第13話 とある喫茶店のマスターの話 三
あれだけの驚きに反して、英玲奈がトシさんのことを納得するまでに、そこまでの時間はかからなかった。
それは美咲や海人がいたお陰もあるだろう。
2人の説明と、そして何より、玲美もトシさんのことを知っているという情報は、英玲奈を納得させるために十分な情報だった。
「意味はわかりませんが、深く考えても仕方ありませんわね」
しかし、それに納得してからの英玲奈の動きは早かった。
美咲や海人たちと協力し、喫茶店に訪れる客や縁のある客を集め、とあるイベントを企画する。
それは、玲美にも秘密の計画。
少しでもバレてしまえば、すべての準備が水の泡となる危ない企画だったが、英玲奈はそれを完璧に、秘密裏に遂行した。
玲美にも負けない才能を持つ英玲奈には、それくらいのことは造作もないことだった。
そこにはもちろん、英玲奈以外の協力者たちの力添えもあるのだが。
◇◇◇◇◇◇
それから数日が経ち、遂に英玲奈たちの計画を遂行する時が来た。
舞台は、英玲奈が貸し切ったホテルの一室。
英玲奈に協力してくれるのは、玲美に助けられた者ばかりだ。
「英玲奈さん。料理の手配終わりました」
「あら、尚太さん。ありがとうございますわ」
尚太もその1人。
彼は以前、会社で大きな失敗をした時、玲美に相談に乗ってもらったことで助けられたという経験がある。
その後は、大きな成果はないものの、一度でも成功したという経験は、彼の確かな自信になっていた。
今でも冴えない青年という印象は変わらないが、それでも後輩たちからはそれなりに信頼されており、立派な先輩に少しずつ近付いているのは間違いない。
「パーティーグッズは、私たちが買っておきますね。この近くにこういうの売ってる所、知ってますから」
「それは助かりますわ。お願いします」
「は、はい。私たちも、玲美さんの助けになりたいので」
仲良さげに2人でいるのは一葉と有咲だ。
この2人も、玲美のアドバイスのお陰で仲良くなった者たちだ。今では同じ部活のライバルであり、1番の親友となっている。
切磋琢磨する2人は、学業では優秀な成績を修め、一留大学の推薦もほぼ確実と言われており、同じ大学へ行くため日々邁進している。
ちなみに、最近は、一葉に可愛らしいお洒落をさせるのが、有咲の楽しみとなっていた。
「ちっ。なんで俺が……」
「文句を言わないでくださいます? あなただって、玲美に助けられたんでしょ?」
「はぁ? んなことねぇよ」
そして、口では悪態を吐きつつも、準備はしっかりとやっているのが帝だ。本人は認めないが、彼も玲美によって諭された内の1人。
そして、その隣には皐もいる。
帝は玲美の喫茶店に来て以来、女遊びをしなくなった。完全に変わったかというと、まだそこまでではないが、少なくとも他人の気持ちを蔑ろにすることは確実に少なくなった。
そんな変化に、帝から離れていく者も少なからずいたが、それでも隣に残ったのが皐だ。
「帝くんは、素直じゃないだけなんですよ。なんだかんだ言って、手伝ってるのが証拠です」
「おい、皐」
以前の2人の関係では考えられなかった会話も、玲美との出会いがあったからだろう。
帝はほとんど玲美の喫茶店に来ることはないが、皐はよく訪れている。帝のことで相談に乗ってもらうことも少なくなかった。
「遅くなりました! すみません、部活が遅れてしまって」
「問題ありませんわ。むしろ、お疲れ様」
走ってやって来たのは辰巳だ。
彼は以前、部活のことで思い悩み、幼馴染みと喧嘩までしてしまった時、玲美に助けられた。
彼は高校に上がり、中学の時と同じくバスケ部に所属している。まだユニフォームを貰えるような実力ではないものの、めげることなくひた向きに努力を続けていた。
辰巳の幼馴染みである大樹は、強豪バスケ部がある別の高校に進学していたが、今でも仲は良かった。
「えれなさーん。かざりつけ、おわったよー!」
「もう、さくら、はしったらあぶないよ!」
楽しそうに駆け寄る幼女とそれを追いかける幼女は椿と桜だ。2人はトシさんをきっかけに玲美の喫茶店に通うようになった者たちだ。
トシさんとは遊び仲間。と思っている。
主に桜が。
今では玲美とも仲良くなり、無邪気な2人がいるだけで、喫茶店の雰囲気がさらに明るくなるため、常連客からも人気の2人だ。
