第5話 優しいエルフのお姉さん
「あなたがウリア・アルトリウス?適性が最低なのに、よくこんなところに来れたわね!」
「いきなり失礼じゃない。私が一緒に来てって言ったんだからいいでしょ!」
やっぱり、思ったとおりになった。
目の前で私に軽蔑の視線を向ける貴族の令嬢と、それに怒りの表情で返すエヴァ。
私はそれをエヴァの後ろで彼女の袖の裾を握り、ただ見ているだけ。
何も言い返すことはできない。
会場にいる他の令嬢、令息も同じようで、こちらをチラチラと見ている。
私のことを良く思っていないのが、伝わってくる。
数えきれないほどの目に射貫かれ、体が震える。
子供たち専用の会場。そこに足を踏み入れてからしばらくして、私は悪意に包まれた。
先ほどの会場でもそれは存在していた。けれど、大人という常識と外聞により抑制されていただけ。
それならそれらが無くなってしまえばどうなるのか。
そんなの、火を見るよりも明らかだった。
「……エヴァ様も大変ですこと。出来の悪い姉をお持ちになって。いつも苦労してるでしょうに」
「……別に大丈夫です。姉と過ごす毎日は楽しいので」
他の令嬢もその流れに参加してくる。
私を敵意むき出しで非難するもの、エヴァに同情しつつ私を蔑むもの。
その全てを、エヴァは一人で対応していた。
「私達のことは放っておいてください」
令嬢達の言葉を次々に斬り捨てるエヴァ。
彼女の愛らしい顔は能面のように無表情で、眼光は獅子を思わせるように鋭い。
「……どちらかというとウリア様が空気を読んでエヴァ様から離れるべきですけどね」
――え?
奥で様子を見ていた令嬢がポツリと呟く。
それは先ほどまで私達を遠くから見ていた、観察していた少女の言葉。
低い声で放たれた言葉は、先ほどのように怒りの感情が乗ってはいない。
けれど、私の胸を、ストンと突き刺した。
「……どういう意味ですか」
目の前に映るのは豪華な絨毯の引かれた床。
令嬢に対して、エヴァはとても低い声で答えた。
顔を上げることはできないので、その様子を伺い知ることはできない。
けれど、今まで以上に激怒しているのは明確だ。
静かな怒りが、まるで噴火前の溶岩のようにも感じられた。
「エヴァ様はアルトリウス伯爵家の正統な後継者候補。それはアルトリウス伯爵が表明していますわ。そんなエヴァ様はウリア様に構っている暇などないと思います。エヴァ様の将来を考えるならば、ウリア様は身を引くべきです」
「それはアルトリウス家の事情です。あなたたちには関係ありません」
「ウリア様、あなたも本当は分かっているのではないですか?エヴァ様から離れるべきであることを。両親から見放されているにもかかわらず、見苦しいですわよ」
エヴァと話していても無駄だと思ったのだろう。
令嬢の聞こえる声が、大きくなる。
直に、私の耳に叩きつけられる。
彼女の言いたいことは分かる。
私のせいで、エヴァの時間が取られているのは間違いない。
私と一緒に居る時間。私と訓練をする時間。私に勉強を教える時間。
それらの時間があれば、エヴァはもっと強くなれるはずだ。
強くなれたはずだ。それは、心のどこかで分かっていた。
でも、エヴァから離れたくない自分と、エヴァから離れるべきだという自分がいる。
そんな2つの思いが頭の中でごちゃごちゃになる。
目の前にあるたくさんの悪意の視線も、それに拍車をかけた。
ゆっくりと、エヴァの袖から指を離した。
顔を上げず、私は小さな声でエヴァに伝える。
「……ごめんエヴァ。私ちょっと出るね」
「お姉様!?こんな人たちの言うことなんて、気にしなくても――」
「疲れちゃった。一人にしてほしいの。ちょっと色々と考えたいから。ごめんね」
顔を上げて、作った笑顔をエヴァに見せる。
その瞬間、エヴァがどんな顔をしていたかも、見えていなかった。
笑顔を作るということで精いっぱいで、少しでも気が緩めば泣いてしまいそうだったから。
足に力を入れて、出口を意識する。
私はエヴァを振り切って走り出した。
背中越しに、エヴァの大きな声が聞こえていたけれど、私はそれを無視した。
もうここには居られない。エヴァの近くにも、今は居たくなかった。
パーティ会場から出て、私は一人で庭へと出る。
時間は既に夜になっている。外は暗く、肌寒い風がドレスの上から肌を撫でた。
その寒さを無視して、中庭を進む。
警備の人達が、遠くに映る。
けれどそれを気にすることはない。
彼らも、気づいていないのか、あるいはこんな無能を気にかけるのは無駄だと思ったのか。
