第9話 とある正義感の強い女性の話

 鮫島冴子は、子供の頃から正義感が強かった。

 父親が警察官ということもあり、子供の頃からルールは守らなければならないという意識が強かった。


 それは、特に親から強制された訳でもなく、警察官の親を持つという冴子自身の誇りとして、厳格に自分を戒めてきた。


 他人に厳しく、自分に厳しい。

 ルールを守らない相手には、例え誰であろうと立ち向かっていった。


 それは幼い頃から変わらない。


 小学生の頃、近くの中学生たちが煙草を吸っているのを見つけて注意をしたことがあった。

 明らかに危険な雰囲気の相手に対して、冴子は何一つ怖じ気付くことなく注意した。


 もちろん、そんな子供に注意されたからといって、彼らがその行いを省みることはないし、むしろ、生意気なガキだと襲われそうにすらなった。


 その時は、偶々通りすがった大人に助けられ事なきを得たが、冴子はそんな経験をしても尚、その行動をやめることはなかった。


 いや、むしろ、悪化した、と言っても良いかもしれない。


 冴子は自分が襲われそうになった時、抵抗できなかったことを恥じた。腕を掴まれて、持ち上げられて、そのまま投げ飛ばされた。必死に抵抗しても、何の意味もなかった。


 それは当然である。

 その時、冴子は小学生3年生。相手は中学生が2人、しかも、男だった。

 冴子が勝てる道理がない。


 だがしかし、冴子はそうは考えなかった。

 抵抗するだけの力が必要だと、正義を貫くにはそれ相応の力が必要だと考えたのだ。


 それから冴子は、親に頼んであらゆる格闘術を習うようになる。柔道、空手、ボクシング、剣道や弓道、果てはカンフーまで。

 元から身体能力の高かった冴子は、それらをすぐにマスターしてしまった。


 そうして実力を手にした冴子は、さらに突き進むようになる。


 中学生に上がると、冴子はすぐに風紀委員会に所属した。

 1年生でありながらも、校則を守らない上級生に物怖じせずに歯向かっていく。


 それは教師たちにとっては良い生徒なのだろう。大抵の生徒においても、普段から横柄な態度を取る者たちに迷惑を受けていた者たちも、歓迎していた。


 しかし、一部の生徒。具体的には、今まで校則を守ってこなかった者や不良たちは、冴子の存在が邪魔で仕方がなかった。


 それでも、各種格闘術に精通している冴子は、どんな闇討ちをされても返り討ちにしてしまう。


 一度、近くのヤンキーたちが仲間を連れて冴子を襲いかかって来た時も、全治2週間の怪我を負いながらも、冴子は1人で全員を倒してしまったのだ。


 それからというもの、冴子は優等生たちの希望の星で、不良たちの目の上のたんこぶとなっていた。


 実は裏で皆に番長と呼ばれていたのは、冴子の知らない真実だ。



 それからも、冴子は我が道を行く。

 自らの正義に則り、ルールを守らない者をルールに則り処罰していった。


 そんな冴子の目標は、もちろん父親と同じ警察官だった。


 小学校、中学校、高校と、冴子が勉学にも精を出した。その努力が実を結び、大学は名門と呼ばれる学校へと進学する。


 唯我独尊、とまではいかないが、ひたすらに我が道を行く冴子は、校内でも有名人だった。


 鋭いつり目で、人を差すような視線。自信に裏打ちされた確固たる面持ちは、近寄りがたい印象を与えている。

 しかし、基本的な容姿は可憐であり、強気な顔つきは、男女問わず密かに人気があった。


 残念ながら、冴子自身は他者からの関心にも、好意にも疎かったため、そういった出会いとは縁遠かったのだが。


 それでも、冴子は自分の目標に向けた努力を続け、基本的には順風満帆な日々を過ごしていた。



 そんなある日、冴子は久しぶりに帰ってきた実家にて、ある事件が気にかかる。


「父さん。この前の麻薬組織の検挙の件について、少しだけ気になることがあるんだけど」

「ぶふっ! な、な、何がだ?」


 静かな朝。冴子が投げ掛けた質問は、ゆったりと味噌汁を飲んでいた冴子の父親、鮫島剛毅を驚かせ、吹き出させてしまった。


