第10話 とある少女の話 四

 彼女の話題は、瞬く間に広がっていった。


 彼女が教頭に暴力を振るったという話は、噂程度には流れていたが、あくまで噂でしかなかった。

 しかし、先日、彼女は職員室に訪れ正式に教頭に謝罪をした。


 それが決定的な証拠となり、彼女は1週間の謹慎処分を受ける。


 教師陣としては、誰よりも優秀で優等生だった彼女が暴力沙汰を起こしたということは、あまり世間に公表したくはなかったようだが、彼女の行動によって、そうも言ってられなくなった。


 明るみに出てしまえば、特別扱いする訳にもいかず、情状酌量の余地がありということで、苦肉の策として、取られた処置が謹慎処分だった。


 他の生徒も、彼女の今までを知っている者、と言っても、表面的な部分に過ぎないが、その者たちは、信じられないといった様子だった。


 とは言え、急に授業に出なくなったり、態度が悪くなったりといった様子も見ているため、結局納得してしまう者も多かった。


 それからというもの、彼女を見る目は一気に変わった。


 尊敬や憧れ、そして、慕情。

 好意的な印象の強かった彼女の評価は、何を考えてるかわからない。怖い。何をするかわからない。そんな、マイナスな印象に変わっていた。


 普通に授業に出ていても、周りのクラスメイトは居心地悪そうに目をそらす。


 今までの印象が良かった分、余計に悪印象を与えているのだろう。



 普通の人なら、挫けていたかもしれない。

 そんな空間に居続けることはできなかったかもしれない。


 しかし、彼女は違った。

 彼女は、変わらなかった。


 いや、変わらなかった。というと、語弊があるかもしれない。

 正確に言うのなら、彼女の本質は変わらなかった。と言うべきだろうか。


 授業に出る機会は、以前よりは増えたが、毎回出るまでにはならず、サボることもあった。


 しかし、彼女の雰囲気は暴力沙汰を起こした後とは違っていた。以前の優等生の頃のように、元に戻っていたのだ。


「佐藤さん。これ、落としましたよ」

「え? あ、え、えと。あ、ありがとう」


 何事もなかったかのように、日常を過ごす彼女に、クラスメイトたちは、最初、どう反応すれば良いかわからなかった。


 しかし、ある日。


「……さんは、本当に教頭先生に暴力を振るったの?」


 とある少女が、彼女に尋ねた。

 その少女にしてみれば、相当の勇気を振り絞ったのだろう。他のクラスメイトも、少女の質問に全力で耳を傾けていた。


「ええ、本当ですよ」


 しかし、彼女は取り繕うこともなく、あっさりと白状した。


「ど、どうして?」

「私にとって腹立たしいことを言われたからです。ですが、感情的になってしまったのは、駄目でしたね」


 正直に答える彼女だったが、しかし、その表情は仮面のようだった。

 踏み込ませない。立ち入らせない。そんな雰囲気は、誰の目から見ても明らかな拒絶の表情だった。


「そ、そっか」


 結果、質問をした少女も、それ以上言葉を紡ぐことができなかった。

 もし、もう一歩踏み込むことができれば、何かが変わっていたのかもしれない。


 しかし、現実はそう簡単なものではなかった。


 彼女は、変わらなかった。

 しかし、変わろうとしなかった訳ではない。


 利樹に告白したように、彼女もどうしていいかわからなかったのだ。どんなに大人びて見えても、彼女はまだ子供なのだから。


 どう振る舞えばいいのか。

 どう近付けばいいのか。

 彼女には難しい問題だった。


 しかし、利樹は助けてくれない。

 見守っているだけ。


 それでも、それが自分を思ってのことなのだと知っている彼女は、少しずつでも変わろうと、持ち前の頭脳を駆使し、努力を続けた。


 自分の中にある信念を変えることなく、人見知りを直す方法を。


 しかし、本当の子供の頃から、ずっと人との関係に壁を作ってきた彼女にとって、それは当たり前の癖のようなものだ。

 だから、いつも無意識に壁を作ってしまう。


 誰かが無理やりにでも、彼女の作る壁を壊してくれたのなら、或いは簡単に変わったのかもしれない。


 しかし、中学校を卒業するまで、そんな人物が現れることはなかった。


