第8話 とある不審者の話 三

「私の知り合いに、少しやんちゃをしていた人がいたんです」


 善四郎が玲美のこうした話を聞くのは初めてのことだった。


 普段は、どちらかと言うと善四郎の話ばかりだったし、玲美が自分の話をすることはほとんどない。ましてや、玲美の交遊関係といった、私生活に迫る部分など、欠片も聞いたことがなかった。


 いきなり始まった話に驚きながらも、善四郎は玲美の話の続きを待つ。


「その人は、よく警察のお世話になるような人で、もう警察に仲の良い知り合いができるくらいでした」

「それは……」


 今時、本当にそんなことがあるのだろうか、と思わなくもなかったが、玲美がそんな所で冗談を言うとも思えず、善四郎はやや納得がいかないまま口を閉じた。


 善四郎のそんな反応に、玲美は苦笑いを浮かべる。


「まあ、信じられないのも無理はありません。でも、それは事実なんです」


 玲美の話に出てくる人物は、根は悪くないが、表向きの素行は非常に悪く、喧嘩っ早い、乱暴、短気、口が悪く、警察にも気後れすることなく歯向かっていく、という、何とも危ない人物だったのだとか。


「大丈夫、なんですか?」


 怪しい見た目をしているという自覚のある善四郎ではあったが、他人に実害を与えたことはない。不気味な見た目で、誰かを怖がらせたことはあるかもしれないが。

 少なくとも、故意的に誰かに害を与えたことはなかった。


 そしてそれは、善四郎の交遊関係でも、同じことが言える。


 はっきりと、友だち、と呼べるものはほとんどいないが、善四郎がよく話す人物の中に、今、玲美が話したような素行の人間はいない。

 どちらかと言えば、善四郎のように大人しく、地味な者ばかりだ。


 街で見るようなヤンキーや明らかに危ない人種には、近付こうとすら思ったことがない。


 そんな善四郎からすれば、今の話に出てくる人物と玲美が知り合いというだけでも驚きだ。

 しかも、そんな人物と親しい仲にある、というのは、玲美の今までの印象を変える程のインパクトがあった。


 しかし、それと同時に心配にもなった。

 そんな人物の近くにいることは、玲美にとって危険なことではないのか、と。


 はっきりと聞くことができず、善四郎は煮え切らない質問をすることしかできなかったが。


「私の身の心配をしてくれているのなら、何も心配ありませんよ」


 それでも、玲美にはその意図が伝わったようだ。しかし、なんとも言えない笑みを浮かべるだけで、詳しいことは何も答えてはくれなかった。


「話を戻しますが、そんな彼は、確かに駄目な人でした。が、それでも、警察からは本気で憎まれることはなかったんです。何故だと思います?」

「えっと……」


 よく警察のお世話になるような人が、警察からは本気で憎まれていなかった。


 そもそも、警察のお世話になるという話の時点で、善四郎には縁遠い話なのだが、問われてしまった以上、善四郎は真剣に考える。


「根が良い人だったから、ですか?」

「ふふ、確かに、それもあります。が……」


 玲美の今までの話を聞く限り、本当に根が良い人物なのかは疑問だが、善四郎に思い付くのはそのくらいだった。


 だが、それが正解という訳ではなさそうで、玲美は得意気に、おしい、と笑みを浮かべた。


「正解は、逃げることなく、自分のことをちゃんと話すことができたから、です」

「え?」


 頭に疑問符を浮かべたような顔をしている善四郎に、玲美は続けて言った。


「もちろん、すべてがそれで許される訳ではありません。ですが、彼は、何をしても、自分の意思だ、と、明確な自覚と責任を持っていました」


 人は何か悪いことをした時、逃げ道を探そうとする。正当化しようとする。

 それは誰しもに言えることだ。


 咄嗟に感情的になった時、人はそれから責任逃れしようとする。


 頭に血が上っていた。

 我を忘れていた。

 記憶にない。


 それは本当であることもあるのだろう。


 だが、どんな行動にも、本人の意思はあるはずだ。他人に洗脳された訳でないのなら、そこには必ず本人の意思がある。


 そしてそれは、本来否定してはいけない。

 次、同じ過ちを犯さないためには。


「彼は、どんなに腹を立てても理性的でした。いえ、世間一般にはそうは言えないのでしょうが。ですが、彼は自分の行動がこの後どうなるのか。それをしっかりと理解して行動していました。最初に言ったように、彼は根は良い人なので、意味もなく、人に危害を加えたりはしてませんでしたから」


