第11話 とある女性の話 一
「……さんって、すごい綺麗だよね」
「うん。それに、すごく頭が良いんだって」
「それだけじゃないよ。この前、部活の助っ人に入ったら、部員よりも活躍してたんだって」
囁くように流れる噂話は、どれも彼女を称賛するものだ。男子も女子も区別なく、彼女に魅了される者ばかりだった。
しかし、そんな噂話の最後には、必ずと言って良い程、ある言葉がくっついている。
「でも……、不良と付き合ってるらしいよ」
高校生になり、彼女はすぐに有名になった。
同じ中学校から進学してきた者も多いため、彼女のことが知れ渡るのに、そんなに時間はかからなかった。
もちろん、彼女が有名になった理由はそれだけではない。
彼女の通う学校は、この付近では1番の進学校だった。そんな、卒業するだけで将来を有望視されるような学校において、彼女は入学試験で全教科満点という偉業を果たしていた。
それは学校創設以来、初めての偉業だった。
面接においても質疑応答は完璧で、面接官の方が舌を巻く程に模範解答を示していた。
それは、中学生時代の振る舞いをすべて知っていても尚、合格させざるを得ない程に。
しかし、彼女の素行は決して良くはなかった。
初めに教師たちが違和感を抱いたのは、新入生代表挨拶を、彼女が断った時からだ。
強制ではないとしても、普通ならば、名誉なことだと喜びそうな所を、彼女は面倒臭い、の一言で断ったのだ。
それ以降も、教師たちが、「おやっ?」と思うことは多々あった。
彼女は、見た目の雰囲気も、立ち振舞いも、言葉遣いも、すべてが優等生然としている。
にも拘わらず、授業にはあまり出ない。そもそも学校に来ないこともある。仮に授業に出ても、集中していない。注意をしても、何故か教師側が言い負かされる。
半年もせずに、教師たちは彼女を問題児として捉えるようになっていた。
厄介だったのは、彼女が誰よりも優秀であり、学校内で密かに人気者だったことだろう。
勉強は、先生よりも教えるのが上手い。
運動は、コーチよりも教えるのが上手い。
学校では、ほとんど会うことはできないが、物腰は柔らかく、しかし、芯のしっかりとした印象を与える。
何でもできて、何でも知っていて、そして、誰もが見惚れる美少女。そんな彼女の素行の悪いなど、ミステリアスな一面があるくらいにしか思われていなかった。
彼女自身も他人と距離を取りたいと思っていた訳ではない。
中学生の頃に利樹と約束したように、人見知りを直す。他人との関わりを大切にしたい。そう思っていた。
しかしどうしても、大切な利樹を不良呼ばわりし、悪く言う者たちと仲良くすることはできないでいたのだ。
そうして、いつしか高嶺の花として、暗黙の了解の内に、誰もが不可侵な存在であると思われていた彼女に、ある日、1人の女子生徒が現れる。
「あなた、……さんで、間違いありませんの?」
彼女に声をかけてきた女子生徒は、テストで常に彼女に次いで、学年2位にいる天才だった。
女子生徒は一方的に彼女を敵視していたようで、かなり高圧的に話しかけたきた。
女子生徒が話しかけてきた理由を要約すると、いつもテストで負けている相手が、どんな人物か気になった。
そして、その人物に勝つために情報を集めようとしていた。
といった所だろうか。
デリカシーという文字を忘れてしまったかのように、女子生徒は彼女の内面へズケズケと踏み込もうとしてきた。
「……さん。あなたに問題を出しますわ」
「……さん。この数式の解き方が難しいのですが」
「……さん。駅前に新しくケーキ屋ができたのを知ってます?」
自分の踏み込んでほしくない部分にまで、遠慮なしに踏み込んでこようとする女子生徒に、彼女は良い印象を持っていなかった。
しかし、常に断るのも億劫になる程、女子生徒はいつも彼女に突っかかってくる。
いい加減、関わるのをやめてほしい。
そう思った彼女は、女子生徒に1つの質問をした。
「あなたは、私の噂を知らないのですか?」