そのどちらでも構わない。
まっすぐ歩けば、いつかは中庭の端までたどり着く。
手入れはされているものの、庭とは言い難い、草むら。
そんな庭の隅っこで私はうずくまった。
『……どちらかというとウリア様が空気を読んでエヴァ様から離れるべきですけどね』
分かっている。エヴァは私にはもったいないくらい良い妹だ。
優秀で、優しくて、将来も明るい。本当は私になんかに構わない方がいいのだろう。
けれど、私は愛情を向けてくれるエヴァにどうしても甘えてしまう。
離れるべきなのに、離れたくない。
そんな思いが頭の中でずっと繰り返されて、胸が痛くなる。
「大丈夫ですか?」
ふと、後ろから声がかけられた。
ここは庭でも隅っこ。まさか見つかるなんて。
そう思って首だけを後ろに向けて見上げると、そこには一人の女性が立っていた。
黄緑の長いサラサラの髪を夜風になびかせた、神秘的な印象の女性。
月が照らす風貌は恐ろしいほど整っていて、この世のものとは思えないほど美しい。
蒼い目は宝石のようで、その目が心配げにこちらを見つめている。
服装からして警備の人のようで、腰には装飾の施された剣が携えてあった。
そして、黄緑の髪から尖った耳が見える。エルフさんだ。
この世界に居るというのは聞いていたが、見るのは初めてだ。
綺麗なエルフさんは私の隣に、一人分の空間を空けてゆっくりとしゃがみ込んだ。
「何かありましたか?よければ、私に話してみませんか?」
気遣うような目線と、優しい微笑み。
話してみないか?その言葉が頭の中で反響する。
けれど。
「実、は……」
私はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
エルフさんに聞かれたから。エルフさんとは初対面で、関わったことのない人だから。
けれどそれ以上に、私は誰かに、この気持ちを聞いてほしかったんだろう。
エルフさんに、全てを話した。
私に適性がないこと。家族のこと。エヴァとの関係性のこと。
感情に任せた説明は、私にとっては長いものだった。実際の時間は短いかもしれないけれど。
その話を、エルフさんは何も言わずに聞いてくれた。
ただ頷くだけで、制止をすることも、質問も、慰めもなかった。
それが、ありがたかった。
話を聞き終わった後に、エルフさんは星空を見上げながら、ゆっくりと話し始めた。
「……実は私も家族とは上手くいっていないんです。私は家族に愛されたいけれど、妹の方が可愛がられてて……それに婚約者にも嫌われていまして……」
「そんな……エルフさん、すごく綺麗で優しいのに……」
「ありがとうございます。……でも、あなたは幸せだと思います。妹さんは、少なくともあなたのことを愛しているはずです」
エルフさんは身を乗り出して私の手を取り、優しく包み込んでくれた。
宝石のような目が、私に優しく語りかけてくる。
「妹さんに聞いてみてください。あなたが不安に思っていることを全部。そして妹さんの気持ちも。その気持ちが一致しているなら、誰にもあなたたちを否定はできません。大切なのは、お2人の気持ちですよ」
大切なのは、お2人の気持ち。
その言葉に、私ははっとした。
そうだ。エヴァの気持ちを聞いていなかった。
私はエヴァのために離れた方がいいと考えた。
でも、エヴァはどう思っているのか。
それが一番大切なんだ。
「あなたの大切なものを一番に考えてください。それがあなたにとっても、妹さんにとっても幸せなことのはずです」
「……ありがとうございます」
エルフさんの優しさが、心に染み入ってきた。
沈黙が、辺りを包む。
「私の話も……聞いてくれますか?」
「……はい」
エルフさんはその沈黙に耐えかねたのか、私の手を離し、夜空を見上げる。
少しだけ私の方に進んだエルフさんは、ポツポツと語り始めた。
「私は家族や婚約者とあまり良い関係ではありません。けれど、今度重大な任務があります。家族も婚約者も期待していると……そう言ってくれました」
「その任務は……難しいんですか?」
そう聞くと、エルフさんの手が震えだした。
怖がっている。恐怖している。
「……はい。達成できる可能性はとても低いです。けれど、もし……もしも達成できれば私は……受け入れてもらえるんです」
「…………」
もしそうなら、なぜあなたはそんなにも怖がっているのか。
任務の難しさもあるだろう。けれどそれ以上に。
――達成しても、受け入れられないと分かっているから。