 それが罪になると理解していても、止まれない時はある。それは、その人物の格言だった。


 ある意味、言い訳にも聞こえるが、それはやらなければならないんだ。という言い訳であり、やってしまったことに対しての言い訳ではない。


 あまり誉められた行為ではない一方、白黒はっきりとつけたさっぱりとして性格とも言える。

 それが好ましい性格かどうかは別の話だが。


「彼は、気に食わないことは気に食わないと、警察ともやりあいました。そうやってぶつかって、いつの間にか、仲良くなっていったんです」

「そう、なんですか」


 最後まで話を聞いても、やはり善四郎には縁遠い話だった。


 しかし、玲美の言いたいことはわかる。


「正直に話すことが、むしろ怪しまれない、ということです、よね」


 変に隠すよりも、正直に話した方が良い。

 結局はそういう話だ。


 それは当たり前で、善四郎にもわかる。

 それでも、今までの経験が、善四郎の思いに歯止めをかける。


 それでもやっぱり、信じてもらえないんじゃないだろうか、と。


「いいえ」


 うつ向く善四郎に、玲美は静かに否定した。


「へ?」


 空気を読むことが苦手な善四郎ではあったが、この話において勘違いをするとは思わず、変な声を出してしまった。


 善四郎の反応を予想していたのか、玲美は少しおかしそうに笑う。


「ふふ、まあ、結論はそうなんですが、私が今の話をしたのは、別の理由ですよ」


 玲美の意図がわからず、善四郎は首を傾げた。


「私が言いたかったのは、彼に比べたら、善四郎さんは、遥かに普通の人だってことです」

「え?」


 ポカンと善四郎は口を開けていた。


 普通の人。玲美はそう言った。

 しかし、善四郎はそんなことを誰かに言われたことがない。


 不気味な人。怪しい人。気持ち悪い人。

 そんな悪口ばかりが頭に残っていて。いや、実際にそんな言葉しかかけられてこなかった。

 そして、善四郎自身、自分はそういう人間なんだと思っていた。


 それなのに、玲美はいとも簡単に、その反対の言葉を口にする。何のことはないというように、自然に、あっさりと。


「俺が、普通?」

「はい。残念ながら」


 玲美の言う残念とは、特別なイケメンという訳でもなく、かといって、特徴的な顔つきという訳でもない、という意味のようだった。


 しかし、少なくとも、特徴的な容姿ではあると思っていた善四郎に、玲美は「いいえ」と否定する。


「確かに、髭が伸びすぎですね。髪もボサボサです。でも、それを直せば、善四郎さんは普通の見た目をしていると思いますよ」


 善四郎の見た目は、どう見ても怪しい。

 だがしかし、その印象のほとんどは、玲美が言うように、整えられていない髭、髪のせいである。


 それがしっかりと手入れされたとしたら、どう印象が変わるのか、それは確かに、わからない話だった。


「警察に行く前に、身だしなみを整えてみましょうか。私も手伝いますから。あ、もちろん、お金はいりませんよ。資格は持っていないので」

「え? あ、いや、あの」


 あれよあれよと話を進めていく玲美に、善四郎は困惑する。


 見た目の印象は大事だ。

 それこそ、善四郎がお金を欲したのは、その身なりを整えるためでもあった。


 その事は身に染みてわかっている。


 だがしかし、話の急展開についていけない善四郎は、何かを言おうと口をパクパクさせていた。

 何を言おうとしているのか、本人もわかっていない様子だが。


 それでも、必死に何かを伝えようとしている善四郎に玲美は優しく微笑む。


「善四郎さん。あなたが、自分に自信を持てない理由を、私は知りません。ですが、一度だけ、私に任せてもらえませんか?」


 いくら恋い焦がれている玲美が相手とはいえ、髪を切ってもらったり、髭を剃ってもらうなんてことは、中々素直に頷けないことだ。


 他人に触れられることのハードルも高いが、それが意識している相手ともなると、また別のハードルもある。


 ただ、玲美は、善四郎を普通の人だと断じてくれた唯一の人。社交辞令にも、お世辞にも、同情にも見えず、ただ純粋に当たり前のように言ってくれた人。

 そんな玲美ならば、信じてみても良いのではないだろうか。


 善四郎の頑なだった心は、玲美に対して少しだけ開いていた。


「えっと、じ、じゃあ……」


 玲美が言うような普通の人になれるのか。

 それはまだ半信半疑だったが、それでも、一度だけ、玲美を信じてみようと、善四郎は玲美に身を預けるのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 資格がないと言っていた玲美だったが、その手際は大したものだった。

