第10話 とある少女の話 三
「お前は、昔から変わらねぇよな」
「え?」
唐突に告げられたのは、言われたことのない形容だった。
「これでも、変わっているつもりなのですが。胸も膨らんできていますし」
「そ、そういうことじゃねぇよ」
彼女の視線につられ、そこに目を向けてしまった利樹は、中学生にしてはやけに豊かに育った双丘に顔を赤らめる。
しかしそれは、彼女が話を有耶無耶にしようとしているだけだと気付いた利樹は、頭を振って冷静さを取り戻す。
「俺が言ってるのは、お前はいつまで経っても人見知りが直らねぇなってことだよ」
利樹の指摘に、彼女は何も言い返さない。彼女がそんな反応をするということは、肯定以外の何物でもなかった。
しかし、だからといって、彼女が黙っている訳ではない。
「人付き合いはきっちりとこなしています。それで、問題ないのではありませんか?」
ああ言えばこう言う。彼女との言い争いで、利樹は勝った試しがない。
結局、利樹が言いたいことは感情論による所が強い。しかし、彼女にとって、そんな曖昧なものなど、実利があるのなら、大したことのないものという認識だった。
事実、彼女がそれで困ったことはない。そしてこれからも、そのせいで困るということはないだろう。
今までずっと利樹が彼女に言い勝てなかったのは、彼女がずっと結果を残しているからだ。彼女の考えに何ら問題はない、ということを。
しかし、そろそろそれも限界が来ていた。具体的に言うと、利樹の限界、だが。
「そういうことじゃねぇだろ。わかんだろ。お前なら」
「そうですね。ですが、やはり必要性はありませんよ。義務教育である今なら、これくらいのこと、さしたる問題になりません。それに、私なら、高校なんて行かなくても生きていくことくらい、簡単にできますから」
最終的に行き着く結論は、いつもこうだった。
傲慢だと言われるだろう。
身勝手だと思うだろう。
自信過剰だと思うだろう。
しかし、彼女はそれを実現させてしまう程に優秀だ。彼女が言うのなら、それは妄想ではなく、現実となる。
彼女にとって学校など、行っても行かなくても同じもの。世間一般的に行かなければならないから従っているに過ぎない。
そして、それに従っているのは、反抗するのが面倒臭いからというただ一点の理由のみ。利樹を蔑ろにしてまで学校に行く理由なんて皆無に等しかった。
「私にとって、本当の家族はもう利樹だけ。なら、その家族を1番に考えたい。それは、間違った考えですか?」
「……間違ってる訳じゃねぇよ」
苦々しげに歯を噛み締めながら、利樹は彼女の言い分を肯定した。それを見て、話は終わりだと判断したのか、彼女は横になって空を仰ぐ。
しかし、利樹はまだ諦めていなかった。
「だがな、お前はそれを言い訳にしてるだろ」
「言い訳、ですか?」
いつもと違って中々引き下がらない利樹に、彼女も少しだけ困惑したような表情を返す。
「何が言いたいのですか?」
「お前は結局、人付き合いが苦手なのを、俺のせいにしてるだけだって言ってんだよ」
「なっ! 利樹のせいになんて、していません!」
彼女にとって、利樹は自分のすべてと言える。
利樹のことを1番に考え、利樹のことを何よりも大事にしている。
そんな彼女にとって、利樹のせい、という言葉は、言ってはいけない禁句だった。それは、彼女自身のことであっても例外ではない。
仮に何か自分が悪い行いをしたとしても、それは彼女自身のせいであって、利樹は関係ない。今までもずっとそう考えてきた。
だからこそ、利樹のその言葉は、彼女に深く突き刺さる。
「私は、私がそれで良いと判断した。それで問題はなかったし、これからだって、問題はありません。仮に何か問題が発生しても、それは私自身のせいであって、利樹のせいなんかじゃないんです」
いつもと違う雰囲気は、それだけ焦っている表れ。彼女が心を乱すのは、いつも利樹のことだ。
