第13話 とある喫茶店のマスターの話 二

「事情はわかりましたわ」


 トシさんから相談を受けてから数日が経った頃。海人たちは英玲奈にも協力を求めるため、玲美の喫茶店とは別の喫茶店で話をしていた。


 元々、海人たちと英玲奈は、喫茶店で会うくらいの面識しかない。当然、連絡先の交換もしておらず、職場も詳しく知らなかったため、繋がりは喫茶店しかなかった。


 しかも、玲美に内緒で相談となると、喫茶店に向かおうとする英玲奈を外で捕まえるくらいしか方法がなかった。


 そうして4日目の午後、遂に喫茶店に行こうとしていた様子の英玲奈を捕まえて、なんとか事情を説明することができたのだった。


「お2人にも気付く程なのでしたら、相当参っているのでしょうね」

「あ、いえ、実はそれに気付いたのは別の、人なんですよね」

「別の人?」

「はい。えっと、恥ずかしいからって、名前は言えないんですけど」


 なんとも言えない表情をする美咲に、英玲奈は少しだけ不審そうな視線を向けるが、特に追及してくることはなかった。


「まあ、いいですわ。どちらにしても、他人にそんな姿を見せるのは、玲美らしくないのは確かですから」


 溜息を溢す英玲奈は、悲しげに目を伏せる。

 高校時代から玲美を見てきた英玲奈にしてみれば、自分よりも玲美のことを知るであろう人物は他にいない。


 その英玲奈が見てきた中でも、玲美が他人に心配される程に落ち込んだり、気を落としたりしたのは、利樹の件以外になかった。


 もしかしたら、利樹には他の一面も見せていたのかもしれない。しかし、それを知る術はもう残っていない。


「玲美さんの事情については、私たちにもわからない部分も多くて。でも、玲美さんの力になりたいんです」

「俺たちも、玲美さんには相談に乗ってもらって、いつもいつも助けてくれるし。そのお礼ってのもあるからな」


 2人の真っ直ぐに向けられた瞳からは、純粋な気持ちが伝わってくる。


 英玲奈は2人の顔を見る。その玲美を心配する気持ちは自分と変わりがないように見えた。


「そうですわね。玲美の件は、わたくしも、いつかは何とかしなければと考えていましたわ。それが今、ということなのかもしれません」


 英玲奈は心を整えるように、目を閉じ軽く息を吐く。

 そして、海人たちに頭を下げた。


「わたくしからも、お願いですわ。玲美を助けるには、わたくしだけでは足りません。協力をお願いしますわ」

「はい!」


 こうして、玲美を元気付けるための作戦が立ち上がったのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


「ではまず、始めにお聞きしたいのですが、よろしいかしら?」

「あ、はい。えーっと、はい」


 美咲は微かに目を泳がせてから頷いた。

 英玲奈はその反応にも怪訝な表情をしていたが、それよりも何よりも、目の前の光景で1つだけ、どうしても理解できないものがあった。


「どうして、トシさんがいるのかしら?」

「わふ」


 そう。英玲奈が協力すると決まってから、美咲たちは場所を変えたいと言ってきた。


 それ自体には特に異論もなかった英玲奈は、それに従ったのだが、そこで連れてこられたのは人のいない公園だった。


 それだけならば、特に気にしなかっただろう。しかし、そこには何故か、まるで英玲奈たちが来ることを待っていたかのような佇まいのトシさんがいたのだ。


 しかも、公園の端にある屋根のあるベンチで話をしようと向かった時も、トシさんは当たり前のようについてくる。


 そして、そのまま会議に参加する勢いのトシさんに、流石の英玲奈も無視できず美咲に尋ねたのだった。


「あー、やっぱり、そうですよね」


 美咲としても、ここで疑問に思わない人はいないだろうと思っていた。むしろ、ここのベンチまで何も言わずに来てくれたことすらも、よく来てくれたと思ったくらいだ。

 いや、意味がわからなすぎて、思考が停止していただけかもしれないが。


 ともかく、英玲奈はトシさんがここにいる理由がわからなかった。


「えっと、何て言えばいいのか」

「そう、だな。えっと、トシさんは、き、協力してくれるん、ですよ」

「……は?」

「ちょ、海人!」

「いや、でもさ」


 美咲と海人はこそこそと、英玲奈に背を向けて何かを言い争っていた。


 やれ、それは言うべきではない。やれ、説明ができない。ちらほらと聞こえてくる内容は、英玲奈の質問に対するものなのか、その他なのか、それすらもわからない。


 英玲奈はトシさんの方へと目を向ける。


「協力? あなたが?」

「わふ」


 トシさんは英玲奈の視線を受け止めていた。まるで、何かを伝えようとしているかのように。


 そこで、海人が口走った内容が頭に残る。


 どう見ても犬にしか見えないトシさん。

 普段、喫茶店に行っても、英玲奈がトシさんを目にする機会は少ない。大抵は1匹で散歩に行っていた。


 それでも、数少ないトシさんの姿を見る限り、頭の良い犬だということはわかっていた。


 人の言葉を理解しているような動き。

 時々見せるただの犬とは思えない視線の動きや人との接し方。

 そして、人の行動への理解度の高さ。


 今までも普通の犬ではないと思っていた。


 しかし、ただそれだけだ。

 少し賢い程度の犬なら、何処を探してもいるものだ。人の言葉を完璧に理解し、そのとおりに行動する犬は、全くいない訳ではない。


 だが。


「あなたは、何者なんですの?」


 問いかけても、答えが返ってくることはない。

 何かを疑うような視線を向ける英玲奈に、海人は慌てたように口を開く。


