第10話 とある少女の話 二
「本当に、どうして彼女はあんな奴と付き合ってるんでしょうか」
とある中学校の職員室でふと呟かれた言葉は、その場にいる全員が思っているものだった。
利樹たちは中学生になっていた。
彼女は利樹と同じ学校に通っており、常にテストは学年一位。それは全国模試でも揺るぎなく、一位を譲ったことはない。
類いまれなる才能を見せつける彼女は、学校が誇る最高の優等生だった。
ある一点の問題を除けば。
「利樹。また喧嘩をしたのですか?」
学校の屋上で、彼女は寝転んでいる利樹に話しかける。
ちなみにここは、生徒は立ち入り禁止なのだが、利樹は鍵を無理矢理壊して入っている。
いや、もはや壊れていて直されることもない。それだけ、利樹はよくここに訪れていた。
今の時間は、2時限目が始まる時間だ。
予鈴はすでに鳴っていて、今から教室に向かわないと間に合わない時間だった。
それでも、彼女は慌てることもなく、利樹に近寄って鞄から小さな薬箱を取り出す。
近付いても身動きをする気のない利樹は、身体中が傷だらけになっていた。
「そんなに強くないのですから、無理はしないでくださいね」
彼女は慣れた様子で傷薬や絆創膏を利樹に張り付けていく。
利樹は何も言わずに目をそらした。
それに彼女は、諦めた様子で溜息を漏らす。
利樹は最近、よく喧嘩をするようになっていた。
相手は近くの高校生だ。
そこはこの辺りでは不良校として有名で、一部では暴力団の子供も通っているという噂まである程だった。
「本当に危険な目に遭ってからじゃ、遅いんですからね」
今の所、利樹はその場でぼこぼこにされるだけで済んでいる。
それも問題ではあるのだが、噂に聞く評判を思えば、まだましな方だった。
「別に、俺から喧嘩を売ってる訳じゃねぇよ」
利樹は昔から不良に絡まれることが多かった。
子供の頃から目付きが悪く、愛想も良くない利樹は、ただ前を向いているだけでも相手に恐い印象を与える。
それが不良には気に入らないらしく、一時期は街を歩いているだけで喧嘩を売られることすらあった。
そういった事情を知っている彼女としては、確かに仕方がない場面もあると理解をしつつも、それでも、心配なものは心配だった。
「ですから、逃げても良いのに、といっつも言ってますよね」
「逃げるなんて、男らしくねぇだろうが」
「……はぁ。まったく」
いつもこの平行線を辿っている。
喧嘩は、売られたら買う。
それは利樹にとって、1つのポリシーになっているようで、彼女がなんと言おうと、これまで変わることはなかった。
そうこうしている内に、2時限目を始めるチャイムが鳴った。
「おい。さっさと行けよ」
「もう少しで終わりますから」
利樹に言われても、彼女は気にすることなく手当てを続ける。そうして、最後まで手当てを終わらせてから、彼女は立ち上がった。
「それでは、私は教室に行きますから。利樹も落ち着いたら来てくださいね」
利樹は返事をせずに明後日の方を向いていた。
来ないことはわかっていた。それでも、言わずにはいられない。
それは、利樹が彼女にとってそれほどに大切な存在だから。
◇◇◇◇◇◇
そんなある日。
「……さん。彼と関わるのはもうやめなさい」
彼女は担任に呼び出された。
彼女は成績優秀で、基本的には摸本的な優等生で通っている。そんな彼女が呼び出される理由は1つしかなかった。
「……彼とは、利樹のことですか?」
「そうよ。あなたたちの事情は知っています。ですが、最近のあなたたちは目に余ります」
最近というのは、利樹の行動が理由だった。
「先日、他校の生徒と揉めたのは知っていますね?」
「はい。ですが、あれは、利樹だけが悪い訳ではありません」
基本的に、利樹から喧嘩を仕掛けることはなく、売られた喧嘩を買うだけ。
もちろん喧嘩両成敗という前提はあるが、利樹から積極的に問題を起こしたことはない。
担任が話題に出した今回の件についても、利樹は他校の生徒に難癖を付けられ、手を出されたためやり返しただけだった。
「利樹は普通に歩いていただけ。それをガンを付けた、なんて意味不明な理由で絡んできたのはあちらの生徒です。それに手を出したのもあちらが先。利樹だけの責任ではありません」
「それも信用できる話ではありませんよ。あちらの生徒は、彼が一方的に絡んできたと話しているようですし」
「嘘をついているのは、あちらの生徒です」
毅然とした彼女は、担任相手でも一歩を引こうとしない。彼女の纏う雰囲気は中学生のそれではなく、担任は自分が責められているような錯覚を受けた。