私よりも大きな体。私よりも多くを知っているであろう、大人の彼女。
けれど震えているエルフさんはとても小さく見えた。
そんな彼女がどこかに行ってしまいそうで、それが怖くて。
私は思わずその手を握った。
「私は今日会ったばかりですけど……その任務がどれだけ難しいのか分からないですけど……エルフさんがどこかに行ってしまいそうで怖いです」
「…………」
「私は……エルフさんのことが心配です。もしなにか無茶なことをしようとしているなら、やめてください。エルフさんが居なくなりそうで……私、それは嫌です」
「……名前を」
聞こえた声に、目線をエルフさんの手から彼女の顔に向ける。
見上げた視線の先では、驚いた表情が。
エルフさんは表情をすぐに引き締めると、まっすぐと私に聞いてきた。
「名前を教えてください」
「え?……ウ、ウリア・アルトリウスです」
「ウリアさんですね。私はリフィル・フローディアです。ありがとうウリアさん、私のことを心配してくれて。そんな言葉をかけてくれたのは、あなたが初めてです」
互いの名前を交換する。
その行為に、エルフさんは微笑んだ。
笑顔は、泣いているようにしか見えなかった。
リフィルさん……その名前を心に刻む。
彼女が悲しまないように、どうか無事でいられるように。
彼女が、本心から、ちゃんとした笑顔で笑えるように。
そんな思いを、願いを、リフィルさんの手にこめた。
今日初めて会ったばかりの、赤の他人。
けれど短い間でも、私達は心を通わせた。
そんなリフィルさんだから、私は必死で祈った。
「お姉様!」
そのとき、声が響いた。
思わず振り返ると、エヴァがこちらに駆け寄ってきていた。
私は立ち上がって、エヴァと向き合う。
リフィルさんが、背中に一瞬だけ手を添えてくれた。
後押しを、してくれた。
呼吸を整えて、私はエヴァに語り掛ける。
「エヴァ……あのね……私、ずっと思っていたの。このままでいいのかなって。エヴァと一緒に居る時間はすごく幸せ。でもエヴァの大切な時間を奪っているのが苦しくて……どうすればいいのか分からなかった。私はこのままエヴァに甘えていていいのかな。エヴァが……エヴァが私に時間を割かなければ、エヴァはもっと、もっと自分のために時間を使えた。だから……」
「お姉様……」
考えがまとまらない。言っていることが、整ってないことが自分でも分かる。
けれど、それでも話し続けた。エヴァに、伝わってほしいから。
だから、私は言葉を重ねるしかなかった。
エヴァは私の肩を両手でつかみ、目をじっと見つめてくる。
思わず逸らしそうになるほど強い目。
けれど、私はそれを必死でこらえた。エヴァと、目を合わせ続けた。
「お姉様。よく聞いて。お姉様が私と一緒に居るのが幸せなのは嬉しい。でもそれは私だって同じなの。他の人の言葉なんて気にしないで。私の言葉を聞いて欲しいよ」
「……そうだよね。私とエヴァが一緒に居たいってお互いに思えるんだから、それでいいんだよね」
「そうだよ!これからも一緒に頑張ろう!エヴァ先生に任せて!」
「ふふふ、よろしくお願いします。エヴァ先生」
思いが、通じた。
そうだ。他の人は関係ない。エヴァと一緒に、頑張っていきたい。
これから先、エヴァに頼ることも多いだろう。
喧嘩することだってあるかもしれない。
でも、私たちは姉妹として一緒に居たい。
たとえ血がつながっていなくても、いや血がつながった姉妹以上に仲良くなりたい。
エヴァも同じようなことを思ってくれているのだろう。
彼女は優しい目で、私を見つめていた。
それが嬉しくて、心からの微笑みで私は返した。
そんな私たちの様子を見届けたリフィルさんが立ち上がる。
「良かったですね。ウリアさん。それでは、私はこれで。警備に戻ります」
「はい!ありがとうございました!また……会えますか?」
「……ええ」
リフィルさんはそういうと、微笑んで行ってしまった。
小さくなっていく背中に不安を感じて、私は彼女の身を案じた。
あのまま居なくなってしまいそうな……そんな気がしたから。
「お姉様……あの人は?」
「私のことを励ましてくれたの」
「ふーん……それなら私も挨拶しとけばよかったかな。なんていう人?」
「リフィル・フローディアさん。エルフの人で、今日は警備として参加していたらしいよ」
「…………」
エヴァは一瞬目を見開いた後、リフィルさんの後ろ姿をじっと見ていた。
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