第6話 主婦マリヱが息子イサヲと旅立つまで

「シームルグよ、どうしたの?」

「くぁくぁくぁくぁ……ぁぁぁ……」

「そうなの、それで?」

「くぁくぁくぁくぁ……ぁぁぁ……」

「ふむふむ」

「くぁくぁくぁくぁ……ぁぁぁ……」


 これで会話が成立してるのね?

 ヰチヱ様の頭や肩には好く小鳥が停まっています。それに優しく話かけています。あれ本当に会話してたんだわ。やはり女神さまよね。

 女神ヰチヱ様は真摯な顔つきを為されました。魔王ちゃまとの痴態を忘れてしまいます。ヰチヱ様は魔王ちゃまと違って空威張りをしません。いつも腰が低くて物腰が柔らかいけど、いつも私は畏服させられます。怒られたことも有りません。

 一度だけ、お怒りになられるところを見ました。イサヲが鳥の卵を手に入れた時です。ヰチヱ様は怒鳴ったりしません。でも、柔らかい物腰で御怒りになる御姿は却って怖かったです。この桃源郷ヱデンは殺生禁断なのです。ここの食事は果物、木の実、蜂蜜ばかりです。私は全然飽きませんが、男の子はお肉とかタンパク質に飢えてたんでしょう。

 ヰチヱ様の御怒りになられる御姿を見たのはそれっきりです。いつも優しくフレンドリーに接して下さります。それでも、いつも私は無意識に服従させられています。それが何とも心地いいんです。優しい飼い主様に恵まれたメスイヌみたい。


「マリヱさん、イサヲ君、聞いてくださいね」

「は、はい……ヰチヱ様(……ワンワン)」

「何なりとお申し付けください」

「このシームルグは、シモンさんの便りを伝えてきました。……


『下界の婢女シモンより、天界の魔王母ヰチヱさまに謹んで申し上げます。

 恙なくお過ごしでしょうか?

 あれから三十年が過ぎようとしています。わたしもパパと恙ない日々を送っております。パパの補佐の御蔭で、わたしも凰丹国フェムドムを上手く治めてまいりました。これも全て魔王母ヰチヱさまと犬魔王サノバウィッチさまのご加護の賜物でございます。日々感謝しても感謝しきれません。今や凰丹国フェムドムも建国三十周年を迎えようとしております。

 魔王母さまの婢女シモンは謹んで申し上げます。凰丹国フェムドム建国三十周年を寿ぎ、婢女シモンと愚息パパを始め、四十人の尼孫アマゾン、万の民草たちは、改めて魔王母ヰチヱさまと犬魔王サノバウィッチさまに万感の感謝を込め、心より盛大にお祭りたく存じ上げます。

 そこで誠に恐れ入ります。魔王母ヰチヱさまと犬魔王サノバウィッチさまは御足労おかけしますが、下界までご降臨いただけましたら誠に幸甚の極みにございます。もし、ご降臨いただけましたら、国を挙げて心尽くしのおもてなしを捧げます。

 以上 取り急ぎご案内申し上げます』


……つまり、シモンちゃんのご招待ね。みんなで行きましょうね」


 後でヰチヱ様にお伺いしました。娘のシモンと夫のヨシヲさんが異世界に来てからの経緯はこうだったそうです。

 シモンが桃源郷ヱデンに流れ着いた時、ヨシヲさんは心筋梗塞で腹上死していました。ヨシヲさんを身籠ったシモンは、やがてヨシヲちゃんを産みました。ここまでは私とイサヲと同じです。

 生まれたヨシヲちゃんは、とても頭が良かったそうです。今ここにいる誰よりも。魔王ちゃまに対しては心優しいお兄ちゃんだったそうです。魔王ちゃまの家庭教師として勉強も教えたそうです。ヰチヱ様と魔王ちゃまの痴態を呆れながら眺めたそうです。

 前に、生まれ変わったヨシヲさんが十五になるまで、桃源郷ヱデンに居たと聞きました。それは桃源郷ヱデンの外に出るための準備期間なのでした。ヨシヲさんも、イサヲのように鍛えられたそうです。そこそこ自分の身を守れるくらいに上達したそうです。でもヨシヲさんの強みは知識や知恵です。高校で理科の先生してましたし。そういえば、ヰチヱ様がヨシヲさんの名を口にする時、敬意をこめてるように聞こえます。

 シモンも稽古をつけて貰ったそうです。イサヲには及ばずとも、ヨシヲさんよりも強いらしいです。そう言えば、あの娘は体育会系女子だったわ。剣道部で大会出場して表彰状貰ってたわね。