ちなみに、偶に喫茶店の制服を着て手伝いもしているというレアなイベントもある。
「よ、よし。こんなもんか」
「ああ、善四郎さん。テーブルの準備は完璧そうですわね」
「あ。は、はい」
おどおどと挙動不審なのは、善四郎だ。
彼も玲美に助けられた1人なのだが、助けられ方が他の人たちとは少し違った。
彼の場合は、犯罪の片棒を担がされそうになった所、すんでの所で玲美に気付いてもらい、事なきを得た。
一歩間違えれば、犯罪者となっていたことを考えると、他の者たちとは違う意味で助けられたと言えるだろう。
そのお陰もあって、今ではまともな職に就き、しっかりと働くことができている。
「父さん。ええ、大丈夫そう? わかったわ。英玲奈さん、父さんももうすぐ来れるそうです」
「それはよかったですわ。鮫島さんも、すごく来たがっていましたから」
まるで警備員のように、隙のない凛とした雰囲気を纏っている女性は、冴子だ。
元々、玲美と親交のあった警察官の鮫島の娘でもある彼女は、玲美と出会ったことで、新たな視点を得ることができた。
それは冴子の中にあった正義感を、より洗練させる大切な気付き。それをもたらしてくれた玲美に、冴子は感謝している。
夢は今でも父親と同じ立派な警察官。
元々優秀だった彼女は、新たに得た視点を合わさり、順調に警察官への道を歩いている。
玲美とは何かと気が合うようで、今でもよく喫茶店に訪れていた。未だに玲美のことは、グレーゾーン扱いではあるが。
そして、ここには他にもたくさんの人がいた。
彼ら、彼女らは、玲美に多かれ少なかれ救われた者たちだ。いや、救われた者たちだけということでもなく、ただ純粋に玲美の喫茶店が好きで集まってくれた人たちもいる。
そんな人たちと共に英玲奈が企画したのは、玲美の誕生日パーティーだった。
「さあ、そろそろ玲美が来る時間ですわよ」
時計の針は、英玲奈が指定した時間になろうとしていた。
ここに呼んだ理由は玲美にも説明している。
しかし、これだけの人数が集まったことは伝えていない。
サプライズ。という意味合いもある。
しかし、1番の理由は、玲美に知ってもらうためだ。玲美がどれ程の人たちに変化をもたらしたのかということを。
玲美が落ち込んでいる理由は、利樹とのことを忘れられないから。利樹以上に大切なものを見つけられないから。
英玲奈はそう考えていた。
恐らくそれは、今後も一生変わることはないかもしれない。利樹を越える存在など、もう出てこないかもしれない。
しかし、それでも、玲美の人生は続く。
そんな玲美の支えになるものは、利樹にも語った夢だけなのかもしれない。
誰かの変われるきっかけになる、そんな喫茶店にしたい。
玲美が初めて抱いた夢だ。
今の道がその夢に続いているのだと気付いてもらうために。
そのために必要なものは第一印象の強烈なインパクトである。という、なんとも豪快な考えの英玲奈らしい企画だった。
そうして、作業を進める内、玲美がやってくる時間となったのだった。
◇◇◇◇◇◇
「これ、は」
「玲美さん、誕生日おめでとー!」
扉を開けて入ってきた玲美を、英玲奈たちはクラッカーを使って歓迎した。
入るなりいきなりの出来事に玲美も驚いているようだったが、ふと玲美が目を向けた先にいたトシさんを見て何かを察したようだった。
玲美は微かに目を伏せると、それを隠すように笑顔に変わる。
「ありがとうございます。まさか、こんな盛大にお祝いしていただけるなんて」
嬉しそうな口許に、楽しげな表情。しかし、その裏に隠されている本当の気持ち。
英玲奈やトシさん以外の人間には、その変化はわからないだろう。
それでも、英玲奈には自信があった。
玲美ならば、気付いてくれるだろうということを。そのための準備は万全だった。
「さぁさぁ、主役はこちらですわ。皆、あなたを喜ばせたくて仕方がありませんのよ」
「ふふ、引っ張らないでくださいよ、英玲奈」
玲美は確かに嬉しかった。
誕生日を祝ってくれたことも。
こんなにもたくさんの人たちが自分のために集まってくれたことも。
そして、恐らく、落ち込んでいる自分を励まそうと、ここまでのことを企画してくれたことも。
嬉しいという気持ちは確かに強かった。
