第11話 とある女性の話 三
「……さん! 俺と付き合ってください」
「ごめんなさい」
高校を卒業した彼女たちは、それぞれ別々の道を進むことになった。
彼女は地元の大学へ進学を決めた。
特に将来の夢がある訳でもなく、やりたいこともなかった彼女だったが、就職するにしても、起業するにしても、大学を出ていればどうとでもなるだろう、という判断だった。
そして、利樹は郊外の工場に就職している。
元々、やんちゃをしていたような人間も雇っている会社で、根が真面目な利樹はそれなりにしっかりと働いているらしい。
また、女子生徒は彼女とは違う大学へと進学した。それだけではなく、曾祖父が創った会社を見学し、偶に仕事を手伝っている。
全く違った道を行く3人だったが、今でも関係は続いていた。高校時代よりは会える時間も減っていたが。
それでも、以前に利樹に言われていたように、物理的な距離が離れていたとしても、何ら変わりはない。という言葉は、今も彼女の胸には残っている。
そのため、彼女は今の状況について、特に不満は持っていなかった。
しかし、利樹の存在が近くにいないということで、彼女の周りでは別の問題を起きていた。
「これで、5回目、ですか」
今月に入って、彼女はすでの5人から告白をされていた。それは同じ大学にとどまらない。しかも、それとは別に街中でナンパされることも少なくない。
しかし、今のところ、彼女は誰かとも付き合ったことがなかった。
彼女の周りにいた者たちは、利樹と彼女が恋仲であると思っている者も多少いたようだが、彼女にそんなつもりは全くなかった。
そもそも、恋仲という概念では考えておらず、家族と考えている。それは、昔からずっと一緒に育ってきた関係であり、当たり前の関係だと思っていた。
しかし、利樹と離れ、多くの愛の告白を受けるようになってから、彼女はよく考えるようになる。自分は、利樹と「そういう関係」になりたいのだろうか、と。
改めて考えてみても、あまり理解のできない感覚だった。いや、正直に言うなら、あえて恋仲になるという行程を入れる意味が、彼女には理解できなかった。
彼女にとって利樹は、好きや嫌いという言葉では収まらず、そこにいてくれなければならない存在である。その気持ちは、恋仲と似通う部分もあるのだろう。
しかし、利樹を恋人として扱いたいのかと聞かれた場合、否、と答える。
その気持ちの違いは何なのか。
それを彼女は考えていた。
しかし、その答えはいつも出ない。
急いで出そうとも思っていなかった。
が、今日だけは少し違った。
何故なら今日は、久しぶりに利樹と会える日。しかも、利樹が給料を貯めて予約してくれた、少しだけ良い店、で一緒に食事をする予定だったからだ。
というのも、それは突然の申し出だった。
「次の日曜日、予定あるか?」
いつもなら、予定を聞いてくることなどほぼない。しかし、この時だけはしっかりと予定を確認してきた。
それだけ利樹も緊張をしていたということなのかもしれない。
初めての給料で彼女を食事に誘う。それは、利樹の密かな目標だったのだから。
彼女は人の感情に疎く、しかし、敏感だ。
利樹が自分のことをどのように見ているか、ある程度はわかっているつもりだった。
「ええ、特に予定はありませんよ」
彼女は利樹に関することであれば、ほぼすべてを肯定的に考えることができる。もし、利樹が「そういう関係」を望んでいるのなら、そうなっても良いと思っていた。
しかし、いざ深く考えてみると、それで本当に良いのかという疑問が浮かんだ。
利樹のことに関して、そんな疑問を持つことなんて、今まで一度もなかったのに。
大学での講義を終え、彼女は待ち合わせ場所で利樹を待っていた。
その間にも、道行く人の視線を感じる。そのどれもが彼女に好意を寄せるものだ。それは、先ほど告白してきた男や、これまで告白してきた相手たちと似たような視線。
それらの視線を受けながら、彼女は考える。
利樹と彼らは、何もかもが違う。しかし、利樹から告白をされたとして、果たして彼らと違う感情が本当に芽生えるのだろうか。