 そうして十五年過ぎたころ、下界からシームルグが飛んできました。下界では尼孫アマゾンたちと凰丹国フェムドムが互いに争い合っていました。シームルグのメッセージは、魔王母ヰチヱ様に仲裁の依頼でした。そこで、ヰチヱ様はシモンとヨシヲさんを連れて下界に降臨しました。

 ヰチヱ様は見事に仲裁を果たし、尼孫アマゾンたちと凰丹国フェムドムを一つの国に纏めました。そしてシモンを尼孫アマゾンたちと凰丹国フェムドムの女王にし、ヨシヲさんを大賢者としてシモンを補佐させたそうなのです。

 そういえば、シモンって日本初の女総理になるとか息巻いてたわね。遂に実現しちゃったのね。ああいう野心的で激しい気性って誰に似たのかしら?

 ところで、時間の流れが判りません。頭がこんがらがりそうです。向こうは三十年過ぎていたのね。もしもヨシヲさんがそのままならば、四十五才ね。最後に見た時の年齢だわ。


「みんな、こっちへいらっしゃい」

 ヰチヱ様は手招きしました。桃源郷ヱデンの大樹の洞の中に入っていきます。私が入るのは初めてでした。何となく勝手に入ってはいけない場所だと思ってました。洞の入り口は人一人入れるほどの大きさです。なんか女性のアソコに似てるかも?

 中は真っ暗ではありません。どこから光がさすのか判りませんが、薄暗いです。辛うじて中の様子が判ります。二畳か三畳くらいの広さの丸い部屋です。ヰチヱ様と私とイサヲは互いに手を繋いで輪になりました。


「生きとし生けるものの命の源、ワン・イ・ワス・トーフマグよ、我らを根元に送り給え!」

 ヰチヱ様が呪文を唱えると、一瞬で別の場所に移りました。開けた洞窟みたいです。外から光が差しています。外に出て判りました。大きな大きな巨木の太い根の間だったのです。雲を貫いて天まで届く巨木は、まるで超高層ビルのようです。桃源郷ヱデンって、あの雲の上の世界だったのね。

 巨木の周りは色鮮やかなお花畑です。その周りは森になっています。さらに向こうには白い峰を頂く山並に囲まれています。お花畑から、ウサギさんたちがこっちを窺っています。森の木陰から、鹿さんたちが顔を覗かせています。桃源郷ヱデンにはいなかった動物さんたちです。


「あれ狩って好いのかな……?」

 とイサヲが呟きます。やはり男の子はお肉食べたいのよね。

「ここも聖域よ。殺生をするとバシュクチュが飛んでくるわよ」


 空を見上げると、四つ脚の鳥が飛んでいます。二羽です。それとも二頭かしら?

 頭は鳥で体はライオンの用です。バシュクチュってグリフォンのことよね。でも、イサヲが悪さをした訳じゃないのに、グリフォンが急降下してきます。思わず、頭を抱えて屈みました。イサヲは、私を守るように立ちはだかります。我が息子は逞しく、勇ましく育ってくれます。改めて息子にキュンときました。


「二人とも恐がらないで、大丈夫よ」

 ヰチヱ様は天を仰いで両手を広げています。二頭のグリフォンはヰチヱ様の御前に舞い降ります。

——ぴぃ~ぴぃ~

 と鳴いてます。意外と可愛らしい。まるでヰチヱ様に甘えているみたいです。

「ねぇねぇバシュクチュさんバシュクチュさん、私たちを山の向こうまで運んで下さい。お願いします」

「ピィーピィー……ピィーピィー」

「ありがとう。お願いね」


 ヰチヱ様はサッとグリフォンの肩に跨ります。イサヲも躊躇いも無く、もう一頭のグリフォンに乗りました。ヰチヱ様は兎も角、イサヲは乗りこなせるのかしら?

 私は怖い。ぶるぶる震えています。桃源郷で御留守番してた方がよかったかも。でも、イサヲとヰチヱ様の二人っきりって、もしも魔が差したらどうしましょう?

 それも怖いわ。私だって、何の違和感も無くヰチヱ様に抱かれてしまいました。男の子が耐えられる訳わりません。


「お母さん。恐くないよ。僕がついてるから」

 イサヲはグリフォンから降り、私に近寄ります。あっという間に御姫様抱っこされてます。そうして私は始めてグリフォンに乗せられました。

 とっても温かい。羽毛の下から伝わる熱は熱いくらいです。そして背中からはイサヲの温もりを感じます。体よりも心が温まります。もう高い所を飛んでます。高いのは苦手なので目を閉じます。風は冷たいけど、グリフォンとイサヲの温もりで何とか耐えられます。

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