第10話 とある少女の話 一

 彼女は、天才だった。

 産まれ持った才能は、他人よりも頭1つ、2つ、いや、それ以上に突出していた。

 赤子の頃から、見たものを忘れることはなく、言葉の意味を理解するのも、そんなに時間はかからなかった。


 誰もが一度は願うような誰にも負けない圧倒的な才能。

 彼女はそれを最初から持っていた。


 しかし、彼女の境遇は、決して羨ましいものではない。


 産まれてすぐ、彼女は親に捨てられた。

 どうして捨てられたのか。今となっては誰もわからない。しかし、間違いなく彼女には何の罪もなかったはずだ。


 駅のロッカールームに捨てられていて、泣き声を聞いた誰かが見つけてくれた。


 それでも、すぐに発見してもらえたことだけは、不幸中の幸いと言えるのだろう。


 それから身寄りのいない彼女は、施設で育てられることになる。


 しかし、ここで不幸だったのは、彼女は他の子よりも優秀で、幼くして自分の境遇を理解してしまったことだろう。


 もちろん、まだ具体的にすべてがわかっていた訳ではない。しかし、少なくとも、テレビで見る家族や公園で遊んでいる子供たちの側にいる親と、自分のことを見てくれている親とは、決定的に違うということはわかっていた。


 そして、もう少し歳が進み、さらに理解ができるようになると、自分は親に捨てられたのだろうということすらも気付いてしまっていた。


 施設の先生たち、つまり、育ての親に尋ねてみても、返ってくるのは中途半端な言葉ばかり。


 まだ子供だからと、思われているのだろうが、彼女にとってはそれが何よりの答えだった。


 しかし、あまりにも大人びた彼女に、施設の先生たちは、徐々に怪訝な視線を向けるようになっていく。そして、その視線は気持ち悪いものを見るような目へと変わっていった。


 だが、彼女は記憶していた。

 その目は、自分を産んだ親たちが最後に自分に向けていたものと、同質であるということを。

 捨てられる前の最後の景色と同じであると。


 それに気付いてから、彼女は他の子供たちと同じように、無邪気な自分を演じるようになる。


 彼女の演技は完璧だった。

 施設の先生たちの視線も、気のせいだったのか、とすぐに元に戻っていく程に。

 そして、彼女の周りは、何事もなかったかのように、普通の日常が流れていった。


 しかし、だからこそ、彼女は孤独だった。


 ただ1人、すべてを理解している彼女は、誰にでも壁を作り、一歩引いて、常に自分のすべてを隠していた。

 天才であるがゆえに、誰も理解できないのだから、と彼女はその頃から悟っていたから。



 そんなある日、彼女に1人の男の子が近づいて来る。


「おまえ、つまんなそうだな」

「え?」


 突然言われた言葉は、かなりぶっきらぼうなものだった。


 その男の子は、不機嫌そうに彼女から目をそらし、目を合わせようとしない。それ以上の言葉が紡がれる様子はなく、彼女の反応を待っているようだった。


 しかし、彼女は驚きのあまり固まっていた。


 つまんなそう。男の子はそう言った。


 彼女は楽しそうに遊んでいた。

 はずだった。


 いや、彼女は誰にも悟られないように、楽しそうに遊んでいる自分を演じていたのだ。施設の先生たちですら気付いていない。他の子供たちだって気付くことはなかった。


 それなのに、その男の子だけは気付いた。


 短い人生ではあるが、それでも、彼女がここまで驚いたことは初めてのことだった。

 しかし、そんな感覚は一瞬のことで、彼女はいつも通り、普通の子供を演じる。


「つまらなくないよ。みんなと遊ぶの、すごく楽しい」


 彼女は無邪気な笑顔で返した。

 それはもう、本当に無邪気なもので年相応の可愛らしいものだ。


 彼女は可愛らしい。これから先、大人になっていけば、誰もが羨むような美女になることは、疑いようがない程に。


 彼女の笑顔を見て、男の子は照れくさそうに顔を赤くする。が、それでも、男の子の彼女を見る視線は疑るようなものから変わることはなかった。


「うそつけ」

「本当だよ」


 彼女は少しだけむきになる。

 それは、産まれて初めての感覚だった。


 どうしてバレたのか。そればかりを考えるが、答えは出てこない。しかし、これまでずっと、完璧な演技が出来ていたはずだった。


 それが、何の変哲もない同世代の男の子にバレてしまったということが彼女は許せなかった。


「うそだ」

「嘘じゃないよ」

「いいや、うそだね」

「違う!」

「ちがわない!」


 断固として譲らない男の子に、彼女は少しずつ感情的になっていく。知らず知らずの内に声は大きくなり、やがて、周りの子供たちや先生たちにまで気付く程になっていた。


「どうしたの? 2人とも、そんなに大きな声出して」


 彼女は普段から大人しく真面目で素直な子として認識されていた。他の子たちとも仲が良く、喧嘩なんて見たこともない。

 そんな彼女がここまで声を荒げていることに、先生たちと驚きを隠せないようだった。


 それに気付いて、彼女はしまったと焦る。


 これまでずっと、大人しく素直な子供を演じてきたことが、先生たちにもバレてしまうのではないか。


 彼女はすぐに言い訳を考える。

 だが、どうしても隣にいる男の子のせいで、上手い言い訳が思い付かなかった。


 どんなに取り繕っても、男の子が何かを話せば矛盾が発生する。


 彼女ならば、先生たちを言いくるめることはできるだろう。しかし、そんなことができる時点で子供らしいとは思われないかもしれない。そんな不安が、彼女の頭を埋め尽くしていた。


