第9話 とある正義感の強い女性の話 二
「何者か? と聞かれても、お答えに困りますね。私の名前は玲美と言います。この喫茶店を経営していますね。あと、トシさんという犬を飼っています」
後は、などと白々しく言う玲美に、冴子はきっぱりと告げる。
「本当にただの一般人なら、どうして、暴力団の組織を潰せたのかしら?」
「……すごいですね。そんなことまでわかっているのですか」
ここまで来て、玲美の瞳の色が変わった。
その瞳に射抜かれ、冴子は微かに怯む。だが、そんなものは一瞬で、すぐにその瞳を真っ直ぐに見返した。
「初めに言っておくけれど、私は父さんからあなたの話を聞いた訳ではないわ」
「ふふ。ええ、大丈夫ですよ」
玲美ならば、言わずともわかるだろうとは思っていたが、冴子は剛毅の名誉のために前置きを入れる。
それに玲美も頷いて、冴子の推測が語られた。
「あの事件、父さんが解決したにしては、対応が早すぎた。いえ、父さん以外にも、あれだけの成果を上げることはできなかったはず」
貶める訳ではなく、ただの事実として、冴子は続けて言う。
「私の考えうる、最高効率で事件は解決された。正直、そんなことができる人は私の近くにはいない。なら、私の知らない誰かが、父さんたちに助言をした可能性がある」
単純に冴子の知らない人物というだけであれば、数えきれない程いるだろう。
警察に顔が利くと言っても、限界はあるし、そもそも警察の全部署に通用する話ではない。
しかし。
「でも、警察内部の協力者なら、父さんがその人物について隠すのはおかしい」
「……なるほど」
剛毅は協力者について、「いつもの人」としか言わなかった。
それは、冴子にその人物の素性について、ヒントを与えないようにした配慮ではあったが、それが逆に冴子にとってはヒントになっていた。
剛毅は嘘をつけない人間である。
警察関係者の適当な誰かをでっち上げることはできず、考えた末の答えが、それだったのだろう。
仮に嘘をついたとしても、冴子にはバレていただろうが。
「とすれば、後は父さんが何処でその人物と会っていたのか。父さんはその人物について、誰にもバレないようにしていたから、会うとしたら業務外。だから、父さんの知り合いに、最近の父さんの行動を聞いて回ったのよ」
流石に、そのままの答えを知っている者はいなかった。しかし、それらを統合した時、冴子はこの喫茶店に目を付けたのだ。
「出てきたのは、父さんが偶に1人で昼食を取っていたという話。父さんは仕事で朝が早い時は、お弁当を持って行かないから。でも、調べてみたら、そうでない時も、お弁当を持って行っていない時があった」
冴子の調査能力は凄まじいものだった。
まだ只の大学生であり、聞き込みにおいては、警察官の親を持っているなど、大したステータスにもならない。
にも拘らず、冴子は剛毅の行動情報をこれでもかと収集している。
その行動力と鮮やかな手際に、玲美ですらも感服していた。
「その時、不在にしていた時間と向かった方向、そして、飲食ができる場所で、さらに、周りの目を気にしなくても良い場所を検討した結果」
「ここだった、という訳ですか」
玲美の言葉に冴子が頷く。
玲美は、馬鹿にするでもなく、呆れるでもなく、ただ単純に冴子の推理力に驚き、そして、称賛の拍手を入れた。
「すごいです。私としては、別に隠しているつもりはありませんでしたが、そこまで完璧に推理されるとは」
それは玲美の素直な感想だった。
玲美は剛毅が身の安全のため、家族にも玲美のことを秘密にしていることは知っていた。
そこまでする必要はないと思いつつも、その徹底ぶりは、玲美も知る所だ。
しかし、そんな剛毅の配慮も、娘である冴子によっていとも容易く瓦解してしまった。
それに少しだけ、剛毅を不憫に思いながらも、玲美は冴子に興味を持っていた。
今まで出会ってきた人たちとは違った存在。
単純に頭が良い人間は、玲美の周りにも多い。