「いや、あの、なんか、えっと、人の言葉を理解はできるみたいなんですよ。だ、だから、いないよりは、いいかな、みたいな、はは」

「……ふむ。そうですのね」


 まだ納得はしていないようだったが、英玲奈はそれ以上の詮索をするつもりはないようで、一度話を切った。


「まあいいですわ。それでは、まず確認ですけれど、あなた方は玲美の詳しい事情については知らないんでしたわね」

「はい」


 2人が知っている内容は、玲美が元気をなくし、落ち込んでいるということと、その理由を詳しくは話せないが、寂しがっているのではないか、ということだけ。

 という話は、協力をお願いをしに行った際に説明していた。


「まあ、確かにわたくしも、そう公に話したい内容でもないですし、仕方がありませんわね」


 そう言って、英玲奈は少しだけ顔を曇らせた。その表情は、同じ話題を口にした時のトシさんと同じものだった。


 それから少し間をおいて、英玲奈が口を開く。


「なので、まず必要と思われることは何かを説明しますわ」

「必要なこと、ですか。それは?」

「それは、心を支えること、ですわ」

「心を、支える?」


 美咲も海人も首を傾げた。

 全く意味がわからない訳ではなかったが、英玲奈の言わんとしていることは、理解できていなかった。


 それを察したのか、英玲奈はなんとも言えない表情で笑った。


「まあ、具体的な話ではないですわね。でも、玲美に必要なのは、心の支えなんですわ」


 美咲や海人は知らない。玲美には、生涯の心の支えとなっていた人物がいたということを。

 しかし、知る者ならば、それがどれだけ難しいことなのかは痛い程わかっている。


 代わりなんていない。

 だからこそ、英玲奈も、周りの人も、玲美を本当の意味で立ち直らせることができていなかったのだから。


 それでも、英玲奈が美咲たちの協力を受け入れたのは、ある思いがあったからだった。


「正直、玲美の心の支えになれる人は、もういないと思いますけれど、もしかしたら、今なら少し、軽くすることくらいはできるかもしれませんわ」


 今までと最近では、玲美の環境は大きく変わっていた。


 最初の内は、その変化も僅かなものでしかなかったが、いつしかそれは見違える程に大きな変化になっていた。


「あなた方なら、もしくは……」


 英玲奈が期待を寄せるのは、美咲や海人、だけではない。喫茶店を訪れるようになった多くの人たち。その1人1人が、玲美を救う手助けになりうると、英玲奈は考えていた。


 そのためのお膳立てはできる。

 美咲や海人が玲美を心配しているように、玲美の助けになりたいと思う人間は、探せば多くいるだろう。


 あの喫茶店に通うほとんどの者は、互いを認識している。その場で仲良くなる者もいれば、元から仲が良かった者と訪れる者もいる。


 そんな風に、あの喫茶店の中では1つのコミュニティができていた。


 そこに協力を求めれば、英玲奈の思うことは、実行することができるだろう。


 しかしそれでも。


「あと、一歩が足りないんですわよね」


 玲美の性格を知っている英玲奈には、それだけでは足りないという確信があった。

 どうしても代えようのないピースがあるのだと気付いていた。


「何か必要なら、俺たちも手伝いますよ」

「ありがたいですけれど、それは物じゃないんですわよねぇ」


 最も大切で、最も難しいピース。

 玲美の気持ちを救い上げるために、どうしても必要になるピース。


 それがどうしても手に入らない。

 そこでふと、英玲奈は何気なくトシさんの方を見た。


「ふてぶてしい顔ですわね」


 当たり前だが、一言も発しないトシさんは空気のような存在だ。しかし、その姿はあまりにも堂々としていて、まるで会議に参加しているようにさえ見えてくる。


 良いか悪いか、そのふてぶてしい態度は、ある人物を彷彿とさせた。


「あなたが、利樹さんなら、うまくいきますのに」


 それは、願望に過ぎなかった。

 神にすがるが如く、あり得ない願い。


 トシさんが利樹であれば。

 その願いが叶うことはないだろう。


 しかし、1つだけ、可能性は残っていた。

 英玲奈が思う作戦の重要なピース。


 それになり得る存在が。



「もし、俺がその利樹って奴の代わりになれたら、うまくいくのか?」

「……は? え? 誰かいますの?」


 突然聞こえてきた男の声。それは海人のものではない。


 英玲奈は驚いて辺りを見回した。

 しかし、その声の主と思える人物は何処にも見当たらなかった。


 いや、そもそも聞こえてきた声は、すぐ近くから聞こえてきた。隠れられる場所なんて、何処にもなかった。


「え? トシさん、いいのかよ?」


 海人が驚いた声を出す。その視線の先には、トシさんがいた。そして、美咲も同じように心配そうな顔でトシさんの方を見ている。


「え? トシ、さん?」


 海人たちの会話の意味はわからなかったが、英玲奈は微かな可能性の予感に、恐る恐るトシさんの方を見る。


 トシさんは、真っ直ぐに英玲奈の方を見ていた。


「ああ、もしそれで、あいつを救えるなら、隠してられねぇからな」

「へ? い、犬が……?」


 あまりにもあり得ない光景。

 英玲奈はパクパクと音にならない声を、悲鳴をを紡いだ。


「驚くかもしれねぇが、俺は人の言葉がわかる。だから、お前の作戦を聞かせてくれ」


 トシさんは頭を下げて懇願した。


 英玲奈は眼光が飛び出る程に目を見開いて、驚きに言葉を失くす。

 そして、たっぷり30秒程固まった後。


「ええええぇぇぇぇぇぇぇ!」


 人生で最大の悲鳴を上げたのだった。

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