 彼女は人生で初めて、何も答えが出せずに固まってしまった。


 そんな時。


「べつに。ただ、こいつがむかついたから」

「え?」

「もう! またなの? みんなと仲良くしなさいって、いつも言ってるでしょ!」


 何も言えずに黙っていた彼女の横で、男の子はシレッと答える。

 思ってもいなかった助け船に、彼女は驚いて横を見た。


 男の子は、彼女の視線に気付いているのか、いないのかわからないが、ぶっきらぼうな顔のまま先生に黙って怒られている。


「まったく。君は男の子なんだから、ちゃんと女の子を守ってあげないといけないんだよ」

「ふんっ」


 粗方説教が終わると、男の子は何も言わずに走り去っていった。


「あ、もう。大丈夫だった?」

「え? あ、う、うん。だいじょうぶだった」


 先生に心配されても、彼女の意識はそこにはなかった。ジッと走り去っていった男の子の方から目を離せなかったから。



 それから数日後、彼女はその男の子に話しかける。男の子は砂場で1人、大きな砂の山を作っていた。


「ねぇ」


 男の子は何も言わずに山をさらに大きくしている。しかし、声をかけた瞬間、微かに耳が動いたのを、彼女は見逃していなかった。


 聞こえてはいる。それだけはわかったので、彼女はそのまま話を続けた。


「この前は、ありがとう」

「……なにがだよ」


 この前と同じように、男の子はぶっきらぼうに返事をする。

 しかし、それはただの照れ隠しのようで、耳が赤くなっているのは隠せていなかった。


 そんな男の子に、彼女は苦笑いを浮かべた。

 そして、もはや演技をするのは無駄だと悟った彼女は、素のままで気になっていたことを尋ねた。


「どうして、つまらなそうに見えたの?」


 完璧に隠しているつもりだった。

 いや、それは完璧な演技に隠されていた。他の誰も気付いていないという事実が、それを証明している。


 であるならば、何故この男の子だけは、自分の演技に気付けたのか。彼女がいくら考えても、その答えは出なかった。


 彼女の質問に、男の子は黙る。そしてそのまま、男の子は黙々と山を大きくしていった。


 やがて、作っていた山がサラサラと崩れていくと、男の子は彼女の質問に答えることなく立ち上がる。そして、そのまま歩き去ろうとした。


「待って」


 しかし、彼女はそれを許さない。男の子の手を掴み、逃がさないようにと力を込める。


 男の子は無理やり逃げようとしたようだが、彼女の力に歯が立たなかった。

 この年代の男の子と女の子であれば、元々そこまで筋力に差はないのだろうが、それを踏まえても、彼女の力は異常だった。


 男の子も、見た目華奢な彼女が、ここまでの力を持っていることが信じられないようで、驚いたように振り向く。


 そして、そこで初めて、彼女と男の子は目を合わせた。


「ねぇ。教えて」


 彼女は上目遣いで男の子を見る。

 流石にそれは、彼女も狙ってやった訳ではなかったが、彼女のその仕草は男の子にとって、かなり魅力的に写った。


「べ、べつに、な、なんとなく、だよ。ずっと見てたら、そんな気がしただけだっての!」


 顔を真っ赤にして、やや投げやりに言う男の子。微かに力を緩めた彼女から、男の子は腕を引き抜く。


 恥ずかしさからか、少しだけ距離を離れた男の子は、改めて彼女を見た。

 すると彼女は、男の子を見たまま、驚いたように目を丸くしていた。


 キョトンとしている表情は、年相応のそれで、いつもの演技ではない、本当に驚いている姿に見えた。

 そして、しばらくの沈黙の後、彼女は口を開く。


「ずっと、私を見ていたの?」

「ち、ちっげぇし!」


 男の子はいきなり大声で叫んだ。あまりの大声に、流石の彼女もビクッと跳び跳ねて驚く。


 それから、シーンと静まり返る空気に、男の子は居心地悪そうに目をそらしていた。


「……、ふ、ふふふ。あはははは」


 しばらくそれを無言で眺めていた彼女だったが、やがて我慢できないというように笑い出す。


 こんな風に、本心から笑ったのは、いつぶりだろうか。少なくとも、彼女の記憶にはない。産まれた頃から、ずっと記憶を持ち続けているはずなのに。


 どうして笑ってしまうのか。具体的なことはわからなかった。特別面白い話だった訳ではなく、少しだけ微笑ましいというぐらいの話だ。


 それでも彼女は、何故か、全くもって隠しきれていない男の子の本心に、笑いが抑えられなかった。


「そ、そんなに、全力で否定しなくても。ふふ、あはは」

「う、うるせぇんだよ。ちげぇもんはちげぇんだよ!」

「はいはい、ふふふ」

「はいはい、じゃねぇんだよ!」


 その後も、男の子はずっと否定し続ける。

 しかし、そんなことなどどうでもいいようで、彼女はしばらく笑い続けていたのだった。


 それほ、自分ではどうしようもない、止められない不思議な感覚だった。


 男の子に出会ってから、彼女は自分の知らない感覚ばかり気付く。知識として知っていた感覚も、全く知りもしなかった感覚も、すべて。


 だから、彼女は男の子のことが気になった。

 普通ではない自分が、少しだけ普通になれるようなこの男の子に。


「ねえ、そんなことより、あなたの名前を教えてくれる?」

「……利樹」



 それが彼と彼女の出会い。

 いつまでも続くように思えた、素敵な物語の始まりだった。

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