しかし、冴子のそれは、そういった人間たちとは少しだけ違うベクトルのものだった。
それはまるで、刑事。
突発的な閃きや学識の広さだけではなく、自分の足で情報を集め、それらを総合し、1つの答えを導く才能。
その才能は、すでに剛毅を越えていると、玲美は評価していた。一介の大学生に過ぎない冴子に対して。
「ふふ、なるほど、わかりました。冴子さんが聞きたいのはそういった話なのですね? そして、最終的には、私は悪人でないのかを、見極めたい、と」
「そうよ。話が早いのは助かるわ」
すでに冴子は遠慮していなかった。
遠慮した所で、すでに冴子の本心を見透かされている。隠すだけ時間の無駄だと判断して。
「父さんの見る目がないとは思わない。でも、娘としては、自分の目で見ないことには納得できないのよ」
「確かに、その通りだと思います」
結局の所はそこなのだ。
冴子は剛毅が心配だった。
この数分の会話でわかったように、冴子は玲美が只者ではないと確信している。
そんな人物であれば、剛毅であろうと騙されてしまう可能性は否定しきれない。だから冴子は、その目で玲美を見極めようとしていた。
「そうですねぇ」
しばらくの沈黙の後、玲美がおもむろに口を開いた。
「それでもやっぱり、お答えに困りますね。恐らく、鮫島さんが話しているように、私は情報提供と、ちょっとした協力をしているだけなので」
「ちょっとした、協力?」
「ええ、毎回ではないのですが、犯人たちの逮捕の際に、同行させてもらって……」
「は? 同行ですって!」
冴子は思わず大声を上げて驚いた。
「ええ、今回も、少しだけ気になる人がいたので、でも、大したことはしてないですよ」
「大したことって……」
本来、警察の仕事に一般人が紛れ込むなどあってはならない。ましてや、今回の事件は暴力団が絡むような危険な事件だ。
そんな大事件に、剛毅が玲美が来ることを容認していたという事実に、冴子は目眩がしそうだった。
「もちろん、鮫島さんには止められていましたよ。それを無視して、私がその場に行ったのです」
「そ、れでも」
剛毅が最低限の義務を果たしていたと告げられ、少しは持ち堪えつつも、それでもやはり、その行動は明らかにルール違反だった。
しかも、聞き捨てならない部分がもう1つある。
「大したことって、何を、したのかしら?」
警察に紛れて現場にいた時点で、本来はアウトだ。だが、そこで、ただ見ていただけ、で終わった訳ではなく、大したことではないことをしている口振りだった。
それが何であろうと、冴子の見逃せることではなかったが、聞かずにはいられなかった。
玲美は冴子の顔を見て、なんとなく言いづらそうに目をそらした後、苦笑いを浮かべて言う。
「私の知人にひどいことをした人がいたので、少しだけお灸を据えました」
「っ! あなたっ!」
ガタンッと椅子を蹴飛ばすように、冴子は立ち上がった。
店内に椅子が倒れるけたたましい音が響き、また静かになる。
「あなた。まさか、暴力を?」
「ええ、そうですね」
静かに問いかける冴子に、玲美は真っ直ぐに見返して真剣な顔で答える。
それは、嘘や偽りで誤魔化そうとするものではなく、正直な言葉を紡いだ表情に見えた。
あまりにも堂々と、それでいて、真剣な表情に、冴子は少しだけ勢いを鈍らせた。
「どうして、そんなことを?」
「さっきも言った通り、私の知人がひどいことをされたので。つまり、私怨です」
「隠さないのね」
「ええ、やってはいけないことだと、理解はしてますから」
きっぱりと言う玲美は、開き直っているという訳でもなかった。どちらかと言うと、罪を受け入れていると言う方が近いだろうか。
「やってはいけないとわかっているのなら、どうしてそんなことをしたのかしら?」
見る限りの印象でしかないが、玲美が感情的に動く姿を冴子は想像できなかった。
それでももし、玲美がそれに走ったというのなら、そこには何か大きな理由があるのではないか、と思ったのだ。