利樹は卑怯だと感じつつも、彼女の考えを変えるためにそのまま突き進む。
「お前はそう言うかもしれねぇ。けどな、周りの奴はそう考えねぇだろうよ。俺がお前を縛っている。そう考えるのが自然ってもんだ。お前だってわかるだろ?」
「それは……」
珍しく彼女は動揺した。
普段は理路整然とした彼女だが、利樹の話となると途端に余裕をなくす。利樹に纏わる話は、彼女にとっての弱点だった。
「お前の依存癖は昔から知ってた。けどな、そろそろ独り立ちできるようにならねぇと、いつまで経っても直らねぇぞ」
周りから見れば、利樹の指摘は「何を馬鹿なことを言っているんだ」と一笑に付されるものだろう。他人からの彼女の評価は、利樹のものとはかけ離れたものだから。
しかし、正しいのは利樹なのだろう。
先日の出来事が、まさにその片鱗を見せていたと言えるだろう。
どれだけ学校に馴染んだように見せていても、ふとした瞬間に本性が垣間見える。他人よりも利樹を優先する。何があっても。
その一面は、確実に彼女のこれからの選択肢を狭くする。そう思うからこそ、利樹は引くつもりはなかった。
しかし。
「利樹は、私と離ればなれになっても、何とも思わないんですね」
「は、はぁ?」
そんな覚悟も、彼女の前では風前の灯だ。
利樹は、例えそれが演技だとわかっていても、彼女の泣きそうな顔は苦手だった。
無理やり自分の考えを押し付けるのは間違っていたのかもしれない。挫けそうになる利樹だったが、唇を噛み締めて気合いを入れ直す。
そうして冷静に頭を冷やしてみると、彼女の言葉は、反論の難しくないものに思えた。
「俺は……。別に離れてても気にしねぇよ」
「……え?」
思ってもみなかった答えに、彼女は本気で驚いた。
彼女はずっと、人の心など簡単に見透かすことができると思っていた。
それは、利樹であっても、赤の他人であっても変わらない。大抵の人間は、彼女にしてみれば、思った通りに動く存在でしかなかった。
どんなことを言っていても、利樹は必ず最後には自分の言うことを受け止めてくれる。そう確信していた。
しかし、利樹の言葉は嘘ではなく、冗談でもなく、真っ直ぐな肯定だった。
利樹は明確に彼女と離ればなれになっても構わないと宣言した。
それが彼女は信じられなかった。
「ほ、本当に?」
彼女は泣きそうになっていた。
これは演技ではない。彼女は人生で初めて悲しみで泣きそうになっていた。
今までの記憶で、彼女が感情的になったことは何度かあるが、悲しくて、悲しくて、泣きそうになるということは経験がない。
そしてそれは、利樹も同様だ。
彼女が本気で泣きそうになる姿なんて見たことがなかった利樹は、目に見えて焦り出した。
「いや、ちがっ、いや、違わねぇけど、お前が思ってるのとはちげぇんだって。俺が言いたいのは、距離なんて関係ねぇだろって話だ」
「きょ、り?」
理解できていない彼女に、利樹はどうして良いかわからない様子で目を泳がせる。
普段なら、一を言えば十まで理解する彼女だ。明確に言葉にしなくても、利樹は言いたいことが言えていた。
それがどんなに恥ずかしい言葉であっても、実際に口にしなくても、彼女は察してくれた。だから、最後まで言う必要はなかった。
しかし今回は、動揺が強いせいか、すぐには察してくれない。
首を傾げる彼女に、利樹は挙動不審に目を泳がせ、やがて、諦めたように口を開いた。
恥ずかしそうに目をそらしながら。
「だから。俺とお前は家族なんだろ。だったら、別に一緒にいなくても、俺とお前の関係は変わらねぇ。それで良いじゃねぇか」
「……あ」
最後まで言われて、やっと彼女は利樹の言わんとすることが理解できた。
それは、いつもの彼女にしては、鈍感すぎる反応ではあったが、それだけ利樹の言葉にショックを受けていたということだろう。
少しずつ言葉を飲み込んで、少しずつ心に落ちていく。フワッと温かくなる胸の内に、彼女は冷静さを取り戻していた。
「紛らわしいことを、言わないでください」