もしかしたら、彼らと同じように、その告白を受け入れることができないのではないかと。
そんなことを考えていた時。
「よう。待ったか?」
「ええ、10分と20秒程待ってましたよ」
「こいつ」
仕事終わりなのか、少しだけ疲れた様子の利樹がやってきた。身なりは、いつもより小綺麗になっている。
彼女の皮肉めいた返事も、利樹は慣れた様子で受け流し、予約している店に向かって行った。
そんなぶっきらぼうな態度も、彼女にとっては馴染みの姿だ。優しくエスコート、なんて思いは端からなく、いつも通り彼女が利樹について行く。ただ、それだけ。
それだけで、彼女は十分幸せだった。
それ以上の幸せなんて、彼女には想像もつかなかった。
彼女は利樹が自分のことをどのように見ているか、ある程度はわかっているつもりだ。
利樹は、彼女と「そういう関係」になろうとは思っていないはずだ。
彼女とは違い、家族としてではなく、女として見ているだろう時もあるが、基本的な部分は同じようなものだった。
ならば、このままでも良いのではないか。
彼女はそう思っていた。
しかし、そんな彼女の思いが、少しだけ揺らぐ出来事が起きる。
「あれ? ……さん?」
「え? あ。早乙女さん」
不意に声をかけられたのは、先日彼女に告白をしてきた男性だった。
大学内ではイケメンとして人気で、成績も優秀。彼女が告白をされたと知った周りの人間は、断ったことを大変勿体ないと嘆いたものだ。
フラれた後の早乙女は、多少未練があったようだが、比較的きっぱりと諦めている。
とはいえ、早乙女は彼女と同じ講義を受けることが多く、フラれた後も関係が完全に切れることはなく、会えば少しだけ話す程度の間柄になっていた。
しかし、そんなことは全く知らない利樹は、いきなり彼女に馴れ馴れしく話しかけてくる男に、苛立たしげな視線を向けていた。
「偶然だね。えっと、そちらの方は?」
その視線には気付いているようだが、早乙女はそのまま彼女に問いかけた。
微妙に怯えているように見えるのは、早乙女も利樹が恐いからだろう。多少、小綺麗になっているとはいえ、まだまだヤンキーに見えなくもない風貌をしているのだから。
と、そこで彼女は察した。
早乙女は彼女がヤンキーに絡まれているのではないかと、心配をしているのだろうと。
早乙女は基本的に常識人だ。
普通に考えれば、街中で知り合いと歩いている彼女に、あえて声をかけるような野暮なことはしない。
それでも声をかけてきたのは、そんな心配があったからなのだろう。
「こちらは、利樹。……えっと、幼馴染みですね」
「あ、ああ、なるほど。幼馴染みなんですね」
早乙女には、彼女が施設で育ったということを話していない。別に隠す話ではないが、そこまで深い仲でもない早乙女に話すようなものではないと思っていた。
しかしそうなると、利樹との関係の説明が難しかった。
いつもなら家族と呼ぶが、同じ施設で育ったという話を抜きにすると、別の意味合いに捉えられかねない。
結果、幼馴染みという無難な答えしかできなかった訳だが、早乙女はそれで納得したようだ。
「それなら、よかった。あ、いや、そうじゃなくて……、あ、あはは。邪魔しちゃ悪いね。またね、……さん」
「ええ、また大学で」
そそくさと去っていく早乙女は、相当利樹のことが恐かったらしい。
それに彼女が少しだけ笑っていると、横にいる利樹が、不機嫌そうな表情をしていることに気が付いた。
「どうかしたのですか?」
「あいつ、知り合いなのか?」
「ええ、同じ大学の人です」
「はーん」
利樹は自分で聞いておきながら、興味なさそうに返すだけで、そのまま歩いて行ってしまった。
「焼きもちですか?」
「ちげぇよ」
口では否定をする利樹だったが、その態度はどう見ても彼女の指摘通りだった。
そのまま会話も少なく、利樹たちは予約をしていた店へと辿り着く。
利樹が予約した店は、超高級店という訳ではなかったが、一応それなりに有名な洋食レストランだった。