「あらあら。ちょっと、何やってるのよ。火傷しちゃうでしょ」

「あ、ああ、すまん」


 剛毅の妻、郁江は味噌汁で濡れてしまった剛毅の服を脱がせ、新しい服を取りに部屋を出ていった。


 そして、残されたのは、上半身裸の剛毅とそんな様子などそ知らぬ様子で朝食を食べ続けている冴子だけだった。


 冴子は落ち着いた様子で箸を進めながら、父親の反応を見て、呆れたように溜息を漏らす。


「やっぱり、何か、あるのね?」


 昔から剛毅は嘘のつけない性格であった。

 そして、剛毅の性格や仕事の姿勢を知っている冴子には、話に出た事件において、不審に思う点が何ヵ所かあった。


「また誰かに、情報提供、してもらったのね?」


 大学生になり、冴子も成人している。

 世の中にはルールを守るために、清濁併せ持つ必要があるのだと、理解もしていた。

 その上で、人々がルールを守るために、どうするべきなのかを考えている。


 だから冴子は、自分の父親の行動に、悪意があるとは思っていない。しかし、グレーゾーンの行いを、冴子は見過ごすことができなかった。


「また、いつもの人かしら?」


 剛毅は有能な警察官だ。

 それは身内贔屓という訳ではなく、実績に裏打ちされた正当な評価だった。


 だがしかし、それを加味したとしても、今回の事件の解決は、冴子には納得がいかない。事件解決までの道筋が綺麗すぎる。そう思っていた。


 それは、今までにも何度かあったことだった。


 そして、その時に必ず出てくるのは、「いつもの人」からの情報提供がきっかけになった。という話。


 その人物について、剛毅はプライバシーの問題から、素性を明かすことはなかった。

 それについては、ルールを守る冴子にしてみれば、当たり前のことだった。


 しかし、今回の事件だけは状況が異なる。


 ニュースではあっさりと解決したことになっているが、今回の事件に出てきた暴力団は、かなり大きな組織であり、本来であれば、もっと時間をかけなければ解決のできない大きな事件のはずだった。


 にも拘わらず、今回の事件の解決には、僅か数ヶ月という圧倒的な早さで解決していた。


 その手腕は冴子から見ても見事であり、称賛に値するものだ。だが、それだけの手腕を発揮できる警察関係者を、冴子は知らない。


 父親の関係で、警察官にも顔見知りが多い冴子ではあったが、どう思い返しても、そんな人物はいなかった。


 そうなると、考えられるのは、「いつもの人」が情報提供のみならず、作戦立案もしたのではないか、という仮定。


 そしてその仮定は、剛毅の反応によって、冴子の中で確信へと変わる。


「その人は、何者なの?」

「い、いや、普通の人さ。少し、いや、まあ、かなり頭の切れる人ではあるが」


 しどろもどろになる剛毅は、普段の警察官として働いている時の風格は微塵もない。

 家であるから、気を抜いているというのもあるのだろうが、それだけ冴子の指摘が痛い所を突いているということなのだろう。


 かと言って、その人物が何者なのか。それを聞くのはルール違反であると冴子は思っている。


 だからこそ、言いづらそうにする剛毅から無理矢理聞こうとはしない冴子だった。



 しかし、だからといって、諦める訳ではない。


 それから数日、冴子は剛毅の事件解決までの行動を調べ尽くした。


 警察でも顔が利く冴子は、剛毅の同僚や部下から、ここ数日の剛毅の行動を聞いて回る。

 機密保持の精神はあるが、特段、仕事に関わる部分でなければ、ルール違反にもならない。


 そうした巧みなルールの綱渡りを歩みながら、冴子は確実に剛毅の行動を紐解いていく。


 そして。


「ここね」


 辿り着いたのは、とある喫茶店。

 何処にでもあるような喫茶店。強いて特筆するとしたら、立地は悪く、人通りが少ないことだろうか。


 そう。

 冴子が訪れたのは、玲美の喫茶店だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 カランと呼び鈴を鳴らして、冴子は店の中へと入っていった。