「噂、ですの? あなたの話はよくよく聞きますが、どの話です?」
いつものように、シレッと隣で昼食を食べる女子生徒に、彼女は半分諦めた様子で話を続ける。
「私が、不良と付き合っている、という話です」
高嶺の花として、誰からも遠巻きに見られていた彼女。しかし、彼女の周りに人が集まらない理由は他にもある。それが、その噂だ。
特に隠している訳でもなく、学校以外では普通に会っている2人の関係は、いわゆる周知の事実。
そのことを知っている者は、少なからず利樹のことを意識して話しかけるのをやめてしまう。利樹のことなど知りもしないで、彼女に話しかけるだけで因縁をつけられるのではないか、と。
利樹の話が出る度に、彼女はそれを否定しているのだが、会ってもいない相手のことを信じてもらうのは、流石の彼女でも難しい話だった。
そんな人物と仲良くなろうという気持ちは全くないため、彼女としてはどうでも良いのだが、この鬱陶しい女子生徒に後々その事が知れると、何かと面倒だと判断した彼女は、早々に自分から話題を出すことにしたのだ。
しかし、女子生徒の反応は、彼女の予想外なものだった。
「ああ、そんな噂もありましたわね。で、それがどうかしたんですの?」
心底何を言っているのかわからないという様子で、女子生徒は首を傾げていた。
「不良と付き合っている。話しかけづらいんじゃありませんか?」
「……どうして?」
「……えっと」
珍しく彼女が言い淀む。しかし、女子生徒も悩ましげな表情をしていた。お互いに相手の言わんとすることが理解できないようで、沈黙のまましばらくの時が過ぎた。
そして、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「あなたは、私と不良と呼ばれる人に付き合いがあることについて、どう思いますか?」
「どう、と言われましても。別にそれは勝手なのでは?」
言いながらも、女子生徒は何か間違ったことを言っているのかとヒヤヒヤしているようだ。
いつもは高圧的で無邪気な女子生徒が、心なしか不安そうにチラチラと彼女の方を見ている。
女子生徒のいつもと違う雰囲気に、彼女はしばらく呆けていたが、やがて、プッと吹き出すように笑った。
「ええ。ええ、そうですね。すみません。おかしなことを聞きました」
「な、なんですの? いきなり笑ったりして。わたくし、何かおかしなこと言いまして?」
「いいえ。すみません。私が勝手に。自分のことがおかしく思えただけです」
「本当ですの? その顔、全然信用できませんわよ?」
それでもずっと笑い続ける彼女に、女子生徒は納得がいかない顔でずっと問い続けるのだった。
◇◇◇◇◇◇
それから、彼女らの関係は少しずつ変わっていく。彼女は女子生徒に、自分のことを話すようになった。
自分の境遇。
利樹との関係。
自分がずっと他人と距離を取っていたこと。
その他にも色々と。
女子生徒は、偶に空気の読めない反応をすることもあったが、基本的には親身になって話を聞いてくれた。
「ややこしい話ですわね。別に、人の関係なんて、その人の勝手ですのに。まあ、その人が本当に駄目な人なら、わたくし、友人としてお止めしますけれども」
「友人?」
ふと出てきた単語に、彼女は固まった。
「ええ、友人として、間違った方向に進みそうなら、止めるのは当然ですわ」
「友人」
女子生徒の話にも、彼女はあまり関心を示さず、ただ同じ単語を反芻している。
「まあ、あなたの話を聞く限り、別に悪い人ではなさそうですし、問題はないと思いますけれど」
「ゆう、じん」
しばらく力説していた女子生徒だったが、彼女が何度も呟くもので、流石に女子生徒も気にせざるを得なかった。
「ちょっと。何か文句ありますの?」
「え?」
「友人、と何度も。まさか、わたくしとは、そんな関係ではない、と言いたいんですの?」
「あ、いえ、そんな」
咄嗟に否定しようとして、彼女は言葉を飲み込んだ。直感的に口に出して良いことではないような気がして。