席へと案内されて、英玲奈の軽い司会があった後は、早速豪華な食事が運ばれてきた。それらを食べながら、玲美の周りに人が集まっていく。
「玲美さん、お誕生日おめでとうございます。私たちからのプレゼントです」
「まあ、美咲さん、海人さん。ありがとうございます」
「いえいえ、玲美さんにはいつもお世話になってますから」
美咲たちが玲美にプレゼントしたのはエプロンだった。
「玲美さんに似合いそうだなって、思って」
海人は照れ臭そうに言う。
「ふふ。そうなんですか。嬉しいです」
中を見て、玲美は嬉しいそうに自分に合わせる。美咲のセンスあるのだろうが、玲美に似合いそうな可愛らしいエプロンだった。
「あの、玲美さん。俺からもプレゼントがあって」
「私たちもです。これ気に入って貰えると嬉しいんですけど」
たくさんの人たちが、思い思いのプレゼントを持ってきた。それらは、様々なジャンルのものだったが、共通しているのは、玲美のことを想って選んでくれたということ。
1つ1つからそれが伝わってくる。
「玲美? 大丈夫?」
「え? あ、は、はい。大丈夫ですよ。ただ、本当に嬉しくて」
いつの間にか、玲美は少しだけ泣いていた。
それは悲しみの涙ではない。表情を見れば、それがわかった。
「それはよかったですわ」
英玲奈は安心したように言う。
「ありがとうございます、英玲奈。私を気遣ってくれたのですね」
「……まあ、バレますわよね」
英玲奈は観念したように笑う。ここでシラを切っても無駄というのは、長年の経験からよくわかっていた。
「本当に嬉しいですよ。英玲奈の思惑通り、私も頑張らなきゃという気持ちになりましたから」
それは玲美の本心からの言葉だろうか。
玲美の表情だけでは、それはわからなかった。
しかし、少なくともすべてが嘘というようにも見えない。
それだけでも、英玲奈には十分だった。
今の段階では。
「まあ、楽しんでくださいな。ちょっとしたサプライズもありますから。あぁ、私たちは邪魔しませんわよ」
「え? それはどういう?」
「さて、わたくしは退散しますわ」
玲美の質問に答えることなく、英玲奈は席を離れていった。気付けば、英玲奈以外の人たちも、いつの間にか玲美から離れている。
さりげなくではあるが、英玲奈がそうなるように立ち回っているようだった。
ポツンと残された玲美は、何をするでもなく待っていた。英玲奈が何かを企んでいるのであれば、それを待っていれば良い。このまま何もなく放置されることはないだろう。
そう思っていたのだが。
「何もありませんね」
しばらく待ってみても、特に何かが起きることもなく、誰かが来ることもなかった。
英玲奈たちは楽しげに話を花を咲かせているが、何かを計画しているのなら、ここを動く訳にもいかない。と、玲美はひたすら待っていた。
すると。
「もう! トシさん!」
少し後ろで美咲の声がする。振り向くと、トシさんを叱るような体勢の美咲がいた。
「美咲さん?」
「あ、すみません。玲美さん。でも、トシさんが……」
よくわからないが、美咲はトシさんに何かを頼んでいたのだろう。
トシさんは気まずそうな顔をしている。
「もう。どうかしたのですか? トシさん」
「いや、まあ、その、なんだ……」
トシさんにしては歯切れが悪かった。
こういうのは、悪いことをした時か、言いづらいことがある時なのだが。
「トシさん」
「うっ。わかってるよ」
美咲がトシさんを睨む。ふと玲美が少し視線を後ろに向けると、英玲奈も恐い顔でトシさんを睨んでいた。
そこまで見れば、玲美も英玲奈のサプライズがトシさん関係であるということを察した。
「何か、用があるのですか? トシさん」
「あ、ああ、そうだ」
玲美はトシさんが誘いやすいようにあえて話しかける。それにトシさんは、水を得た魚のように返事を返した。
美咲はそれに呆れたように溜息を漏らしたが、仕方がないと諦めているようにも見える。
「じゃあ、少しだけ抜け出しましょうか」
「ああ」
英玲奈たちが用意してくれた場。
それがどういう場なのかはわからなかったが、玲美は英玲奈たちの好意を受け取って、トシさんと部屋を出たのだった。
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