「私は、やっぱり、変われない、のかもしれませんね」


 卒業証書を手に、彼女はいつものように屋上に来ていた。そこにいるのは、彼女と同じ卒業証書を座布団代わりにしている利樹。


 利樹は何も言わずに空を見上げている。


「どうしても、私は他人と壁を作ってしまう。私と利樹の関係を快く思わない人たちと、仲良くなりたいとは思えないんです」


 教師たちも、周りのクラスメイトたちも、彼女のことを見る時、その裏にいる利樹も一緒に見ていた。


 その目は、どうしてあんな奴と付き合っているのか。という疑問や困惑、もしくは非難するようなものがほとんどだった。


 その目を見るだけで、彼女はそれら人物と近付こうとはしなくなった。

 歩み寄ろうとしても、どうしても、その認識を持っている人間と仲良くなることはできなかった。


「私たちの関係に踏み込んでほしくない。邪魔してほしくない。それだけは譲れないのです」


 意固地になっている自覚はあった。

 しかし、その気持ちだけは、彼女にとって曲げることのできないことだった。それを曲げることは自分ではなくなることと同義だから。


「情けない、ですか?」


 恐る恐ると尋ねてくる彼女に、利樹はジトッとした視線を向ける。


「俺がそんなことを気にするように見えるってのか?」


 利樹も、彼女が変わろうとしていることは知っていた。それが上手くいないことも。だが、ここで利樹が手を差し伸べても、結果は良くならないのは明白だった。


 彼女が上手くいかない大きな理由の1つは、利樹の存在もある。


 できるだけ距離を取るようにしているが、その存在がなくなることはない。学校では一緒にいなくても、私生活では一緒にいることが多い2人だ。そのことを意識せざるを得ない。


 そんな利樹が彼女のために動いても、事態は悪化するだろう。


 解決するためには、彼女自身の力か、もしくは、彼女の作る壁を無理やり壊してくれる存在が現れるのを待つことしかできなかった。


「そう、ですよね。わかってました」


 困ったように笑う彼女に、利樹は少しだけ不貞腐れたように目をそらした。


「高校に行けば、また変わるだろ」


 彼女と利樹は、別々の高校に行く事になった。


 2人の学力は天と地ほどに離れている。

 当たり前と言えば、当たり前だが。


「まあ、人間関係はそこまで変わらないと思いますけどね」


 彼女の通う高校は、同じ地域にある高校だ。

 同じ中学校から進学する者も多いため、彼女が言うように、そこまで環境は変わらないだろう。


 対して利樹の通う学校は、ここから少し離れた不良たちの集う学校。どちらと言えば、利樹の方が人間関係はリセットされるかもしれない。


「それでも、俺がいないだけ、少しは変わるだろ」

「ふふ、そうかもしれませんね」


 静かな時間が流れる。

 心地よい風が2人の間を抜ける。


 落ち着いた雰囲気に、利樹は眠たくなってきた。このまま寝てしまおうかと思っていると、不意に利樹は肩に少しの重みを感じる。


 チラッと目を向けると、彼女は利樹の肩にもたれ掛かるような形で目を閉じていた。


「どうしたんだよ?」

「利樹と離ればなれになってしまいますので」

「いや、どうせ学校だけだろ」


 口ではそう言うものの、利樹も彼女を押し退けようとはしなかった。

 結局、利樹も彼女には甘いのだった。



 こうして2人は中学校を卒業する。

 変わりたいと思いながらも、その心根は変えられない少女とそれを不安に思う少年。


 天才と不良の不釣り合いな関係。

 しかし、彼らは本当の家族のように想い合っていて、誰にも代えられない存在だった。


 いつかは大人になれるのか。

 このまま変われないのか。


 少女も少年も、年相応の悩みを持っていた。


 彼らの未来がどうなるのか。

 もちろん、それを彼らが知ることはできない。


 しかし、彼女は運が良かった。これから先の出会いが、彼女にとっての転機となる。彼女の壁を無理やり壊してくれる存在が、すぐに現れることになる。



 それは、もう少し先の話だが。

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