一応、身だしなみは整えているものの、あまり利樹のような雰囲気の人間が来る場所ではないらしく、店員の表情も心なしか固い。
それでも、プロとしての振る舞いか、それを態度に出すことはなく、利樹たちは予約していた部屋へと案内されていった。
案内されたのは個室の部屋で、料理のコースはすでに決められている。
「それでは、ご用意致しますので、少々お待ちください」
少しだけ説明があってから、普段は食べられないような、美味しそうな料理が次から次へと運ばれてくる。
そのどれもが、上品かつおしとやかに盛り付けられたものだ。
そんな感じたことのない重苦しい雰囲気に、利樹は借りてきた猫のように固まっていた。
「ふふ、緊張してるのですか?」
「そ、そんなんじゃねぇよ」
反論する声も何処となく弱々しい。
珍しい利樹の様子を嬉しそうに眺めながら、ふと彼女は真剣な表情で問いかける。
「どうして、このお店を選んだのですか?」
ここに来る前から、利樹がこういった店の雰囲気が苦手だということは、彼女も知っていた。
普段、2人が利用する店は、個人の経営や全国チェーン店ばかりで、ここまで格式張った雰囲気のある店に来たことはない。
しかし、今回、この店を指定してきたのは利樹の方だった。どういう理由で、利樹が自分の苦手とする雰囲気の店に連れてきたのか、彼女にも理解ができていなかった。
尋ねられた利樹は、少しだけ気まずそうに目をそらす。
中々口を開こうとしない利樹に、彼女は目をそらさないように、グイッと利樹の顔を掴んだ。
「どうしてですか?」
初めて社会に出て、給料をもらって、少し背伸びをしたのかもしれない。
自分は大人になったのだと喧伝したかったのかもしれない。
理由はいくらでも考えられた。
しかし、彼女の知る利樹なら、そんなことでこの店を選ぶことはしなかった。
喧嘩や挑発には滅法弱いくせに、こうした見栄を張ることはほとんどない。
いや、今回のように、自分が苦手とするような場所に、自分から行くなんて、初めてのことかもしれない。
利樹は自由を好む。
仮にこの店が彼女の好みに合わせたのだとしても、ここを選ぶようなことはしないだろう。少なくとも、今までに選ばれることなかった。
それについて、彼女が不満を持ったことはないし、漏らしたこともない。
にも拘わらず、利樹はこの店を選んだ。
その理由について、彼女は1番しっくり来る答えを思い浮かべていたが、それは利樹の口から言われなければ、確信を持てなかった。
答えるまで諦める気を見せない彼女。
しかし、利樹も頑なに口を開こうとしない。
そのまましばらく時間だけが過ぎて、次の料理が運ばれてきた。
「お待たせしました。こちら、メインディッシュになります」
そこで一旦、話は途切れてしまう。
それでも、彼女は利樹を逃がすつもりはないようで、店員の説明を話し半分に聞きながら、視線は利樹に向かっていた。
「それでは、失礼致します」
そして、店員が部屋を出ていくのを確認すると、もう一度利樹に顔を向ける。
「わかったよ」
が、それと同時に、利樹が手で彼女を制止しながら、やっと口を開いた。
「話すから、ちょっと落ち着け」
「……わかりました」
一瞬、逃げる口実なのではないかと疑った彼女だったが、そんな気配はなくそのまま引き下がる。
利樹は深い溜息を漏らして、一度彼女を見ると、また深い溜息を漏らした。
「なんですか?」
そこまで深刻な溜息をされるのは、彼女としてもあまり嬉しくはない。
少しムッとした様子で尋ねると、利樹は観念したように訳を話し始めた。
「今日は、お前に話したいことがあったんだよ」
「話とは?」
少しだけ強く心臓が脈打った。
嫌な気持ちではないが、だからといって、落ち着けるものでもない。胸がざわつくのを感じながら、彼女は利樹の言葉を待った。
そして、利樹の次の言葉に、彼女は雷に打たれたようにショックを受けるのだった。
「俺と、結婚してくれないか?」
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