘れるわけがない。
凛果は自分の声など気にしたこともなかったが、駿平は彼女の声をよく褒めた。風鈴のようだと言われてもピンと来なかったが、あれから風鈴を見ると、じんわりと親近感を覚えた。
そういえば、演劇サークルでも声を褒められたことがあったっけ。当時の幹事長が「いい声だね」って言って、劇中で歌う役になったことがあったな。
当時駿平の家に泊まると、いつも言われてたな。「歌の練習してよ」って。「声を堪能させてくれ」とか何とか言ってて、つい「シュン、何言ってんの?」なんて笑っちゃって。
《俺は、リンの全部が好き。顔も声も性格も体も……あっ、ごめんって。最後のは本音だけどまぁ、オフレコにしておくよ……って、言っちゃったからオフレコじゃなくなっちゃった》
不意に、背中が熱を帯びたように感じた。後ろから、程良く筋肉のついた腕が回されるような感覚が妙にリアルで、思わず背中をびくつかせてしまう。
「内田さん。どうした?」
「あ、いえ。大丈夫です」
今朝方挨拶をしたシニヨンの先輩——松井
再び仕事に戻っても、駿平のことが頭から離れない。
彼の声を聴く前からも離れなかったけれど、その時とは少し違う。
今までは駿平のことを思い出す度、「なんで死んでしまったの」という思いがいつも最初に来ていた。「もうあんなこと、経験できないんだ」って結論で終わっていた。
でも今なら、「この思い出話をしてみたいな」と思うし、「電話越しでできることはないかな」と想像を膨らませている自分がいる。
何せ、今日で四年記念日なのだから。
凛果は駿平と付き合って、今日、五年目を迎えた。
私たちはこれから、耳で恋をする。
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