彼女は淡々と事実を述べているだけなのに。
「で、ですが、あなたも現場は見ていないのでしょう?」
「えぇ。それは先生も同じですよね?」
「そ、それはそうですが」
どちらも自分の主張に確固たる証拠がある訳ではない。しかし、押されているのは担任の方だった。
「確かに、利樹は相手に手を上げていて、悪いことをしたのは事実です。ですが、そこには一応の理由があり、それを理由に利樹と関わりを断たなければならない理由がわかりません」
「うっ」
彼女は理解していた。
担任が、職員室にいる他の教師たちが、自分に何を求めているのかを。
つまりは、学校一の優等生である彼女と、学校一の問題児が関わっているというのが、気に食わないのだ。
汚点になると言っても良い。
担任は彼女の担任として、損な役回りを押し付けられたのだろう。まだ若い担任は、彼女に言い負かされ、たじたじになっていた。
「他に話がないのなら、私は失礼しますね」
「あ、ちょっ!」
「待ちなさい」
話を切り上げて早々に立ち去ろうとした彼女だったが、それを呼び止めたのは教頭だった。
彼女も、流石にこれで終わるとは思っていなかった。しかし、教頭が出てくるのは、彼女が想定していた中でも、最も面倒なケースだった。
「君の言うことは間違っていない。確かに、何も知らずに利樹くんだけを責めるのは間違っている」
「ええ。その通りです」
担任なら、言い負かすことができる。いや、例え教頭であろうが、校長であろうが、言い負かすことはできるだろう。
しかし所詮、彼女もただの中学生に過ぎない。
教師たちから力任せに言い切られてしまえば、中々反抗することは難しい。
できないことはないが。
「しかし、これは君のためでもあるんだ」
「私のため。ですか」
一番穏便に話をまとめる方法を考えていた彼女だったが、しかし、教頭の一言で、その雰囲気は変わった。
それに気付いたのは、彼女の前にいた担任だけ。教頭は何も知らずに話を続ける。
「そうだ。君の主張は確かに正しい。しかしな。彼の普段の行いを見ていれば、どちらを信じるべきは自ずと決まってくる。それが世間一般というものだ。頭の良い君ならわかるだろう。そんな生徒と仲良くしているなど、今後の汚点にしかならないんだ」
「っ! 汚点、ですか?」
彼女の纏う空気がひどく冷たいものに変わる。
部屋の温度が2、3度下がったような感覚さえ覚える程に、彼女の空気が一気に冷えた。
しかし、話に夢中になっている教頭は気付かない。
「社会に出ればわかるが、付き合う人間はしっかりと考えるべきだ。君たちの境遇は知っているが、だからといって、いつまでもお守りをする必要はない。自分に悪影響を与える人間関係なら切り捨てるのも、賢い判断なのだよ」
「それは、本当に私のための言葉なのでしょうか?」
「ああ、もちろ……、ぐっ!」
ガシッと、彼女は教頭の胸ぐらを掴む。
凄まじい速度で動いた彼女に、その場の誰もが身動きが取れなかった。
身長差をものともしない彼女は、教頭の胸ぐらを引き寄せ、きつく睨み付ける。
「それは、本当に私のための言葉なのでしょうか?」
そして、同じ質問を、もう一度問いかける。
中学生とは思えない、どす黒い瞳が教頭に突きつけられていた。
「な、なに、を」
普段見せる穏やかな表情は面影もなく、彼女の目は何をしてもおかしくない不気味な色をしていた。
「先生方の言いたいことを当てましょう」
そして、意味のある言葉を発することができない教頭に代わり、彼女はおもむろに口を開く。
「私の存在は、この学校にとって誇らしいものなのでしょう。全国模試でも、部活の助っ人でも、私の名前はかなり有名になってきました。自分たちの学校の生徒が、こんなにも活躍している。そう自慢していたのでしょう」
聞き方によってはどこまでも高慢な物言いだ。
しかし、彼女の言葉に異を唱える者はいない。それこそが、彼女の言葉が正しいという何よりの証明だった。
「ですが、そんな私が、問題児とつるんでいる。というのは、皆様からしたら邪魔で仕方がないのでしょうね。まさに、目の上のたんこぶと言った所でしょうか?」
オブラートに包むこともなく、はっきりと告げられる言葉たち。それは、この場にいる全員の心の内にある嘘偽りのない思いだった。
目を見るだけでもそれが伝わってくる。
それを見て、彼女は冷めたように教頭の胸ぐらから手を離した。
「けほっ!」
思いの外強く握られていたようで、教頭は軽く咳き込む。