「お前が勝手に勘違いしたんだろ」
子供じみた応酬。彼女らしくない言葉づかいをする時は、照れ隠しをする時の癖。
攻め時は今だと判断した利樹は、これでもかと攻めていく。
「とにかく、俺はお前と離れてたって何の気にもならねぇ。それでも俺は変わらねぇって言えるからな。お前はどうなんだ?」
「……そんな言い方は、ずるいですよ」
ここで否定してしまえば、彼女は利樹を否定することになる。それは、彼女にはできないことだ。かといって、肯定してしまえば、彼女の理屈は通らなくなってしまう。
どちらを取っても、彼女にとって望んだ結果にはなり得ない。
彼女が利樹を誰よりも、そう、自分よりも優先しているとわかっているからこそできる論破だった。
だからこそ、彼女は言うのだ。
ずるい、と。
「私だって、利樹と物理的に離れたって、変わらないと、自身を持って言えますよ」
「なら、お前が俺以外の奴と上手く付き合えないのは、お前が人見知りだからってことで、認めるんだな」
「……認め、ますよ」
本当は、彼女も利樹の方が正しいとわかっていた。
今でも教師たちの言葉は、思い出すだけでも腹立たしい。しかしそれでも、彼女の行動は、ただ意地を張っているだけにすぎない。
利樹以外の人間とは、表面的な付き合いしかない。だから、少しくらい崩れた所でどうでも良いと思っていた。しかしそれは、人見知りを正当化する理屈にすぎない。
どれもが、利樹の指摘通りだった。
彼女はいつでも正しい訳じゃない。
むしろ、間違っていることの方が多い。
何故なら彼女は、間違っていることも正しいと思わせるだけの才能があるから。
ただ、利樹だけは知っている。
彼女の本質を。
「本当に、勝てませんね」
彼女は諦めたように苦笑いを浮かべた。そして、息を整えるように1つ息を吐くと、おもむろに立ち上がる。
「先生に謝ってきます」
それだけ言うと、彼女は屋上から出ていった。
「全く、世話の焼ける奴だ」
利樹以外にはわからない感覚だろうが、駄々をこねる彼女は、家族のようで。妹のような存在だ。
手間のかかる妹の面倒を見るのも疲れるな、と伸びをした所で。
「それと、1つだけ」
「うおっ!」
いつの間にか戻ってきていた彼女が、いきなり利樹の目の前に顔を出してくる。
「このやろう」
「ふふ」
笑う顔を見れば、わざと驚かせたというのがわかった。
しかし、何か文句でも言ってやろうかと利樹が口を開きかけた所で、彼女の表情は真剣なものへと変わった。それに、虚を突かれた利樹は言葉を飲み込む。
それから、少しの沈黙が流れ、彼女はゆっくりと口を開いた。
「やっぱり、すぐには、変われないと思います」
彼女は申し訳なさそうに言う。
すべてをそつなく完璧にこなす彼女の口から、そんな言葉が出てくるとは思わず、利樹は驚愕していた。
しかし、利樹はそこで思い直す。
どれだけ才能に溢れた天才であろうと、彼女は自分と変わらない子供なのだ、と。何でもできるから忘れてしまうことも多いが、彼女はまだ中学生なのだ、と。
彼女もそれはわかっているのだ。
だからこそ、そう簡単に気持ちの折り合いはつけられないと判断し、律儀に利樹に告白したのだろう。
彼女は自分なりに、利樹の話に向き合おうとしている。その証拠だった。
「別にいいだろ。そんなにすぐ変われなくたって。そんなことで俺が起こると思ってんのか?」
「……ふふ。いいえ」
利樹の答えは、彼女も予想していたのかもしれない。安心したように笑う彼女は、今度こそ屋上を出ていった。
去り際に残した、ありがとう。という言葉は、利樹の耳には届かない、口を動かしただけの言葉だったが、利樹の目には届いた。
しかし、それを口にする彼女の表情は、あまりにも可愛らしくて、利樹は1人になった屋上で、顔を真っ赤にして悶絶するのだった。
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