「いらっしゃいませ」


 そこにいたのは玲美。

 その可憐さに、冴子は一瞬目を見開いたが、すぐに平静を取り戻し、さりげなく店内を確認する。


 店の中にいるのは、冴子と玲美、そして、隅に寝ている犬だけだった。


「どうぞ、お好きな席へ」

「ええ、ありがとう」


 簡素に返事をして、冴子はカウンターへと座った。

 全く躊躇することなく座った冴子に、玲美は微かに驚いているようだったが、すぐに元の表情に戻り、メニューを差し出す。


 無言で受け取った冴子は、メニューを見ながら、視界の端で玲美を観察した。


 まず、冴子が感じたのは、玲美は隙のない人物だということ。


 格闘術を学んでいる冴子は、相手の呼吸を見ることで、ある程度の実力を図ることができる。

 それは私生活にはあまり活かせない特技ではあるが、今の状況においては役に立った。


 ただ立ち姿だけをとっても、その気配に隙はない。例えば、仮にここでいきなり強盗が現れたとしても、玲美ならばすぐに対処に移れるだろう。


 そんなことが現実に起こる訳がないが、ふとそんな想像をしてしまう程に、玲美には隙がなかった。


「どうかされましたか?」

「……いえ」


 見ていたことに気付かれたのも、冴子にはあり得ないことだった。視線は完全に外している。

 焦点を合わさずとも、冴子は玲美を見ることができるから。


 だが、玲美には気付かれた。

 その事実だけで、冴子には十分だった。


「それじゃあ、ブレンドコーヒーとBランチセットをお願いするわ」

「かしこまりました」


 何事もなかったかのように注文をして、玲美の視線を向けた。


 にこやかに微笑む玲美を、冴子は鋭く睨み付ける。いや、実際には睨み付けた訳ではない。ただ目つきが悪いだけなのだが。


「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。私は鮫島冴子よ」

「鮫島?」


 不意に漏れた言葉で、冴子は確信した。


「ええ、そうよ。鮫島剛毅の娘、と言えばわかるかしら?」

「ああ、なるほど。鮫島さんの娘さんでしたか」


 隠す気配もなく、玲美は笑って答えた。


「鮫島さんには、いつもお世話になっております」


 恭しく会釈をする玲美は、余裕の表情を浮かべている。ここに来た冴子の思惑など、すべてを理解しているように。


 だが、冴子もそれに怯むことはない。ある程度予測していたことだった。


「いえ、こちらこそ。父が、大変、お世話になっているようで」


 2人の言葉の応酬は、険悪なものではなかったが、どちらも本心を隠すような、妙な緊張感を醸し出していた。


 冴子が今日、ここに来た理由は、玲美がどういう人物なのかを見極めるため。

 剛毅のことを疑っている訳ではないが、時折抜けている父を、冴子は心配していた。


 今後、同じように協力を求めることがあったとして、もし仮に、貶められるようなことがあったら。

 そんな心配は拭えなかった。


 冴子の予想が正しければ、今回の事件は、玲美の助言によって解決されている。


 しかし、本当に一般人にそんなことができるのか。いや、普通に考えれば、その可能性は限りなく低い。ならば、もしかしたら、玲美自身に裏があるのかもしれない。

 そう勘ぐっていたのだ。


「あまり、勿体ぶった話は苦手なので、確信からお話ししてもよろしいかしら?」

「ふふ、ええ。その方が早そうです」


 皆まで言わずとも成立した会話。

 それも予想通り。


 だから、冴子は初めから決めていた質問を、そのままオブラートに包むことなく、玲美にぶつけるのだった。


「あなた、何者なの?」

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