 一縷の躊躇もなく善四郎の髪を切っていく玲美は、鼻唄まで歌いながら、楽しそうに切っていく。


 最近は床屋に行く回数も減った善四郎ではあったが、記憶にある床屋でも、ここまでスムーズではなかったように思う。


 善四郎が髪を切っているのは、喫茶店の奥にある倉庫のような場所。

 床屋と違って目の前に鏡がないため、どんな様子なのかはわからないが、少なくとも玲美の手に迷いはなかった。


 それからものの数十分もすると。


「はい。それでは、髭も剃りましょうか」

「え? あ、はい」


 ソッと触れられた玲美の手は、少しだけひんやりと感じる。


 そして、一瞬のことのように、玲美の柔らかな手の感触を味わっている間に、それは終わってしまった。


「はい。終わりました。……どうですか?」


 すべてが終わり、玲美は手に持てる鏡を善四郎に見せた。


「これ、え?」


 その鏡に映っていた姿に、善四郎は驚く。


 映っていたのは、なんとも冴えない普通の男性だった。何処にでもいるような中肉中背の若者。

 だが、そのことが、善四郎には信じられなかった。


「普通、だ」


 今だかつて、善四郎は自分の見た目に自信を持っていなかった。いや、今映っている姿を見ても、特別優れているとは思えない。


 しかし、少なくとも、怪しい人物には見えなかった。それだけでも、善四郎にとっては、十分に驚愕な出来事だった。


「これだけでも、気持ちが変わりますよね」


 玲美の言葉が、さっきまでの善四郎の思い込みに鋭く突き刺さる。


 誰も信じてくれない。

 こんな容姿では、誰も。


 だが、実際に今目の前に映る姿は、そんな怪しい人物ではない。何処にでもいる一般人だ。


 善四郎は戸惑ったように玲美を見る。

 そんな善四郎を、玲美は真剣な表情で見つめ返した。


「後は、善四郎さんの気持ち次第です」

「俺の……」

「もう一度言いますが、善四郎さんは何も悪いことはしていません。ちゃんと話せば絶対にわかってくれます。もし、不安に思っていたことがあったとしても、もう、大丈夫でしょう?」


 玲美の言葉は、善四郎にすんなりと落ち込んでいく。


 不安に思っていたこと。

 自分のことなんて信じてくれないかもしれない。という思いは、鏡に映る姿と玲美の言葉で薄れていた。


「俺は……」


 今までずっと持っていた葛藤は、玲美によってあっさりとかき消されてしまった。


「大丈夫。私を信じてください」


 ポンポンと玲美は善四郎の背中を叩く。それだけで、善四郎の不安はなくなっていた。


「……俺、行ってきます」


 そうして善四郎は、運ぶはずだった物を手に、警察へと向かったのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


「あ、鮫島さんですか? はい、玲美です。少しお話がありまして……。はい、実は……」


 善四郎が店を出てすぐ、玲美はある人物に連絡をしていた。


「はい。それでは、お願いしますね」

「……話は終わったか?」


 話を終え通話を切ると、後ろからトシさんが声をかけてきた。


 玲美は特に驚くこともなく振り向いて、満面の笑みを浮かべる。その笑みは、黒いオーラに溢れていて、見る者が見れば、震え上がっていたことだろう。

 トシさんは慣れているため、ああ、またか、といった様子だが。


「わかりましたか?」

「ああ、まあな。そんなに大きな組織じゃないみたいだしな」

「ふふ、それはよかった。鮫島さんも、動いてくれるようですから」


 鮫島は、玲美の知り合いの警察の人間だ。

 一応、警部の役職についている敏腕刑事なのだが、玲美は、昔、とある出来事がきっかけで知り合い、それからは、何かと協力を仰ぐようになっていた。


 今回の件についても、警察を動かしてほしいという、一般人が言うには明らかにおかしな依頼をするためだった。


「善四郎さんを利用しようとした組織は、善四郎さんの裏切りを許さないでしょうね。ですから、先に潰しておかないと」


 麻薬取引をする人間が、裏社会と通じている可能性は高い。もし、善四郎が警察に駆け込めば、報復をさせる恐れがあった。


 それをさせないため、玲美はトシさんに麻薬取引を依頼した人間を探してもらっていたのだ。


 そして、トシさんはどういう手腕を使ったのかは定かではないが、その裏にある組織を見つけ出した。


 そこで、玲美が警察である鮫島に、その組織の捕捉を依頼をしたのだ。


「せっかく、頑張ろうとしている善四郎を、邪魔なんてさせませんから」


 そして、玲美は喫茶店の扉に臨時休業のプレートをかけて店を出る。


「まったく。警察に任せとけばいいのによ」


 そうぼやきながらも、トシさんは玲美の後ろをついていく。


「ふふ、少しだけお仕置きしてあげませんと」


 そう言う玲美の顔は、すっきりと爽やかなものだった。



 その後、その組織に何があったのかは、鮫島によって固く情報規制されているというのは、また別の話。

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