しかし、冴子の予想とは裏腹に、玲美は首を横に振る。
「あなたの求めるような答えはありませんよ。私をよく知る方から言わせると、私は直情的らしいですから」
そう言いながら、玲美は隅の方に眠る犬の方を見ていた。何故そちらの方を見たのかは、冴子にはわからなかったが。
「だから、感情的に対処してしまった。ただ、それだけの話です」
「それだけって、あなたねぇ……」
反省しているのか、していないのか、よくわからない態度を見せる玲美に、冴子は微かに苛立った様子で食ってかかる。
だが、あまりにも堂々とした態度の玲美に、冴子は少しだけ冷静さを取り戻した。
「父さんは、その事を?」
「知っています」
「なるほど」
冴子は頭を抱えた。
剛毅がその事実を知っているとなると、それはもう言い訳が効かない。
私怨による暴力は、明らかにルール違反。
いや、もはや法律違反だ。傷害罪に問われる可能性が高い。
それを剛毅が見逃したとしても、冴子は見逃すことはできなかった。
「例え犯罪者であっても、暴力は許されないわ」
「ええ、そうですね。では、私を捕まえますか?」
「は?」
思いもよらない発言に、冴子から変な声が漏れた。
「私は逃げも隠れもしませんよ。捕まると言うのなら、素直に従います」
玲美の表情からは、何を考えているのかわからない。
だが、罪を受け入れ、罰を受け入れる覚悟がある。そんな雰囲気を纏っていた。
「どうして、あなたは……」
これまで冴子は、ルールを守らない者を、ルールに従って処罰していった。
法律、条例、校則。
小さいものだろうが、大きいものだろうが、正式に決められたルールであるならば、それに従わせてきた。
それに反発する者はいた。
それに反省する者もいた。
しかし、玲美の反応は、冴子が今まで見てきたその誰とも違う反応だった。
具体的な違いを言葉にすることはできなかったが、それでも、確実に何かが違った。
もし、あえて言葉にするのなら、罪の意識に対する考え方が他の人と違う、というのだろうか。
冴子は玲美の考え方に興味を持った。
ルールを守るためには、様々な考え方を知る必要がある。
幼い頃は、自分の中の正義を絶対的なものだと考え、それを相手に押し付けるという失敗をしたこともある。
だが、今の冴子は大人だ。
正義の形が1つではないことも理解している。
だからこそ、冴子は玲美の思考を知る必要があると考えたのだ。
「あなたを捕まえるかどうかは、私の質問の答えで決めるわ」
「ふふ、なるほど。どうぞ」
案外、優しい冴子の言葉に、玲美は少しだけ微笑んだ。
冴子はそれを見て、玲美の本心を掴めないでいた。だから、その本心を見極めるための質問を、冴子は考える。
そして、その答えとなり得る質問を口に出した。
「あなたは、あなたの思う正義は、何?」
「正義、ですか」
質問としては、かなり抽象的な質問だ。
だが、その答えさえ聞けば、冴子の知りたいことがわかる。そして、玲美ならば、この質問がどういうものなのか、詳しく言わなくてもわかるだろう。
少しの間、目を瞑り、上を見上げる玲美は、物思いに更けるように時間を置いた。
やがて、少しだけ息を吐くと、苦笑いと、少しだけ困ったような表情で冴子の方を見た。
「私には、正義が何か、わかりません」
「……そう」
「だから、私の中にある基準はすべて、ある人のものなんです」
「ある人?」
問い返した冴子に、玲美は少しだけ悲しげに目を伏せた。
「言いたくないなら、無理に聞かないわ。結論だけ教えて」
「ふふ、優しいんですね」
そう言って、玲美は珍しく躊躇うように胸に手を当てた後、トントンと指でそこを叩き、自分を落ち着かせているようだった。
そして、落ち着いたのか、おもむろに語り始める。
「さて。冴子さん。少しだけ、お話をさせてください」
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