思案するように黙る彼女に、いよいよ女子生徒は不安そうに表情を曇らせた。
「も、もしかして、本当に……?」
「私は、あなたの友達になっても、いいのでしょうか?」
彼女の問いかけに、女子生徒は目を丸くする。よくよく見れば、不安そうにしているのは彼女も同じで、むしろ肩を震わせている彼女の方がその思いは強いのかもしれない。
彼女にとって、友達とは、知識として知っているだけの存在だった。
辞書に載っている意味は知っているし、周りを見れば、これが友達なのだろうと理解できた。
しかし、そんな存在は、自分にとって縁遠いものだと思っていた。利樹は友達とは違う家族のような存在だ。となると、彼女は友達というものを持ったことがない。
だからこそ、彼女は女子生徒がさりげなく言った友人という単語に、すぐに反応することができなかった。
肯定して良いのか、否定すれば良いのかわからなかった。
「わ、私、は」
模範解答ならわかる。
女子生徒は友達だ。これだけ仲良く話せるようになったのだ。普通の人なら打ち明けないことも話せるようになってきた。
これだけの仲になったのなら、友達と認定しても良いだろう。いや、普通の人なら友達と言っている。
それは頭でも理解できた。
しかし、彼女には、その模範解答を模範解答のように口に出すことができなかった。
何がセーブをかけているのか、彼女にもわからない。それでも、その何かが引っ掛かって、彼女は中々踏み出すことができなかった。
一生懸命に、何かを伝えようとする彼女は、それでも口に出せなさそうで、苦しそうで。
それを見かねた女子生徒は、おもむろに立ち上がると、いつものように高圧的に声を上げる。
「まあ、いいですわ! あなたがどう思っていようと、あなたはわたくしの友人です。別に、あなたの許可を得る必要もありません」
女子生徒の態度は、煮え切らない彼女を叱咤するものに見えた。
迷い、答えを出せず、立ち止まってしまった自分を、ひっ叩こうとするような。
彼女は自分を恥じた。友達だと、ここまではっきりと言ってくれる存在を、しっかりと受け止めることができない自分に。
「ですから、あなたが、私を本当に友人だと思ってくれた時、その時、今の答えを教えてくださいな」
「え?」
しかし、怒っていても、呆れていてもおかしくない女子生徒は、そんな彼女を見ても、あっけらかんと笑っていた。
「その利樹さんという方の気持ちもわかりますわ。あなたは、頭が良いくせに、偶に要領が悪いんですのよ。律儀に考えすぎなんですわ」
「私が、律儀、ですか? そんなことありませんよ」
「いいえ。例えば、あなたなら、ここで何と言えばわたくしが喜ぶかわかってるはずですわ」
「うっ」
図星を突かれ、彼女は言葉に詰まる。
「ほらね? あなたは、軽い気持ちで友達と言ってはいけない、と考えてしまってる。それは、それだけ真剣にわたくしのことを考えてくれている。そういうことですわ」
すべてを声に出されて、彼女は顔を赤くする。
実際に声に出され指摘されると、かなり恥ずかしいことのように思えた。
「ふふ、あなたもそんな顔をするんですのね」
「それは。私だって、人間ですから」
悔し紛れに言う彼女に、女子生徒も得意気に鼻を鳴らす。そして、2人はどちらからともなく笑い合った。
「よく恥ずかしげもなく、そんなことが言えますね」
「あら? わたくしは恥ずかしいことなんて言っていませんわ。なら、堂々としていれば良いのです」
何処までも不遜な女子生徒に、彼女の気持ちは軽くなっていった。
「ありがとう」
小さく呟いた言葉は、誰にも聞こえないくらい微かな声だったが、女子生徒の表情に少しだけ笑みが見えたのは、彼女も気付いていた。
言い表せない感情に戸惑いながらも、彼女はそれを大切にしたいと思う。
彼女が女子生徒のことを友達だとはっきり言えたのは、それから少ししてのことだった。
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