「ですが、私は何も変えるつもりはありません。私にとって、利樹はこの学校なんかよりもずっと大切な存在なんです」
それだけを言い残し、職員室を出ていこうとする彼女を止めることができる者は誰もいなかった。
部屋を出る扉に手を掛け彼女は、そこで一度立ち止まる。
そして、ゆっくりと振り返ると、まだ子供だということを忘れてしまいそうな程、妖艶な笑みを浮かべ、職員室の中全体に視線を送る。
「教師に手を上げるなんて、なんて不良生徒なんでしょうか。退学にするのなら、どうぞ、ご勝手に」
そして、彼女は本当に職員室を出ていったのだった。
◇◇◇◇◇◇
それから彼女は、ほとんど授業に出ることがなくなった。
偶に出るのも、進級が危ぶまれない程度を意識しているだけのようで、真面目に受ける雰囲気は感じられない。
今までの優等生ぶりが嘘だったかのように、彼女の素行はどんどんと悪くなっていった。
と言っても、利樹に比べれば可愛いものだ。
彼女がしているのは、せいぜい授業にでないことだけ。それでもテストはしっかりと受けていて、毎回満点を叩き出す彼女に、誰も、何も、言えなくなってしまう。
彼女の扱いには、教師陣も困惑していたことだろう。
誰よりも優秀であり、誰よりも優等生だった彼女が、利樹に関するたった1件の出来事のせいで、ここまで態度を変えてしまったことに。
それでも彼女は気にしていない。
彼女は誰よりも優秀だ。
教師陣が、自分に何もできないことを理解した上で、授業をボイコットしてるのだ。
それは圧力。
自分と利樹の関係に口出しは許さないという無言の圧力だった。
「お前までサボる必要なんてねぇんだぞ」
屋上で隣にいる彼女に、利樹は呆れたように言う。しかし、彼女は気にした様子もなく、静かに本を読みながら答えた。
「ふふ。これは私の勝手なので、気にしないでください」
「……別に、先公の言ってることは間違ってねぇよ」
彼女と教師たちの間で起きたことは、利樹も知っている。当然、それが理由で彼女が変わってしまったことも理解していた。
そして、それは彼女にとって得にならないことだと、利樹自身も思っていた。
「別に俺に固執する必要なんてねぇんだよ」
「別に、固執している訳じゃ……」
利樹は知っていた。
世間から見れば、何でもできる超人美少女として名高い彼女は、唯一にして、決定的な欠点を持っているということを。
「してるだろ」
そう。彼女は、子供の頃からずっと、利樹に固執していた。
それは妄信的でもあり、利樹以外の人間のことなどどうでも良いと考えている程に。
それは他人に見せることのない姿ではあるが、今回のように、利樹との関係性を無理矢理変えようとする人間に対しては、凄まじい敵対心を見せるのだ。
子供の頃からずっと、一緒に過ごし、自分を理解してくれる存在。彼女にとって、利樹は唯一無二の存在だった。
だからこそ、彼女は利樹を何よりも優先する。
例えそれが教師であっても。または、施設の先生たちであっても。
「少しは独り立ちしろよ」
固執。しかし、利樹に言わせれば、それは依存だった。
彼女なら、本来は1人でも上手く生きられるだろうし、自分がいなくても普通に過ごすことができるはず。
利樹はそう思っていた。
そして、自分がいることで、彼女を駄目にする可能性があるということも。
「……だから、私から距離を取ろうとしていた、ということですか?」
利樹は何も言わない。
実際、彼女の予想は当たっていた。
利樹といることで、彼女は他人よりも利樹を優先する。普段は上手く隠せていたとしても、利樹を優先しようとすれば、どうしても感付かれてしまうだろう。
そうなった時、彼女は隠す気など毛頭ないのだから。今回の教師たちのように。
だから利樹は、学校では彼女と距離を取っていた。もちろん、学校が面倒臭く、何をしていなくても悪者のように扱われることに嫌気が差したというのも理由の1つではあるが。
しかし、物理的な距離を取っても、彼女には意味がなかった。
彼女なら、いつかは自分で気付く。そう思っていた利樹だったが、今回のことで理解した。それは無理だったのだと。
彼女の不安そうな顔は、利樹にしか見せない。
唯一無二の利樹に拒絶されることは、彼女は何よりも恐れていることだから。
それは、彼女が本当の意味で孤独になってしまうということだから。
利樹はそんな彼女を見て、諦めたように溜め息を漏らす。
「なあ、少し話を聞け」
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